鳳凰戦華伝 伍 そうして、いくつかの情報が流され、その場はお開きとなった訳だが、幻黎組組長と幹部連の好意もあって、三人は部屋をあてがわれていた。 好意的な態度に裏があるかと美和は読んだが、月下曰く、椿が戦っている場面に出くわして、裏切ろうとか思わない、とのこと。 「にしても、物騒な組だってのにえらく華美なところに住んでるのね」 「……幻黎組は、非合法の団体ながら、国との繋がりがありますからね。本来、取り締まられる筈の彼らが何事もなくいられるのは、そのせいもあるでしょうね」 「ふーん」 最早、仕方がない事のように話す美和に気付かれないよう、月下は少々冷たい視線を流した。 そうしてふと、窓辺に腰掛けて煙管を手にしている椿に目を向ける。 曰わく、基本的に吸わないらしいが、時折口寂しさに、くわえて吸う事もある、のだそうだ。 窓の外は、もう夜半に近いと言うのにも関わらず、賑やかな雰囲気を失わないでいた。 本当に町と見紛う程の活気に溢れ、自分達がどこかの宿に泊まっている様な感覚に陥る。 「まぁ、いいけどね。結局、ある程度の情報は手に入ったし。今後、どうするのかは彼女次第だけど」 言いながら、月下は寝台に転がった。 適度な硬さに保たれた布団は、どうも眠気を誘うようだ。 疲れていたのか、転がってみると案外簡単に瞼が下がる。 数分と経たない内に寝息を立て始めた月下を見て、美和は一人微笑ましげに眺めていた。 ふと気付いて近場から掛布を持ってきて掛けてやったり、匂いの良い香を棚から探し出して付けていたり、しばらくは細々と働いていたが、やがてやる事が無くなり暇になった。 相変わらず椿は煙管をくわえて窓辺に座り込んでいるし、月下はすでに夢の中だ。 彼女達に着いて来てからと言うもの、美和は椿と月下の性格やらなにやらを微妙に把握し始めたが、花椿と言う人間は、普段は驚くほど無口なのだ。 容姿から見ても饒舌に語る印象は無かったが、喋る事がなければ、頷くなり手を降るなりの動作でしか感情を現さない。 そして美和は、そういった類の性格が苦手でもあったのだ。 明るい人や饒舌な人、また多少引っ込み思案な人まで、美和は誰とでもある程度の関係を作り出せる人間だったのだが。 どうも彼女が相手だとそうもいかない。 頑なに自身に関わる事を拒絶しているかのような、放っとくとどこか別の世界に行ってしまいそうな、そんな危うさ。 破滅型とでも言おうか。 始めてだったのだ。 危険な雰囲気が漂う人間には極力近づかないようにしていたのに。そんな人と話してみたい、隣にいたいと思ったのは。 一人窓辺でいる椿を眺めながら、ぼーっと物思いに耽っていたのだが、ふと彼女がこちらを向いているのに気付き、体を硬直させた。 「な、何か?」 震える自身の声を聞きながら、そっと瞳を椿の持つ漆黒の瞳に合わせた。 剣呑な印象を放つ美貌を曇らせ、その秀麗な眉を寄せる。 椿の視線は、美和を通り越して部屋の入り口に向かっていたのだ。 それに気づいた美和も、入り口に視線を走らせる。 「美和、弓で襖を射れ」 艶のある低音で言われ、一瞬びくりと体を震わせた。 だが、瞬時に側にあった弓矢を取り、座ったまま構える。 「どこを狙ってもいい。突き抜けるぐらいに強く射れ」 「分かりました」 弦を引き絞り、一瞬に放つ。 風を切って走る矢は一直線に進み、軽快な音を立てて襖に突き刺さった。 矢が三分の一程しか見えていないのを考えると、かなり深く突き刺さったらしい。 それを見てとった椿は徐に窓辺から立ち上がり、襖を開いた。 拍子にバキッと矢が折れたが、気にした風は見られない。 それよりも、彼女の視線は自分の首もとに突きつけられた刃と、それを持つ男に向いていた。 「椿さん!」 背後で美和が声を荒げたが、さして聞こえないふりをしてみる。 こうなる事はある程度分かっていた。 ガラの悪いのが揃っているようなこの場所で、乱闘騒ぎが起きない事は、まぁ無いだろう。 ただ、幹部の人間や頭領の男は自分たちに好意的だったので、有り難く好意は受け取った。 それだけだ。 予想以上に身体が疲れていなければ、今夜にも出るつもりだったが。 こうなっては仕方がない。 「何の用だ」 首に刃が付けられたまま、憮然と腕を組んだ。 あまりの余裕綽々と言った態度に腹が立ったのか、より刃が首に近づく。 間近で金属音が響いた。 「貴様らが、頭領の客人だな」 「だったらどうする。私はお前達に迷惑をかけた覚えは無いが?」 「直接的にはな。だが、あの頭領が何の考えも無しに屋敷に人を入れる筈がねぇんだ」 「で、要件は?」 不穏な空気になると途端に饒舌になる椿である。 腕組みを解かないまま、突き付けられた刃もそのままに、相変わらずの態度で受け答えていた。 「頭領が何考えてんのか、知る必要がある。お前のような女がどんな役割を果たすのか。それを調べる。そんな訳だから、来てもらおうか」 「構わんが、大概暇だな、お前」 「黙ってろ!」 男は嘲笑を零した椿に、一閃のもと彼女の腕を切り裂いた。 二の腕に付けられた傷はとめどなく血を流し、余裕に満ちた椿の顔を歪ませる。 「椿さん!」 慌てて駆け寄ろうとした美和に、男は血の付いた刃を向けた。 「動くな!必要なのはこの女だけだ。あんた達も、死にたくなけりゃ大人しくしてるんだな」 美和は律儀に舌打ちして立ち止まった。 気丈に男を睨み付け、すぐにでも矢を射れるように下方で構えている。 予想以上に深かったのか、椿が付けられた傷からは相変わらず血が流れていた。 畳が紅く染まり、後から後から染み込んでいった。 「美和。大丈夫だ。私の事は気にするな」 血が流れているのも厭わずに、椿は珍しく微笑んでみせた。 憮然とした態度は崩れていないように思えるが、美和に見せたその表情は、無表情を見慣れた彼女には少々刺激が強かった。 それっきり、椿は男達と共に行ってしまったし、月下は眠ったままだし、美和は数分の間頭の回転が完全休止状態にあった。 色々あって、めまぐるしく頭が混乱して回転しつづけている。 映像が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、全く考えが纏まらない。 漸く思えたのは、まず月下を起こすことだった。 「月下さん!月下さん!起きて下さい!椿さんが大変なんですってば!ねぇ、月下さん!」 思いっきり彼女の体を揺らし、起きるように促した。 やがて目を擦りながら月下は目を覚ますのだが、まだ完全に覚醒はしていないようだ。 「ん〜、美和?なに、どしたの?」 「どしたのじゃありません!椿さんが連れてかれたんです!」 「は?美和、寝ぼけてる?」 寝台でだるそうに体を起こし、月下は盛大に柳眉を寄せた。 そこらの相手なら殴って黙らせて転がして置くぐらいの力がある椿が、少なくとも美和がここまで慌てるほど、簡単に連れて行かれたとは思いがたい。 「多分、幻黎組の人だと思うんですが、颯雲さんが理由もなく屋敷に入れる筈がないって、私達が何か重要な存在なんじゃないかと言ってました」 「あー、やっぱり来たか。で、その男共に連れてかれた訳ね?」 頭が冴えてきたのか、月下は幾分はっきりと語り出した。 疲れは取れていなかったが、まぁ支障はないだろう。 「その辺の男が椿をどうこう出来るとは思わんけど、でかい戦も無くて気が立ってる男もいるから、そう言う意味ではちょっと危ないかも。頭領に協力的なのとそうじゃないのもいるっぽいし」 寝台に立ち上がりながら、月下は首を鳴らす。 傍らの剣、楓炎を手に取り、腰に帯刀すれば、それだけで戦う意志が伝わってくる。 月下が戦う意志を表した事で、美和にもようやく落ち着きが戻ってきた。 普段通りの、聡明そうな瞳が輝く。 「椿を連れてったって言う男共が頭領派かそうでないかは分からないけど、少なくとも私達の来訪に好意的でないのがいるのは確かね」 「あ、多分それは頭領派じゃないと思います」 取り乱しがなくなれば、彼女の冷静さは目を見張るものがある。 もともとそれなりに頭が良いようだから、一度落ち着かせれば後は彼女自身の頭脳がなんとかするだろう。 「なら、協力者を探すなら頭領派ね。この時間じゃ寝てる人もいるかもだけど、叩き起こしましょ」 「……なんでだ、とか聞かないんですか?」 「貴方がそう言ってんだから、そうなんでしょう」 あまりにも、信用されすぎている気がする。いや、されないよりは良いのだが。 美和はその性質上、人を信用しきるのが得策だとは考えられない人物だったのだ。 だからこそ、自分が得た信用は重要視していたのだが。 この月下と呼ばれる女性にはどうもそう言った警戒心と言うようなものが少ない気がしてならない。 「それじゃあ、行きましょう。椿と言う主君がいない今、動ける私達が彼女を助けるべきだわ」 それでも、花椿と同じように共に在りたいと思えるこの強さは、彼女の魅力の一つなのだろう。 わりと間近で、重厚な鎖が音を立てた。 捕らえられてから一度は眠ったが、手と足に付けられたそれのせいで、質が良い眠りは得られなかった。 徹夜にはそれなりの耐性があった筈だが、どうも体力の低下が激しい。 憔悴した体では、自力で抜け出すのは困難そうだ。 椿は、密かに小さな溜め息を吐いた。 部屋の外には何人かの見張りがいる気配だ。無闇に自分が目覚めたことを知らせるのは得策とは思えない。 おざなりに手当てされた傷が激しい熱を持ち、発熱しているようだった。 これまでにないほどに、危機的状況だ。 疲労困憊となった身体にあまり時間が残されているとは思えない。 無論、こんなところでくたばる気もさらさらないが。 どうしようもなく、今度ばかりはかなり深い溜め息を吐いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |