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WORLD END
交錯

 人がひしめき合い、誰かが話しているわけではなく煩雑な音のする、古いオフィスビルの中。

「うん、じゃあ、向こうの支店に移るのは20日の月曜からだけど大丈夫かな」

 スーツの男は書類に判を押しながら、おどけつつ明るく言った。

「…でも、本牧くん、ほんっとーに行っちゃうの〜?」

「はい」

 ホンモクと呼ばれた切れ長の目の青年は、口が小さいために少し厚めに見える下唇を薄く引き伸ばして陽気に笑った。

 ここは株式会社C&Dの東京に次ぐ利益率2位の大型支店。アイスグレーの地に襟とボタン止めのラインだけが黒色の半袖の制服を着た人々が、所狭しと何十人も横行する。
 入社して半年も立たない本牧には、自分の家の近所に同じ支店が出来た事が非常に魅力的に感じた。
 先日、その支店にヘルプと呼ばれる遠征があり、その時、元来こちらの古いオフィスで働いていた幸浦に

「本牧くん、家こっちのが近いんだからおいでよ」

 と誘われたのがきっかけで、偶然にも二次募集があり、本牧はそれに応募したのだ。
 その結果、移動のための審査を通過し、先程、支店の移動が決定したばかりだった。

「お世話になりました」

 少し笑いながらサラサラの髪の頭を下げると、スーツの男は顔をくしゃくしゃにしながら笑い、「うまいことやんなよ〜」と背を叩く。
 本牧にとって、港北営業所は仲の良い知り合いが1人しかいない。だが、なんとなく上手くやっていける自信はあった。
 そもそも、今から行く支店はベテランの人間しか居ないのである。自分がずっと気楽な下っ端で居られるという事実も、本牧に取ってはこの上ない魅力であった。
 友人と一緒に入社した会社だが、うまくベテランと馴染んだ自分だけが取り残されいつの間にか友人は辞めてしまって連絡が取れなくなっていた。
 元々、他人にあまり深入りしないのが本牧のルールである。辞めてしまった友人といえど、あまり気にはならないのも事実だ。
 自分と私生活に関わる人間以外、どんなに仲良くしていてもあまり興味のない本牧にとっては、今ある職場に未練はほぼないと言っていい。

 意気揚々と営業所を出ると、来週からの新しい営業所がどんな所なのか、楽しみに家路に着くのだった。


***********


 前の営業所で移動を言い渡され、週が明けた火曜日の朝。

 国鉄港北駅から、徒歩7分の大通りに面したオフィス街のビルの中。
 本牧周一は、一仕事を終えて戻ってきた事務所で、書類を確かめて記入漏れがないかをチェックしていた。
 新しい営業所は、外見も内装も出来たばかりだという事を思わせるのに充分な、非常にキレイなオフィスで、前の営業所の朽ちたビルとは比べものにならない、別の会社なんだなと、本牧には思えた。

 真っ白な壁、敷いたばかりのオフィスカーペットタイル、キレイなパーテーションで組み上げられた更衣室。
 以前の営業所では2人で1つを使用するロッカーが、ここでは当たり前のように1人1つ、鍵付きで持たされる。
 本牧は一通りの書類を書き終えて男子ロッカールームへ戻り、営業所が別れてから、久しぶりに会う友人とご飯を食べに行く事にした。ふと、ロッカールームを出た先で、見かけない女性が友人と共に笑いあっている。

「カミさん、お疲れ。飯食いに行くけど行く?」

「葉山さん、お疲れ様〜。うん、いつものとこ?」

 うんうんと頷いて片手を上げる友人、葉山は本牧が着替え終わってロッカールームから出て来たのを確認すると、神在が制服を着替えるために女子ロッカールームへ向かうのを見送った。
 ふと、すれ違い様に本牧はひらがなで表記されている名札バッジの名前を確認した。

―――カミアリ、さんか。

 外見から判断して、本牧は自分より大分年下であろうと推測する。だが、バッジの色を見れば、責任者クラスである事は間違いなく、本牧にとって敬語の対象――自分より上の存在である、という分類に瞬時に振り分けていた。
 ソバージュの肩を越える髪に、白磁の肌、お世辞ではなく大きな瞳。流した前髪はダークブラウンであることを蛍光灯の反射が作り出した天使の輪で伺いしれる。
 小柄な少女ともとれる女性カミアリは、屈託なく本牧の友人、葉山と仲良く笑っていた。
 本牧は元来、人見知りが激しく、女性もあまり得意ではない。
 だが、カミアリ、という珍しい名字はどこかで本牧には聞き覚えがあり、友人の葉山と仲は良いし、何より自分より職位が上なら仕事を共にする機会も多いだろう、と打算を働かし、一緒に食事する位ならなんとかなりそうだと思えた。
 葉山は本牧と同期の友人だ。入社日も一週間程しか変わりはなく、休憩中にタバコを吸う仲間として良く出会う2人は自然と仲良くなった。
 この新しい港北営業所では、元居た営業所の大ベテラン陣と、期待のルーキーと言われた中堅ベテラン以外が基本的に存在しない。
 港北営業所からの純粋培養の新入社員ならば、バッジの色で新人だと判るので、神在は必然的に前の支店から来た存在となる。
 この会社で10年近く働いている幸浦と仲が良いことから、神在はかなりの古株ではないかと本牧は推測する。真実は存外違う所にあるのだが、まだ本牧は知る由もなかった。


***********


 オフィスを3人で出てから、5分で着く24時間営業の定食屋。自動扉をくぐると、食券販売機を見て他愛のない会話をしながら各自食事を選んでいく。
 葉山はいつものように、食事をしながら、陽気に仕事の話を話し始めた。あまり返答を必要としない一方的な話題が本牧には楽でいいと思える。
 神在も無理に本牧に話を振るでもなく、流れに任せて相槌や質問を返していくだけで、本牧の事を深く詮索しようとはしない。これもまた本牧にはなかなか嬉しい要因であった。

「カミさん、明日もユザワの責任者っしょ。ユザワって、どうなの」

「んー、カウントは楽だと思うよ。問題はその後かなぁ。今日も軽くハマりかけたし」

「差異リストってやつね、ハイハイ」

 葉山は、密度の濃くて長い睫をした黒目がちな目を軽く閉じ、皺深く浅黒い肌をした額に軽く手を当てる。そのまま黒く短い前髪を軽くかきあげるとため息をひとつついた。
 葉山は外見からそれなりの年齢――30代中盤に見られ易くあるが、実際の所、本牧の1歳上でしかなく、まだ20代と案外若い。
 本牧は、葉山の年齢を考え直すと、もしかしたら神在が葉山の交際相手かなのではと思いもしたが、どうやら話を聞いているだに本当にただの友人のようだ。

「明日、本牧ちゃんもあれか、ユザワだっけ」

「そうっすね」

 葉山の質問を軽く返すと本牧は味噌汁をかき込む。
 年齢の近さも、葉山と本牧が仲良くなるきっかけだったと言えるが、根本的な所でこの二人は相性が良かった。葉山は一方的に自分の話を話していたいタイプ、本牧は基本的に詮索されたくないから話を聞いていたいタイプなので、単に友人として相性は抜群に良いのだ。
 話が途切れて豪快に食を進める男二人に挟まれ、今日初めて会ったと思われる本牧をよく知らない神在は、どうしたものかと考えて、出来る限り当たり障りのない話題を、本牧へ振ることにした。

「そういえばさ、本牧くんって、いくつなの」

 童顔な本牧の顔立ちから自分より年下ではないか、と判断した神在は、サラダに箸をつけながら、年齢を尋ねる。
 本牧はちらっと上目づかいに神在を覗き、少し厚めの下唇をすぼめながら答えた。

「…26ッス」

「一個違いなんだ」

 え、と本牧はいつもの癖で片目を少し開いて驚く。少女とも取れる外見の神在は、私が本牧くんのひとつ下だよ、と教えた。

―――1個下かよ。

 お互いに、自分より大分下だと勘違いしていた2人は、この日、外見と年齢は必ずしも一致はしないのだと改めて認識するのだった。


***********


 その日朝早くに、旭遼輔は、自宅で神在にメールを打っていた。

「明日、俺何時だっけ」

 書きかけのメールを閉じて、携帯のカメラ機能で取ったシフト表の写真を確認する。
 そこには20時出発、旭遼輔、葉山雄、本牧周一、など何人かのベテランの名前が並んでいる。
 旭が携帯から目を離すと、つけっぱなしのテレビから、またもや家電量販店で起こった猟奇殺人のニュースを、盛んに報道している。
 自分には関係のない話だとテレビの電源を消すと、キッチンの換気扇を回し、軽めの煙草に火をつけて一服しながらまたメールを打ち始めた。
 部屋の照明を消してもまだ明るい朝日がカーテン越しに差す。ベッドにはキャバクラの仕事から帰ってきた彼女が、すやすやと寝息を立てている。
 長くなった煙草の灰を落とし、灰皿で火種を何回も潰して消した。

「おし、寝るか」

 神在にメールを送信した後、いつも通りの朝7時台に彼は自分のベッドへと潜り込んだ。



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