鳳凰戦華伝 陸 月が高くなりはじめたころ、闇夜に乗じて月下と美和が街のような屋敷の中を駆け抜けていた。 草木も眠る刻限だというのに、この屋敷は寝静まる事を知らぬようだ。 そんな最中だから、闇夜に乗じて、とは言ってもさほど暗くはない。 「貴女、やるわね」 自分の背後を駆け抜ける美和に微笑みかけた。 それなりに鍛練を積んでいた月下はともかく、この間まで普通に生活していた美和に、そう持久力があるとは思わない。 その美和が、しっかりと月下の後を追っている。 月下の微笑みを受けた彼女は、こちらも多少の微笑みを返した。 「けっこう、キツいんですがね」 一般人を自負する美和にとってはなかなかの苦行だが、その体力は意外にも尽きる事を知らない。 満足そうに笑みを零した月下は、さらに速度をあげた。 無論、着いて行かざるを得ない美和も、やはりそれなりの距離がありながら、着いてきている。 椿が何者かに連れて行かれて、数刻が経った。 それまでの静寂を知らぬこの屋敷に、ある空気が渦巻いた。 曰く殺気の類だと言うが、実情は定かではない。何せこちらは二人、相手は不特定多数だ。 確かな情報を得るには、確かな情報源がいる。 そして少なくとも、彼女らに友好的な態度を見せた頭領以下数十名は信頼できる相手である筈だ。 結論から言えば、頭領以下数十名に協力を仰ぐのが一番であった。 が、現実はそうもいかない。 そもそもこの広い屋敷の中から、彼らがいる場所を探すのが困難だ。 探し当てたところで必ず協力してくれるとは言い難い。 加えて言うなら、彼女らの後を追う不穏な影。 敢えて答えを言わずとも、雰囲気と手に握る物騒な刃のお陰で彼らの正体は一目瞭然だ。 「さぁ、走り抜けるわよ〜」 緊張感も何も無く、月下はのんびりとその足を速めた。 さすが、今はいない椿の君に付き添っているだけあって、足腰は強い。 後ろの美和も少々辛そうにしていたが、やはり足に力を込めると月下の後を追った。 どうやらこの屋敷は平坦な作りのようだった。 見たところ高い建物は見当たらない。 広大な敷地もそうして有効に活用されているのだろう。 さて、二人は酒場を中心に颯雲らを探索していた。 広大な敷地を恨むばかりだが、そのうちにどうも絶望的に感じられなくなった。 自分たちが通った道を、美和が記憶していたのだ。 無論、地図を書きながら進んでいるのではない。 彼女の頭の中には颯雲の部屋で見た、正確には勝手に盗み見た屋敷の見取り図が頭に入っているらしい。 道を記憶し、通った道を行きそうになれば美和が道の指示を出した。 そうして確認した酒場の位置を、頭の地図で印を付け、また別の酒場に向かう。 驚くべき記憶力だった。 新たに情報を付け足しながら、しかも月下とそれなりに会話しながら、その記憶を駆使していた。 驚くほど安定した記憶の中、探索は続けられた。 五、六軒まわった辺りで、ようやくその姿を見つけた。 「あ、なぁ頭領。あれ、椿姫と一緒の子じゃないっすか?」 すでにいくらか酒が入った様子の青年が入り口を指差して言った。 その青年の近くにいた颯雲もならって入り口に目を向ける。 黒髪をひどく揺らした姿がかなり様になっていて、よく目立つ相方を持ちながらも、彼女自身も器量良しの美女なのだ。 そんな月下の後に続いた美和は、慣れない空間に気後れした様子ながらも、その足取りはかなりしっかりしていた。 気丈な態度で辺りを見回すと、すぐさま颯雲達に気づいた。 月下の肩を叩いてそちらの方を指差す。入り口から彼らがいるところまでそれなりに距離がある。 すなわち、月下と美和の位置から颯雲らの位置まで距離があると言うことだが、そんなもの、あの花椿の相方である月下には、無論、ないようなものだった。 仮にも幻黎組は猛者の集まりだと言うことを忘れないでいただきたい。 突如現れた美女二人に、酔っ払った男たちは次々に声を掛けた。 が、美和が何かしら言う前に、その男たちは宙を舞った。 美和の前を歩く月下が、その腕の一振りで言うなれば投げているのだ。 しかも恐るべき速さで歩を進めている。 着いてきている美和にいっそ感心だ。 「力を貸しなさい。颯雲」 あっという間に颯雲らの卓に近づいたかと思うと、上にあるものを叩き落とす勢いで卓を豪快に打った。 さすがに美和はそこまではしなかったが、苦笑いながら止めないところを見ると、どうもかなり状況は良くないらしい。 「何があった?」 颯雲が言えば、潔く月下も凄むのを止めた。 「椿がどっかの組の下っ端のカス共に連れてかれたわ」 辛辣な答え方に、意図するものが完全に含まれていた。ほろ酔い気分だった周囲の者達も、瞬時に真面目な顔つきになった。 「貴方たちの中にも、派閥があるでしょう。おそらくはその一派です」 美和が月下のあとに続いて静かに言った。月下よりも幾分冷静な声が、余計な信憑性をつける。 「頭領、こいつは……」 幹部らしき青年が、慎重に話しかける。 どうやら心当たりがあるらしかった。 渋い顔をした颯雲も、小さく舌打ちをしてから二人の美女に向き直った。 「丁度、俺に刃向かってる一派が活発に動いてる。指導者の名は雷牙。拠点は屋敷の北方の端だ」 つらつらと基本的な情報をあげた颯雲は、苦渋の表情をしていた。 見たところ、組内部である程度の信用を勝ち取っている颯雲だが、人が集まれば相応の反発が起きる。 悪い頭ではないようだが、やはりそのやり方が気に食わない者もいると言う事だ。 「それだけ分かれば充分。ありがと。邪魔したわ」 情報を美和が完全に記憶したのを感じとり、月下はさっさと踵を返した。 続く美和も、軽い会釈をした後に月下を追った。 「って、おい、ちょっと待て!」 「なによ?」 あんまりにも簡単に去ろうとするので、うっかり数秒は思考が停止していた。 慌てて颯雲が呼び止めて、周囲の青年たちも意識を取り戻した。 「あんたら、二人で行くつもりか?!」 「止めとけ止めとけ!今は気ぃ立ってる奴も多いし」 「いくら何でも危ねぇだろ!?」 「第一、あいつらをシメるのは俺らの仕事だ。さすがにそれをあんたらに渡すわけにゃいかねぇよ」 口々に止めようとする青年たちだが、二人の瞳には欠片も迷いは無かった。 その証拠に、体の向きは彼らに向けられたが、その足の片方は既に出口を向いている。 用が終わればすぐさま駆け出す気満々だ。 「悪いけど、時間が多分ないの。心配しなくても、その雷牙とか言う馬鹿野郎に無闇に手ぇ出さないわ。私達はね」 「つまり、捕まった姐ちゃんは分かんねーってか」 渋い顔で返答した颯雲に、月下は笑顔を返した。 我が意を得たりと言った顔だ。 「ご名答。残念ながら彼女の場合、怒り心頭で会った瞬間タコ殴りかもね」 仕方ないと言った風な月下に、今度はにっこり笑顔な美和が告げた。 「もし、あなた達が落とし前って言うものをつけたいなら、あの人が雷牙さんを見つけ出す前にしなくちゃいけませんね」 美人の笑顔は非常に怖いものだった。 うっすら血の気が引いた彼らを協力者に、二人は拠点と言われた一角に向かった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |