鳳凰戦華伝 漆 とうとう月が真上に来たころだ。 相変わらず位置特定ができないまま監禁された椿は、しばし閉じていた瞳を開いた。 この場所がどこなのかも、実際よくわからない。 連れて来られるまで目隠しなどされていたわけではないが、彼女にとって道を覚える所業は苦手分野だった。 むしろ目隠しでもされた方が感覚で覚えられた。 悔やんでも仕方ないわけだが、恨み言の一つや二つ仕方がないと、口には出さないが頭の中で散々に言い募った。 記憶力があまり良くない割には、罵倒の語彙は驚くほど多い。 頭上に纏められるような形で腕は鎖で絡められていた。 足は自由だが、座った状態なので立ち上がるのは無理そうだ。 相変わらず罵倒を続ける脳内で、逃げ出す方法を考え出した最中だ。 おそらく入り口である襖が開いた。 大人しく気絶したふりを再開したが、入ってきた人間は思ってもみない行動に出た。 腕に巻かれた鎖が解かれ、そのままどこかへ運ばれる気配。 瞳を閉じていたからか、今度はある程度道を覚えられた。 バレないように瞳を開いてみると、自分をここに連れてきた男とは違った。 見覚えのない姿に警戒心を感じたが、敵意はないらしい。 ひとまずは問題ないかと思い、運ばれるままに身を任せた。 協力者を得た月下と美和は、拠点だと言う屋敷に辿り着いていた。 聞けば雷牙と言うのは、組の中でも上格らしく、寝泊まりしている屋敷があると言う。 幹部やそれに近い組員にはそれなりの住処が与えられ、下っ端になると、宿舎のように二人一組で部屋を分けているらしい。 屋敷の前で張っている一人の青年が、見張りがいなくなったのを見計らって、潜入を開始した。 そもそも同じ組員の仲間なので、不信がられないようにするのは簡単だ。 「ちょっと、あの少年大丈夫なの?失敗したらタコ殴りよ」 物陰に隠れながら脅すのは、もちろん月下だ。 傍らに同じように隠れる颯雲は、複雑な心境を如実に現した表情をしている。 「大丈夫だろ。なかなか器量のある奴だからな」 とは言いつつも、颯雲が気になるのは全く別の場所だった。 「にしても、あんた一体いくつだ?あいつ、少年の年齢じゃない筈なんだがな」 「あら、そうだったの?私にとってはまだまだ少年よ。せいぜい十九辺りでしょう?」 「だから、あんたいくつだよ」 「年齢不詳よ」 「二人とも静かにしてください」 即座に美和の叱責が飛ぶ。 冷静さに定評のある椿がいない今、存外破天荒な月下を止めるのは彼女しかいなかった。 どこか女性に弱い颯雲はそれにおいては役に立たない。 「戻ってきたわ」 潜入した青年が思ったより早く戻ってきた。 「どうだった」 颯雲が声を落として聞けば、青年も周りを確認して物陰に隠れた。 「やっぱり見知らぬ女が一人捕まってるって言うのは確かみたいです。詳しく事情を知るのは上の人だけらしく、場所は特定できませんでした」 青年が報告を済ますと、月下は険しい顔付きで屋敷を睨んだ。 造りはそう複雑ではない。 おそらく宿場町にあるような宿の造りと同じだろう。 問題は屋敷を出入りする男達と、おそらく仕掛けられているだろういくつかの罠だ。 男達はどうとでもなるだろう。 最強戦力である椿がいなくとも、月下一人で大概は倒せる筈だ。後援の美和もいるし、協力者もある。 となれば、一番の問題は罠だ。 仕掛けられていないと言う都合の良い展開があればいいが、人生そう甘くはない。 それを解けるだけの技量と頭脳があれば事欠かないが、罠の内容に検討もつかない今、月下が解くのは難しい。 さて、どうしたものか。 「少年。内部に罠とかありそう?」 少年と呼ばれた青年は一瞬反応が遅れたが、問いには素直に答えた。 「いくつかあります。解除出来れば良かったんでしょうが、解除手順がどうもややこしくて」 「解除は無理そう、か」 そうなれば、多勢に無勢だ。 向こうの人数は把握出来ないが、出入りする人を数えてもさして多くはない。 人数で攻めればどうと言うことはない。 「いいえ。私が解除します」 不意に美和が進み出た。 確かに彼女が頭が良いことは知っているが、それでも難しいものはあるだろう。 「それはありがたいけど、出来るの?解除する手を取るなら、大人数で行くわけにはいかない。私と貴方と、せいぜい一人か二人よ。失敗したら終わるわ」 「大丈夫です。工学は好きなんです」 忠告はしたが、妙に自信のある様子なので、月下は任せてみることにした。 確かに彼女は記憶力が良く頭もいい。 孤児院の子供に勉強を教えたのも彼女らしい。 勉強する過程で工学を知っていても何ら不思議はない。 「聞いたわね。貴方達の中から、案内役を二人選んで。なるべく、じゃなくて絶対下っ端ね」 これを聞いた下っ端は少々苦い顔をした。 一応下っ端であることは認識しているが、あまり人には言われたくないものである。 月下の提案を聞いた美和が閃いたとばかりに口を開いた。 「その案内役の一人は、私が罠を解除したら貴方達の所に戻します。そうしたら貴方達も突入して下さい。自分たちの問題は自分たちで片付けたいそうなので」 道理だが、優しく微笑む彼女の裏にほのかな企みが見え隠れするのは何事か。 美和が本当に言いたいことを悟った月下が、先の美和と同じように口を開く。 「貴方達が入り口でドンパチやってくれれば、私達は簡単に椿を救出できる。貴方達はけじめを付けられる。一石二鳥ね」 我が意を得たりと笑んだ美和は片手を上げて、同じく手を上げた月下と頭上で手を叩いた。 忘れてはならないのが彼女ら二人も椿の仲間だと言うことだ。 あそこまで常人離れした人間に着いていくのだから、二人も大層な精神の持ち主になるのだろう。 決戦を前に多少気分落ち込んだ男達であった。 ところが行動が定まった彼らの動きは迅速だった。 なるべく気づかれずに屋敷に入る為に、ある男は女性ものの着物を二着借りてきた。近くにいた遊女から借り受けたらしい着物は、繊細な刺繍と妖艶な色使いがされていた。 下っ端の中から案内役に選ばれた二人は、そうそうに武器を暗器の類に変えた。 一人は先ほど偵察に向かった青年で、もう一人はそれなりに大柄な男だった。 月下と美和が着替える間、追いやられた男達は装備の確認と医療品の準備を行っていた。 そうして準備が整うまでの所要時間わずか二分。 遊女に扮した月下と美和、その前に立つ彼女らを買ったかのように見える青年ら。 建物の陰には頭領を始めとする青年らの仲間、幻黎組。 さて、救出劇の開幕だ。 [*前へ] [戻る] |