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長夢

本当に、唐突な出来事だった。

親に「おやすみ」の挨拶をしてベッドに入って、目が覚めたら見たことのないところだった。

6歳だった僕は状況が呑み込めなくて(今でも無理だろうけれど)、ただただ歩き回った。

「おかーさーん…おとーさーん…おにーちゃーん…!どこー…?」

知らない場所を、歩いて。歩いて。

次第に涙が浮かんできた。

体力的にも、精神的にも、限界だった。

2時間ほど歩いた僕は、知らない家に背中を預けて、膝を抱えて静かに泣いた。

すると。


「どうしたの?」


頭上からかけられた知らない声に、ふと、顔を上げる。

泣きはらした目に移りこんだのは、長い茶髪を後ろで一つにまとめた、黄緑色の着物を着た男だった。

男は、僕の前にしゃがみ込んで、心配そうな顔で、僕を見つめた。


これが、かの有名な松尾芭蕉だったということは、当時、僕は知らなかった。


「迷っちゃったの?」

男は僕の頭の上に右手を置くと、優しくなで始めた。

「怖かったね。よしよし」

「…っ」

僕はその時、いともたやすく、この男…芭蕉さんに心を開いてしまったんだ。

その後は、芭蕉さんの家に、一旦上がらせてもらい、質問されたことに答えた。

自分の名前、何処から来たのか、自分の格好のこと。

大半の質問が理解できず首をかしげたが、芭蕉さんは嫌な顔ひとつせず、僕にひとつひとつ問いかけてきた。

「じゃあ、彼方君は、未来から来たんだね」

「……たぶん…」

「そっか。どうやって帰れるか……なんて、分かってたらとっくに帰ってるよね…」

苦笑して、溜息を吐く芭蕉さんを、不安げに見つめる僕。

暫くすると、芭蕉さんは、「よし」と手をたたき、立ち上がった。

「帰れる方法がわかるまで、私の家に泊まっちゃわない?」

「いい…の…?」

「うん。むしろ、大歓迎だよ!あ、そうそう。言い忘れてたけど、私の名前は、松尾芭蕉だよ。これからよろしくね」

そして、また頭を撫でられた。

僕は、芭蕉さんの温かい手や、笑顔が大好きだった。

こうして、6歳の僕は、未来に戻れるまで芭蕉さんの家で暮らすことになった。

「あぁ、それとね。ちょうど、君に年の近い……うん。まあ、私に比べれば近いってだけだけど…。

 12歳の男の子も、ウチでは預かってるんだ。仲良くしてくれるかい?」

「…うん」

仲良くなれるか、少し不安だったけど、とりあえず返事をした。

すると、芭蕉さんは笑顔で頷いて、「おーい、曽良くーん」と、名前を呼んだ。

間もなく、足音が聞こえてくる。

少し、自分の鼓動が大きくなった気がした。


「なんです?」


顔を出したのは、端正な顔をした、だけど無表情な男の子だった。

男の子は、僕をチラリと見ると、すぐ芭蕉さんに目を移した。

「今日から、ウチで預かることになった、菅波彼方君だよ」

僕は、少しだけ頭を下げる。

「曽良君は、お兄さんなんだから、面倒みてあげてね。この子の事情は、また今度、説明するから」

「嫌ですけど?」

「うそん!?松尾バションボリ…」

「嘘ですよ。分かりました」

頷いた男の子は、正座している僕の前に、腰を下ろした。

「河合曽良です。よろしくお願いします」

「菅波彼方です…」

綺麗な男の子だなぁ。それが第一印象だった。

芭蕉さんは、そんな僕たちの様子を微笑みながら、見て、慌てて、立ち上がった。

「あ、じゃあ、私、ちょっと用事があるから、曽良君、一緒に遊んであげててね」

「はい。…では、行きましょう」

「………」

僕は無言で立ち上がると、慌てて河合さんの後を追った。

それから、僕たち3人の生活は始まった。

「年上の人や、目上の人には、敬語を使いなさい」

「箸ぐらい、正しく持ちなさい」

「男のくせにすぐ泣かない」

河合さんは、苦笑する芭蕉さんに「そこまで言わなくても…」と言われながらも、僕に礼儀や作法を叩き込んだ。

そのおかげか分からないけれど、今でも近所の人などに「礼儀正しいね」と褒められる。

まあ、そんなことはおいておき。


そんな日常を送っていると、徐々に、僕の中での河合さんや芭蕉さんの存在は、大きくなっていた。


特に河合さんは、僕のあこがれの人でもあった。

後々、河合さんの口調を僕はマネて、誰にでも敬語で話すようになった。

表情も似せているうちに、だんだんその状態が楽になっていた。

なぜそこまでしたか、なんて…理由は簡単。

まんまと惚れていたのだ。河合さんに。

初恋に気づいて半年、この世界に来てちょうど1年ほどたつその日の夜に、いつものように二人で一緒の布団に入っていた。

そして、その日僕は決心を決めて、とんでもない告白をした。


「…僕、大きくなったら曽良さんと結婚します」


今考えれば、何てことを言ったんだろう、なんて思ったりする。

だけど河合さんは、少し驚いたようにキョトンとしたけど、

「…へぇ。楽しみにしてますね」

と薄く微笑んだ。

そうして、河合さんは僕の額にキスを落とした。

そして、次の日の朝。


目が覚めたら、久しぶりに自分の部屋にいた。


1年前とは逆で、今度は家中、河合さんと芭蕉さんを探し回った。

けれど、リビングに行くと、1年ぶりに見る家族の顔があり、同時に涙がこみ上げてきた。

家族と再会できて嬉しかったからと、もう二度と、あの二人には会えないと思い悲しかったから。

母さんに抱き着いて、泣き喚いた。

そしてなぜか、現代ではまったく時間がすすんでおらず、日付は、僕が布団ではなくベッドに入った翌日だった。

あの3人で過ごした日々は、長い長い夢だったんじゃないかと思うほど、1年前と変わっていない現代の世界。

幼い僕は、いつまでたってもあの日々が忘れられず、いつまでたっても、河合さんに淡い恋心を抱いていた。


そして、11年たった今。

ようやく、河合さんへの思いも吹っ切れた頃に。

…僕は、河合さんと再会した。

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