鳳凰戦華伝 弐 「あの人、本当に女性ですか?」 新たに旅の仲間となった正真正銘の女性、美和は、信じられないと言った風に呟いた。 「う〜ん、ちょっと微妙よね」 傍らの女性、月下も、否定はしなかった。 それどころか、割りと肯定的な姿勢だ。 一行は、この陽逆の地にある幻黎組の基地へ向かっているところだった。 先の朴玻村の事件で協力し、意気投合した幻黎組の者と、その場所へ移動中だ。 日も高くなり、今は休憩に入っていたのだが、そんな折、美和によって呟かれたのが、冒頭の言葉だ。 「まぁ、椿は性格的にちょっと女らしさとは無縁だからねぇ」 話題の人物となっているのは、名を花椿、月下や美和に椿と呼ばれている女性だ。 ストイックで物静か。且つ冷静で落ち着きのある美しい容姿を持つ人物だが、実際、胸の内に秘めるものは少々、激情的であったりする。 そんな女性、椿は、幻黎組頭領を足蹴にしていた。 何か気に入らない事があったのかは知らないが、確かにその光景を見て、女性らしいかと問われれば、少なくとも肯定は出来ない。この時代の女性と言うのは、慎ましやかで清楚可憐。 まぁとても、彼女には当てはまらないのである。 「貴様、今こそ、そのでかい図体を役立てる時じゃないのか?」 当の本人である椿は、おおよそ女性らしいとは言い難い言葉使いで、巨体の男、幻黎組頭領颯雲を蹴りあげている。 「いや、無理。いくらなんでもあれは俺にも無理」 必死に抵抗をしながら、颯雲は椿から逃れようと後ずさっていた。 一行が休憩に入っているのにも、実はしっかりとした理由があった。 進行経路である山道には、巨大な磐が鎮座している。 それは、優に颯雲の巨体をも越す大きさだ。 曰く、一番の近道であるこの山道は、基本的には一本道である為、回り道の手も絶たれ、有無を言わさず休憩となってしまったのだった。 残りの道もあるにはあるが、どうにも馬で進むには難しそうな獣道だ。 「まぁまぁ、椿の姫さん。そんなカッカッしたってしょーがないじゃないの。相棒のおとなしそうな女の子が何か考えるって言ったんだしさぁ。あんまりうちの大将、苛めないでやってくれよ」 颯雲の助け船をだしたのは、幻黎組の若い幹部だ。 苑、と最初に名乗ったこの幹部は、あっけらかんとした態度が仲間内で人気らしいが。 椿にしてみればうざったい限りである。 ところで、幻黎組の男達は皆、椿に対して妙な畏怖を抱いている。 そのせいで「椿の姫さん」や「椿姐さん」やら、どうにも不思議な渾名が付いた。 ちなみに苑が言ったおとなしそうな女の子は、月下のことだ。 「ほぉ。つまり貴様らは、こんな巨岩一つ動かせない男が大将で構わない、と。そういうことか。…私達の故郷でも、幻黎組の名はよく聞いたものだが、まさかここまで落ちぶれていようとは。不甲斐ない男を大将と仰ぐ気が、私には全く理解できないよ」 しかしそこは、天下の花椿様である。 勿論、苑が言った事をそれはもう容赦なく辛辣に切って捨てた。 これには苑も苦笑いだ。仕方ない。 「颯雲さん颯雲さん」 「ここは、椿姐さんに逆らわずにいっちょ頑張って見ましょうよ」 「そうですよ。頭領。あの姐さん、怒らしたらぜってぇ怖いんだから、文句言わずに、ねっ!」 苑の肩を竦める仕草を見た途端、他人事と思って笑っていた幻黎組の組員達が一斉に颯雲に駆け寄ってきた。 「てめぇら、他人事だと思いやがって」 颯雲は、頭領として申し分ない強さと貫禄を持っているはずだが、彼女と一緒にいるとどうにもそれが崩れる気がする。 組員による口々の説得は、颯雲に意味のない怒りを溜めさせるには充分だった。 しかし、その怒りを溜めさせる原因となった椿は知らん顔で明後日の方向を向いている。 「まぁまぁ。頭領も少しぐらい女の人を言い負かせないと、組員の女の子達ににげられちゃいますよ」 「俺、男だらけの職場なんて嫌ッスよ」 「余計なお世話だ。第一、あいつは普通の女じゃねぇから。基準、おかしいから」 「またそんな事言って!本当は、女の人と話すの苦手のくせに!強がってるから、椿の姉さんに良いように扱われるんスよ」 「お前ら、いい加減黙れ」 なんともアットホームな会話を繰り広げた後、組員の男達は一斉に笑った。 彼らは一貫して、頭領である颯雲に対して、尊敬こそすれども物怖じはしないと言う豪胆な性格の持ち主のようだ。 そんなユーモア溢れる会話をちょっと遠くから眺めていた月下は、頃合いを見計らって声を掛けた。 それはもう絶妙のタイミングで。 「皆さーん!お昼ご飯出来ましたよー!」 男達と椿の方では、丁度、痺れを切らした椿が、―冗談のつもりだったらしいが―颯雲に斬りかかるところだった。 仕方ないと言ったように椿が太刀を鞘に収め、口元に笑みを浮かべる。 「まぁ、お前が働くにしても働かないにしても、まずは腹拵えだ。心配しなくても、お前一人に働かせはしないさ」 意地の悪い笑みが、椿に似合い過ぎる。 ある意味、男よりも男らしい彼女を、やはり幻黎組の組員はある種の畏怖を抱くのである。 「さぁ、立て。月下の作る旅菜は旨いぞ」 なんと素晴らしい飴ムチの使い方。 人の上に立つ者として、こういう辺りは見習うべきか、と考える颯雲であった。 幸い、いくらかの食材があった為、それで適当に作った旅菜だが、どうやら上手くいったらしい。 月下は群がる男を眺めながら、静かに笑った。 根っからの美食家である彼女は、本能的にどうすれば物が旨くなるかを分かっている。 それはもう絶妙の味付けなのだ。 男達は、旅菜が盛ってある皿に群がって我先にと昼飯にありついているが、実際、彼ら以上に食べているのは月下である。 隣で大人しく皿をつついている美和は、その驚くべき速さと消化能力に自分の目を疑った。 ふと前方の椿の方へ視線を溢すと、思ったよりも食べていない。 自分の隣と前でかなりの違いが生まれ、意味のない笑いが込み上げてきた。 誤魔化しの意味を込めて、皿の旅菜をとりあえず掻き込んだ。 それから程なくして、最初に椿が席を立ち、また少ししてから美和が脱落する。 残るは男達と月下だが、そろそろ男達も月下の異様な食事量に気づき始めていた。 見た目以上に食べなかった颯雲は、辺りを見回している椿にそっと耳打ちした。 「なぁおい、花椿」 「何の様だ」 話掛けられた椿は、訝しげに眉をひそめた後、颯雲の背後で食事の奪い合いを見てから密かに溜め息を吐いた。 「お前、あれに参加しないのか?」 「誰がするか。参加したところで勝てる気がしねぇ。……って、そうじゃねぇんだよ。てめぇの相棒の姉ちゃん、一体どうなってんだ」 「あぁ、月下か。放っておけ。その内、終わるさ」 「その内って、お前」 「その内、月下の勝利で終わる。だから黙って見守ってろ」 そう言うと椿は、眼を瞑り早々と寝息を立て初めてしまった。 仕方がないので、颯雲は食糧争奪戦を眺めることにした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |