鳳凰戦華伝 伍 二人が自己紹介を終えた所で、村民の喧騒の間から椿がやって来た。 長めの前髪を掻き上げながら、少し咳をしている。 「あぁ、あんたか。こいつを止めてくれたのは」 椿は優真を見ると、少し笑って礼を言った。 「いや、気にするなよ。実質、あの子を止めたのはあんただ」 すでに脱出した人の看病に向かっていた月下を指して、優真は皮肉じみた笑顔を送った。 それを見た椿も、ようやくいつものような不敵な笑顔に戻る。 すでに火の海となっていた宿屋は、彼の仲間によって見事に消し止められていた。 この時代の火消しと言えば、火が回らないように周囲の家を壊すものだが、民家にはそんな損傷は見られない。 椿が不思議がるのを感じ取ったのか、優真は先程とは違い、快活に笑った。 「俺らの火消しは、水と蒸気を使って火を根本から消す。家を壊すなんてはた迷惑なやり方はしないんだよ」 得意気な様子だ。 確かに火はしっかりと消し止められ、宿屋は焼け焦げてしまっているが、他の建物の損傷はないのだ。 これは、火消しと言うものの認識を、改めるべきかもしれない。 そんなことを椿はしみじみと思った。 「てか、あんた大丈夫か?えーっと……名前は?」 「花椿だ。大丈夫とは?」 怪訝な声に振り返れば、名乗っていなかったと思い当たる。 合間に咳が溢れた。 「優真だ。いや、お前さん、煙、吸っただろ。ずっと咳してる」 相手も名乗り、咳を溢す彼女を、心配そうに見てくる。 流石火消し屋。 火に関しての知識は並のものではない。 そのうえ目敏い。 「大丈夫だ。吸ったと言っても、大した量じゃない」 それを知っていても、椿は正直に言うことをしなかった。 息苦しさはあったが、いまだに火事の処理に回っている村人の手間を、増やしたくはなかった。 そんな感情を読み取ったのか、優真は一つ嘆息を溢す。 「まぁいいけどさ。今なんとかしなきゃ、あの相棒のお嬢さんから嫌って程、お説教喰らうぜ」 そう言われると、椿は二の句を告げなくなった。 無表情に見えるが、その顔はしっかりと苦味を含んでいる。 「俺は別に構わないけどな。正直、今、知り合ったような子だし、君が怒られようが、別になぁ?」 さらに優真が続けると、椿はうんざりしたようにしっかりとため息を吐いた。 恐らく優真と言う人間は彼女よりも年上なのだろう。 大概の言葉に椿は言い返す事が出来る。 だが、年数だけはどうにもならないのだ。 主に月下や、育て親である月下の祖父母には全く敵わない。 渋い顔をしたまま、椿は踵を返して人の輪へ入っていった。 数秒後、その辺りにいた村民が大変だと騒ぎだしたので、恐らく多少煙を吸ってしまった事を言ったのだろう。 その様子を満足気に眺めた優真は、火消し屋の仲間を集めて、帰ろうとしていた。 ふとそこで声が掛かる。 「優真さん!ありがとうございました!色々と!」 そう大声を上げたのは、月下だった。 その言葉に合わせて、村民も頭を下げる。 優真は少し幼く笑うと、片手を挙げて軽い挨拶を返した。 そのまま、火消し屋の仲間と共に、騒ぎながらその場を去っていった。 火事の後始末が終息し始めたのは、それから数時間経った頃だ。 あれから村民や椿、月下が完全に眠りに着いた頃は、既に日付も変わり、太陽が昇りそうな時間だった。 あの後にかなりの感謝を受けた椿は、再び宴会に付き合わされた。 勿論、月下はとにかく食べた。 散々付き合わされた椿も、とうとう気にしなくなり、食事よりも進んで酒を飲んだ。 その日は、早朝のうちに村が動き出すことはなかった。 道を歩くのは椿一人である。 春とは言え、早朝はまだ冷える。 清涼な風が、辺りを吹き抜けた。 彼女の結ばれていない髪も、それに合わせて広く靡く。 東の空には明けの明星が見え、ほんの少しだけ、太陽の光が現れていた。 「……出てこい」 寝起きの事もあってか、常時よりも声が低い。 自身の背後に現れたのは、昨夜、散々問題を撒き散らした役人の男だった。 息を切らした様子の男が、瞳を爛々と輝かせてこちらを見ていた。 「……何の用だ」 意識的で出された低い声には、しっかりと殺気が含まれている。 その背に太刀は背負われていなかったが、その殺気一つで充分に武器となり得た。 「……貴様を、殺す!」 震える手で剣を握り、必死の形相で男は続けた。 「貴様のせいで、俺達はあの場所を追われた……!貴様のせいだ……!貴様の……」 震える体が丸まり、震えに耐えるようにすると、いきなり顔を上げてこちらを睨み付けた。 そしてすぐに、ボロボロの体を振り乱し、突進するように椿に剣を向けた。 「覚悟ぉぉぉぉ!!!」 椿は半分だけ向けていた体を、男の方に完全に向け、見据えるように立つ。 降り下ろされる刃が彼女自身に届く前に、椿は動き出した。 僅かに速く踏み込んだ椿の拳が、男の腹へと埋め込まれる。 男が苦しそうに呻き、彼の意識はそのまま途絶えた。 地面に倒れた男を一つ振り返り、何も言わずに椿は来た道を戻っていった。 ようやっと村が活気に溢れたとき、椿と月下は村を出発しようとしていた。 「はい。これは礼だよ」 昨日、火事の被害に合った宿屋の女将が、村を出る時に一つの皮袋を渡してくれた。 手に乗る重みと、チャリンと言う音で中身が何かは簡単に知れた。 中を少し見てみると、かなりの額が入っている。 「いいんですか?こんなに」 月下が女将に問う。 そうすると女将は、人の良さそうな笑みを浮かべ答えた。 「いいんだよ。昨日の礼なんだから。それにその中には、そっちの姉ちゃんが助けた人の分も入ってるんだしね」 そっちの姉ちゃんと言われた椿は、すでにあらぬ方向を向いていた。 そんな態度にも、女将は気にした様子を見せない。 それどころか、照れ屋なんだね〜と穏やかに月下に話し掛けている。 「あっ!お姉ちゃん!」 少し世間話をしていると、続々と村民が集まって来た。 椿が若干疲れた顔になったのは気のせいではない。 「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」 元気よく兄を呼ぶのは、昨夜に椿が助けた少女だった。 後から走ってきた少年も、同じく昨夜の少年だ。 全速力で走る少女は、途中で転けそうで非常に危なっかしい。 後ろを走っている少年も心なしか、心配そうな顔をしている。 しかし少女は、無事に椿のもとまで辿り着くと、まずは息を整えた。 そしておもむろに、自身の腕を突き出した。 「お姉ちゃん!これあげる!」 握り拳の中に何かあるようだ。 椿がすっと手を差し出すと、少女はその手にあったものを放した。 カチャンと鳴って椿の手に落ちた物は、二つの硝子玉だった。 日に透かされて、青や緑の色に影が出来ていた。 「昨日のお礼です。命を助けてもらったのに、こんな物で悪いですけど」 追い付いた少年も、困ったような笑顔で椿に言った。 少女の肩に手を置いて仲良く微笑む兄妹が、妙に微笑ましく思えた。 「……ありがとう」 少女にもらった硝子玉を握りしめ、椿は言った。 その贈り物に続くように、火事の被害に合った人々からお礼の品を渡された。 酒屋の店主も、料理を風呂敷に包んで渡してくれた。 一気に増えた荷物を馬にくくりつけ、自分たちもそれに乗る。 村民がほぼ全員で送り出してくれた。 「それじゃあ、色々とありがとうございました」 最後に月下が馬上から言った。 すると、まずは椿の馬が嘶き、勢いよく走り去る。 続くように、月下の馬も走り去る。 二人の姿が見えなくなるまで、村民はずっと手を振ってくれていた。 村を離れると、先頭を行く椿の馬が速度を落とした。 その前には、一人の男がいた。 「優真さん!」 まず月下が、その男の名を呼んだ。 青い装束を着た、火消し屋の男だ。 「どーも。君達、旅立つんだね」 煙管を加えた姿は、なかなか様になっている。 「実は、君達に営業の宣伝しようと思ってね」 その言葉に真っ先に反応したのは、珍しくも椿の方だった。 馬を降りて、同じ目線で話しかける。 「……営業とは?」 「所謂、情報屋」 柔和な笑みは変わらないが、確実に印象が違う。 完全な商売人の顔だ。 「君達、それなりに訳ありだろう?今なら出血大サービスで、今回のみ無料で教えてあげるよ」 恐らくこちらの方が本業なのだろう。 生き生きとしているように見える。 「……貴方、実はこっちが本業でしょう」 月下が軽い一睨み。 咎めるような視線も何のその。 優真は全く気にしなかった。 「あっはっは。ご名答ー」 あくまでもおちゃらけた態度を取るらしい優真に、月下はこのまま馬を走らせようかとも考えた。 だが、直後の椿の声で、それは踏みとどまる。 [*前へ][次へ#] [戻る] |