鳳凰戦華伝 参 「ちょっと、そこの人達」 途方に暮れていると、背後から声を掛けられた。 髪を結んだ女性で、少し窶れている。 けれども、本来は穏やかな気性だったのか、瞳には人の良さそうな輝きがあった。 「お前さん等、どっから来た人?」 「あ、えっと、私達は旅の者で、出身は杉梨です」 杉梨と言うのは土地の名前で、陽逆からもそう遠くはない土地だ。 椿や月下の故郷である雪火村は、実際は杉梨にあるのではないが、月下が答えたのはその場しのぎの嘘だ。 「そうかい」 女性はそのまま黙ってしまった。 月下がどう話を切り返すべきか考えていると、あまりに唐突に、椿が騎乗する馬が嘶いた。 これには、さすがの椿も驚いたのか、彼女も危うく落馬しそうになった。 陥落した訳ではなかったが、力で敵わないことを知った椿の馬は、陽逆に来るまでの間、静かだったはずだ。 今のようにいきなり嘶くことも最近ではそうそうなかった。 「椿!?」 馬を落ち着かせようと手綱を強く引いた椿は、そのまま走り去ってしまった。 暴れるように走る馬を、彼女はうまくいなして馬の思うままに走らせる。 危なげない様子なので、問題はないだろうが村の中を突っ走るのもどうだろうか。 月下は女性に一礼すると、直ぐ様馬首を翻した。 思うまま走る馬がようやく止まったのは、既に村の外だった。 何を思ったか、椿は馬に話しかけた。 「……お前、何がしたいんだ」 人語を理解するとは思えなかったが、不思議と、いいから行けとでも命令しているように思えた。 辿り着いたのは、小さい弓道場だった。 しっかりとした作りではなく、簡素な屋根と床以外は全て剥き出しだったが、弓道の練習をするには問題ないだろう。 ただ安全面では多少心許ない気がする。 的に目をやると数本の矢が刺さっていた。 おそらく使っているものがいるのだろう。 椿は馬上を降りると、射場に歩いていった。 キリキリと音がして、次いで風切り音。さらに、軽い衝撃音が鳴る。 射場には、やはり人がいた。 まだ若い女性だ。 しかし、放たれる矢には迷いがなく、その若さでは素晴らしい腕だ。 こちらには気づいていないようだが、静謐な空気の中で弓を引き絞る緊張感は暫く眺めていたいと思わせる独特の魅力があった。 やがて弓が下ろされる。 一つ息を吐き出した女性は、ふいとこちらを向いた。 ようやく気付いたようだ。 栗色の、肩につく程度の髪。 女性らしい、体の線に合わせた蒼の着物。 驚いていたのか、暫く瞳を見開いていた。 先に口を開いたのは、椿の方だった。 「……君のそれは独学か?」 女性は言われた事を理解するのに、時間を要した。 「え、えぇ。自分で……」 大きな瞳で瞬きを繰り返し、少し低い場所にいる椿をじっと見詰めた。 椿は視線に気付きながらも、弓道場に上がって射場から的を見据えた。 そして、側に置いてあった使われていないだろう弓を手に取り、おもむろに矢を射る。 小気味いい音をたて、矢は的の中心を射抜いた。 「すごい……」 女性が思わず呟く。 椿は、弓をもとあった場所に戻し、女性に向き直った。 「……重心が偏っている。もう少し右半身に体重を掛けろ。横に矢が逸れることも少なくなるだろう」 それだけ言い残し、椿は立ち去ろうとした。 女性は放心したまま、椿が放った矢を眺めている。 「あ、あの!貴女は……?」 「私は花椿。旅の者だ」 掛けられた言葉に、椿は一つ笑った。 その後、椿は朴玻村に戻った。 すぐには月下が見つからず、とりあえず村を散策していると、ある一角に辿り着く。 細い道をずっと行った場所だ。 小さな広場に、小さな家が建っている。 人の気配を感じたのか、家の中から人が出てきた。 「美和お姉ちゃん?」 出てきたのは小さな子供たちだ。 だいたい三歳から八歳ぐらいの子供が、小さな家から現れた。 「あれ?……お姉ちゃん誰?」 椿に視線を向けられる。 子供が苦手な椿は、どうするべきか全力で考えていた。 「わぁ!お馬さんだー!」 すると、子供たちは、馬の方に興味を持った。 馬も大人しい。 椿はとりあえず馬を降り、広場の奥に向かった。 子供たちが馬に群がり、あっという間にその周囲を固められてしまった。 「すごぉい!お姉ちゃん、武士様なの?」 「かっこいいー!」 きゃいきゃいと騒ぎながら、子供たちは笑っていた。 馬の方はどうやら子供が嫌いではないらしい。 鬣や顔に触れるのを、許している。 女の子も男の子も入り乱れて、一気に賑やかになった。 やがて家から、それなりに年齢のある少年が出てきた。 「あ〜、やっぱりそうだ。皆、美和お姉ちゃんが帰るまで外に出るなって言われてただろ?」 子供たちをたしなめがら、少年は走ってきた。 どうやら「美和お姉ちゃん」と言うのは、この子供たちの保護者らしい。 少年は椿の前まで来ると、丁寧にお辞儀した。 「ごめんなさい。旅の方。ご迷惑をお掛けしました。僕が目を離した隙に」 「……いや、気にするな」 椿は少年の頭を上げさせた。 少年は、ひどく驚いているようだったが、椿は本当に気にはしていなかった。 確か子供は苦手だが、決して嫌っているわけではないのだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |