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俺の中で答えが出せたのは、それから1週間後のことだった。

「もう、終わりにして下さい。」

この前まで俺を優しく見つめる視線とか、コーヒーカップを持つ長い指にも、それから全身から漂う大人の余裕にも鼓動が高鳴ったはずなのに、今松島さんを目の前にしたら罪悪感しかなかった。
大好きなこの人を裏切ってしまった。
でも、そうなった事に後悔はない。
重森との事を過ちにしたくないから。

梅ちゃんと会ってから、松島さんの事も重森の事も真剣に考えたけど、やっぱり俺には二人との関係を続けるのは無理だという結論に至った。
重森との事はまだはっきりとはしていないけど、松島さんとはもう限界なんだと思う。
それを告げるために、忙しいのは承知の上で、松島さんに会社近くの喫茶店で、今こうして会ってもらっているのだ。
きっと、松島さんと会うのはこれで最後。
寂しいのと罪悪感とが入り交じり、複雑な心境だった。

「理由、聞いてもいいかな?」

予測していたかの様な、落ち着いた表情、いつもと変わらない声色。
どんな時でもけっして動揺しない、冷静な人…この人はそういう人だ。
こういう所も、本当に大好きだったんだ。

「好きな人がいます。」

「そうか。」

一息つくようにコーヒーカップが傾けられる。
その動きを追うように見つめながら、松島さんの言葉を待つ。
俺の言葉で、松島さんが怒っているのか、悲しんでいるのか、表情からは全く読めない。
どう思っただろう?俺の事なんて遊びだったから大したことじゃない?
たとえ怒られても俺が悪いのは事実だし、責めたてられても全て受け入れる覚悟をしていたのに、松島さんが口にしたのは意外な言葉だった。

「…これだけは、信じてくれないか?これでも僕なりに悠を愛していたんだ。矛盾しているとは思うが…って今更言うのは遅いか。」

ためらいながら言われた言葉に、驚いた。
別れを決めた今でも『愛していた』と言われ、素直に嬉しかった。
俺は、ちゃんと松島さんに愛されていたんだ。
けど、それを聞きたかったのは今じゃない。
もっと早くその言葉を聞かせてくれていたなら、こんな風にはならなかったのに。
そうじゃない。
どっちにしろ、終わりにしなくちゃいけなかったんだ。
松島さんにはちゃんと帰る場所があるんだから。

「本当に君には辛い思いばかりさせてすまなかった。」

「いえ、俺の方こそ。いろいろありがとうございました。」

店を出てから別れ際に、スーッと松島さんの手が伸びてきて俺の頬を優しく撫でる。

「悠はもっと、欲張りになりなさい。じゃないと大切なモノを逃してしまうよ。」

一瞬だけ寂しそうに向けられた眼差しから、初めて彼の気持ちが見えた気がした。
そのまま去ろうとする背中を引きとめ、とっさに自分でも考えつかなかった言葉が飛び出した。

「あの、俺が言うのも変ですけど、…奥さんとお子さんの事、大切にしてあげて下さい。」

まさか、こんな事言う時がくるなんて思いもしなっかた。
松島さんも驚いた顔をしていたけど、僕の言葉をしっかり受け止めるように

「そうだな、元気で。」

そう笑顔で手を振った。
松島さんの背中が歪んでも見えなくなるまで見送った。
心の中で『さよなら』と『ありがとう』をつぶやいて。
これで本当に終わったんだ。
疑ったり、辛かったり、泣いた時もあったけど、俺はそれなりに幸せだったんだ。
本当に、本当に松島さんが大好きだった。
だから、これで良かったのかもしれない。
それでもやっぱり恋の終わりは悲しくて、背中を見送ったあともしばらく涙を止められなかった。



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あきゅろす。
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