『……!』 誰かの、叫ぶ声。 それも理解出来ないまま、ゆっくりと時間が遅くなったように胸から鮮血を迸らせた体を、倒れゆく様を、ただ見ているしか出来ない。 自分の体が固まって、時間に追いつけず、支えに走ることも出来ない。 誰かが、走り出す。 抱き止めようと、懸命に。 それも間に合わず鈍い音を立てて、床へと後頭部から背中へと跳ねるように体が倒れて、時間が動き出した。 *********** 地方新聞の三面に、家電量販店での警備員が真夜中に相次ぐ怪死を遂げる、というオカルト地味た記事が記載されている。 オフィスビルの屋上、喫煙スペースでのんびりと煙草をくゆらせていた、体格のいい男、佐川は眉をしかめた。 隣で、煙草を吸いながら噎せる、青白く平面的な顔の男が、佐川の目が新聞から離れるのを確認して話しかけた。 「所長、次のユザワどうしますかね」 ユザワ、というのは地方大手である家電量販店の名称だ。自社の顧客であるユザワに行かない理由などはない。 隣の男が聞いたのは、仕事を受けるか否か、ただその確認であろう。 「行くしかないでしょ」 一言で切り捨てる佐川。それに少し間を開けて、隣の男、座間は煙草をもみ消した。 「せめて、女性はある程度外しますか」 「でも、沖田さん的にはカミを責任者で行かせるつもりなんでしょ」 座間は二本目の煙草に火を着ける。紫煙が空気中を漂った。 「あいつ、話聞きゃしませんから」 外に視線を逸らした座間が深く息を吐くと、煙草の煙が緩やかに流れ出す。睫の長い目を細めて眉間にシワを寄せた。 「まぁまぁ、そこは俺が言っとくからさ。座間くんは他の現場がダメにならないように、沖田さんに目を光らせておいてよ。なんなら、俺がユザワに立会、行ってもいいし」 「いや、それは…」 「大丈夫だって、なんとかなるっつーの」 楽観的な笑顔で佐川が肩を大仰に叩くと、座間は更に顔を青白くしながら大袈裟にむせた。 顔は青白いが、座間も年齢相応には筋肉があり、体格は悪い方ではない。 しかし、体育会系の骨格をした佐川と比べれば、どうしても見劣りする。 そんな佐川が力いっぱい叩けば、座間でなくてもむせてしまうのは仕方がない事だと言えた。 どちらともなく煙草をもみ消して灰皿へ吸い殻を放ると、屋上からエレベーターへと続く短い階段がある扉を開け、2人は事務所へと戻り始めた。 *********** ホワイトボードに掲示された現場予定表を眺める2人の制服姿がある。長身細身の男性、幸浦は隣にいる小柄な女性に話しかけた。 「月曜、ユザワやるのか、行きたくないなー」 「そうですねー」 最近、家電量販店で深夜に怪事件が起きている事は、もうすでに周知の事実となっていた。 「俺は何かあったら、カミ残して逃げるから」 細い目を更に細くして笑いながら、「じゃっ」と手を上げて帰る仕草を見せてカミと呼ばれた女性をからかった。 何事もなかったように、カミと呼ばれた女性は棒読みに応える。 「はい」 「はいって…」 笑いながらカミを見返す幸浦。 カミこと、神在結衣子(かみあり・ゆいこ)には、この先輩とのいつものやり取りに半分投げやりに肯定で応えるのが日課となっていた。 「っていうか、カミ以外男くさい面子ばっかじゃん」 ホワイトボードに掲示された現場予定表を指差して、幸浦はまた笑う。 「強くていいんじゃないですか」 自分以外が全員男性であることを確認した神在が、いつもの投げやりとも本気ともつかない抑揚の少ない応えを返した。「それはそうだけど」、と返す幸浦に神在がいつも通り抑揚の少ない声で話を変える。 「差異リストやりたくないんですけど」 「俺もやりたくないよー。ふふふ、カミがんばんなね。俺、先に帰るから」 「はい」 予定表では幸浦は神在と共に最後に帰社する予定になっている。だが、返事をややこしくした方が面倒だと判断した神在は、またもや適当に応えた。 ここ一年、同じ現場にいる事が多いこのコンビは常日頃からこんな会話だった。 この2人がいるのは、港町にある商業区のオフィス街の一角にあるビルの一室。株式会社C&D(チェック・アンド・デジット)という会社の事務所―――営業所だ。 大手量販店から個人経営まで幅広く取り扱う棚卸し専門会社。 閉店後から開店前までに終わらせる作業の為に、夜間の業務が主となっている。この神在と幸浦もそんな夜勤業を生業とする2人だった。 「カミなんか女の子だから真っ先にマヨナカテレビから出て来たおばけに食べられちゃうよ」 「ただの愉快犯だと思いますけどねー」 怖がらせようと幸浦は両手を幽霊のイメージによく使われるポーズにするが、何も気にしないように神在は棚卸しに使う機材をチェックし始めた。 「おい、カミ」 そんな会話に所長である佐川が割って入る。 「人数いるし、大丈夫だとは思うけど、なんかあったら、すぐ連絡すんだぞ」 怪事件が起き始めてからは初めての家電量販店という現場に、心配したのか佐川は神在の背中を軽く叩く。 少しよろける神在が、迷惑そうに振り返った。 「こんだけ強いメンバーなら終わりますから、大丈夫ですよ」 マヨナカテレビや怪事件の事を言われたのではなく、仕事の成績の問題で話し掛けられたと勘違いした神在は、業務上の作業工程を逡巡しながらそう応えた。 「まぁ、締めは心配ですけど」 「マジで変質者とかいたら逃げろよ。シャレになんねーからさ」 あぁ、そのことか、と神在は今まで話していた怪事件に頭を切り替えて、「わかりました」と素直に答えた。 神在も怪事件の犯人が怖くないわけではないが、こんな20人近くで行う棚卸しの日に、事件の犯人が寄ってくる事など、無謀過ぎて有り得ないだろうと考えていた。 しかし、職務上の上司である佐川の心配も察せないわけではないので、ありがたく受けておく事にしたのである。 「おはよーございまーす」 ちらほらと今日の現場のメンバーが集まりだし、事務所のドアから挨拶が交わされ始める。 そこで会話は終わり、皆、一様に今日の業務の準備に取りかかるのであった。 *********** マヨナカテレビ。 雨や霧の夜0時に、電源を入れていないテレビを見つめると、自分の未来が見える―――。 そんな噂が立ち始めたのは去年の夏からだった。 今では大分噂も進化し、雨や霧の夜中0時に、電源の入っていないテレビを見つめるとテレビ番組表にない番組、マヨナカテレビが見られる、とか、マヨナカテレビを見続けると幽霊がテレビから出て来て殺される、など、実際の事件と混同され始めて、ゴシップ誌をおおいに賑わせている。 この噂は、実際の事件で被害者が「テレビ…」と漏らした事から始まったという。 事実関係はハッキリしないものの、まことしやかに流れるようになったというわけだ。 事件も、雨や霧の日だけを狙って行われている事や、被害者がほぼ0時で1〜2名の時に犯行に及ばれている事から警察もその時間帯だけは見回りを強化する事にしているらしい。 マヨナカテレビにかこつけた、愉快犯の仕業であろうというのが世間一般の見解であった。 以前にもどこかの街で似たような殺人事件が起きてはいたが、犯人はとうに逮捕されている。 模倣犯の類と見て、警察当局は、地元警察と連携を強くし、検問や深夜のパトロールに勤しんでいた。 夏川大輔も、そんな検問に人手が足りなく駆り出された現場の刑事の1人だった。 大きく欠伸をしたかと思うと、コンビニのビニール袋から牛乳のパックとパンのビニール袋を取り出す。牛乳にストローを差して一吸いし、おもむろにパンのビニールを破ってかぶりつく。 「アンパンうめぇ」 深夜にアンパンをかじりながら多少サボっていた夏川は、ふと、電柱の上に何かの陰を発見する。 「………」 気になって近寄ってみれば、雨も降っていないのにポタリ、と何かの雫が目の前に落ちてきた。よく目を凝らした夏川が、驚愕で叫ぶ。 「うわあぁぁあ!!!!」 紛れもなく、それはアンテナから逆さに吊された人間だった。 |