精霊輪舞〜姫君見聞録〜
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その頃、姉姫であるアリアと、ジークの相棒ヴィオンは、峠を降りて城下町に場所を移していた。
昼も近くなった朝とも言えぬ時間帯では、人が押し潰されそうなほどの賑わいはない。
昼食の買い出しに来た女性か、せいぜい子供位だ。
「ところで、姫君はこんな普通に町中を歩いていいものなのか?」
傍らを歩くヴィオンに瞳を向けて、アリアは咎めるように彼の手をひっぱたいた。
自らを姫と呼ぶな、とここまでの道中言い続けたのだが。
「アリアは、普通に町中を歩いて大丈夫なのか?」
苦笑いで言い直したヴィオンも、その口調や態度をかなり粗野にやりかえた。
器用に慇懃な態度をとったり、彼の雰囲気はコロコロと変わる。
「問題ないです。私の顔や見た目を知る人なんてそう居ませんし。お母様に外出許可はとってあります」
アリアの口調も、普通の敬語に成り代わっていた。
普段は高貴さすら滲むような王女たる態度だが、彼女も演じることに相当慣れている。
「ふーん、貴族の娘がこうして働きに出なきゃならないなんて世も末か」
「貴方いったい私にどういう設定をつけようとしているんですか」
「さて、ね」
軽口を叩きながら向かうのは、労働組合だ。
用事があると言うヴィオンに付き合い、ひとまず調査の前にそれを済ますことにした。
ギルドと呼ばれる小さな集まりからなるこの国の労働組合は、各地にその拠点を持っている。
そこで転職の手伝いや雇い主との間を取り持つなどの活動をしている。
リーグシアという名も、助ける者という古代の言葉から取っている。
労働者の互助組織だ。
「そうはいっても、気性の荒いのもいるから気を付けろ」
そう言うヴィオンについて行くと、風情のある古いお屋敷にたどり着いた。
城下でも西側に位置するそこは、市場ほどの賑わいは無いが、職人が働く工房街だ。
市場とは趣の違う熱気に包まれていた。
興味深そうにあたりを見回すアリアは、その風景の中ではかなり浮いて見えた。
シンプルではあるが品の良いドレスに身を包んでいるのだ。中には上半身裸で作業を続ける男性の姿があるのでは、それも当然といえた。
お屋敷の中に入ると、やはりたくさんの人が世間話をしている様子だった。
人並みに身長のあるアリアでもすっぽり隠れてしまうくらいの大男が大勢いた。
「はぐれるなよ。城下の拠点はそれなりに広いぞ」
まだ興奮冷めやらぬ状態で内装を見回すアリアに、ヴィオンは呆れながら声をかけた。
王女にしては世間を知っている方だ、と思っていたが、こういった雰囲気はまだまだ知らないらしい。
そう考えると、彼女が途端に可愛く思えて、立ち止まってシャンデリアを見上げていたアリアに近づいた。
「楽しいか?」
屋敷に吊るされているシャンデリアは、木と鹿の角で作られた武骨なものだ。
普段から金属や宝石で出来たそれを眺めているアリアにはいたく珍しいのだろう。
「楽しくなくはないです」
話しかけられ我に返ったアリアは、夢中になっていたのが恥ずかしいのか少し顔を赤らめてそういった。
素直じゃない返答につい吹き出してしまうと
、彼女の瞳が剣呑さを増してしまう。
「ほら、見たいなら後で上に連れてってやるから、とりあえずおいで」
笑いを堪えて手招きすれば、相変わらずこちらを睨んではいるが素直に離れた距離を縮めてくる。
ヴィオンはごく自然な仕草で彼女に手を差し伸べた。
「はい?なんです、その手は?」
アリアは本当に分からないようで、ヴィオンの顔と手を見比べる。
さすがのヴィオンも言葉を失ったが、差し伸べた以上、そのまま引っ込めたのでは格好がつかない。
「だから、手。はぐれたら面倒だしな」
改めて誘おうとするのはあまりに恥ずかしい。
内心ヴィオンも多少の動揺を感じていた。
それなりに女性経験もある。初恋でもあるまいに。
意味を理解したアリアは、さして恥ずかしいとは思っていないようだった。
ヴィオンの言い分に納得すると、自らの手を彼の手に重ねた。
思ったよりヴィオンの体温は高く、静かだが鼓動が伝わってくる。
安心を覚えたアリアは、素直にその手の誘導に従った。
「あ、ヴィオンお前!いつまで更新サボる気だよ。忙しいのは分かるけどね、いい加減にしないと」
「あーっ!もう分かったよ。今日はその件で来たんだ。ついでにジークの分もな」
しばらく廊下を進むと恰幅の良い女性がヴィオンに詰め寄った。
なんとなく親しい間柄のようだと悟ったアリアは大人しくその会話には口出ししなかった。
そんなとき、城下に降りてからずっと静かにしていた彼女の契約精霊が声だけで聞いてきた。
『アリア、ここはどういうところ?何をするとこなのかしら』
普段さして好奇心を持たないアリアの契約精霊は、活気に引かれたのか珍しく辺りを見回す気配がする。
「簡単に言うと、お仕事を手助けするところ。私達みたいな宮廷精霊契約士以外の人とか、職人さんとかかしらね」
『賑やかなのね』
彼女はアリアに力を貸す契約精霊。海を統べる精霊の王、セイレーン。
普段はアリアの側にずっといるが、今はヴィオンの契約精霊がいるためか、ほとんど顔を見せていなかった。
「メルラ。用事済ませてくるから、こいつのことちょっとお願いするよ」
「はいよ。新しい彼女かい?またずいぶん上品な」
「違う、彼女じゃない。同業者だ」
アリアがセイレーンと小声で話してる間、そんな会話があったようで、ふと気づけばヴィオンはいつの間にかいなくなっていた。
「あたしはメルラ。このギルドで賄い係をしてる。よろしくお嬢ちゃん」
先ほどの恰幅の良い女性はそう名乗り、手近な部屋に招き入れた。
広い机とたくさんの椅子が並べられており、たくさんの人が集まる部屋だとは知れた。
だがアリアの知識ではその部屋の名称を知るまでには至らなかった。
「私はアリア・スイルと言います。ちょっと事情があって、ヴィオンさんと行動しています」
メルラは豪快に笑うと、チーズスープを振る舞ってくれた。
ちょうど小腹が空いていた頃だ。
くどくない味わいがとても美味しい。
「しかし、アリアちゃん、ヴィオンの同業者ってことは精霊契約士かい?」
「はい。軽いお城勤めで」
「ってことは宮廷契約士か!すごいね、若いのに」
そういって軽い世間話をしていたが、頃合いを見て情報を集めに行かなければと思ったアリアは丁寧にメルラに向き直った。
「あの、ヴィオンさんの友人の、ジークさんの精霊のことなのですが」
「あー、あの話か。最近はギルドの中もほとんどその話題ばっかりだからね、ジークは実力も確かだったから」
「こちらの幹部であると言うのは窺いました。何か、彼の契約精霊についてご存知ないですか」
「うーん、特に思い当たることはないねぇ。前日まで普通に仲良しだったからね。喧嘩したってこともないだろうし」
「そうですか……」
落胆して肩を落としたアリアに、メルラは困ったように頭を掻いた。
鳶色の眦が下げられる。
「アリアちゃん、ジークの件でヴィオンに協力してるのかい?」
「あ、えっと、直接そうという訳では」
話を変えるようにメルラは微笑んだ。
人の良さそうな笑顔に、アリアもつられて笑みが浮かぶ。
「ローライズ峠の麓の村で、最近家などが突然発火する、という事件が起きているんです。私はその調査で」
「なるほどねぇ、ジークの精霊も炎精霊だからね。関連性に目をつけたわけか」
黙って頷いたアリアに、メルラも黙って真剣な表情になった。
彼女は近くにあった紙の束をアリアに見せた。
「でも、確かに最近そういう話はよく聞くね。
これ、見てみなよ」
紙の束を受け取り、アリアは順番にそれを捲っていった。
徐々にその眉根が寄せられる。
「こんなに被害が出てるなんて……」
そこに書かれていたのは、峠の麓の村で起きていた事件と同じ事例。その調査書だ。
「今はまだ組合も本格的な調査はしてない。ジークの精霊が関わってるかどうか、その可能性に気付いている人もほとんどいない」
アリアもその言葉の意味に気付いていた。
発火事件の原因がジークの契約精霊なら、契約者であるジークがその責を追う事になる。
「ま、ヴィオンの奴も、相棒の危機を放っておけないんだろうねぇ。素直じゃない奴だよ」
アリアが何か言葉を紡ごうとした瞬間、その頭に軽い衝撃が落ちた。
「メルラ、要らん話をするな」
機嫌の悪そうな声が降ってくる。
いつのまにか当のヴィオンがアリアの背後に立っていた。
何故かここに来た時とは違う服装をしている。
「おや、おかえり。用事は終わったのかい?」
機嫌の悪いそれになんら躊躇することなく、メルラは軽快に笑った。
分かっていたのか、ヴィオンもなんら気にした風もなくため息を返す。
「一応な。しばらくほったらかしだったから、妙な仕事まで押し付けられたが……」
「そう。まぁ仕方ないだろうよ。外交はあんたの仕事だからね」
「だからってお偉いさん三人も一気に引き連れてくるかよ」
うんざりした様子のヴィオンは、なかなか見栄えのする格好をしていた。
来たときは白いシャツと細身の黒いボトムにブーツと言う出で立ちだったが、今はそれにボトムと同色のベストとスワロウテイルのジャケットを羽織っていた。
開かれていた胸元もしっかり閉じられ、シンプルなタイで締められている。ブルーのタイピンが白いそれによく映えた。
見た目だけなら完璧な青年紳士だ。
「仕事だ。諦めな」
メルラのさらなる言い分に、ヴィオンはがくりと脱力した。
そこで多少気まずそうに二人のやり取りを眺めていたアリアに視線をやる。
メルラから受け取った書類の束で口元を隠し、目元だけでこちらを眺める姿は警戒心の強い小動物のようだ。
考えて吹き出しそうになるのを押し留め、彼女が持っていた書類をスッと抜き取った。
アリアは驚いたような表情をしたが、抗議の声はしない。
しばし眺め、無言と無表情で再びアリアに目をやった。
「私が城下で調べようと思っていた事がここの一ヶ所で充分になってしまいました」
一拍ほど、アリアはヴィオンと視線を交差させたが、不意にメルラに向き直りそう言った。
口元には微笑みすら浮かんでいる。
「そう。その書類は持っていくといいよ。写しだからね」
「ありがとうございます」
丁寧に一礼するアリアに、メルラは空笑いで返した。
そしてすでに思考の海にいるヴィオンを一瞥するとアリアの耳にこっそり囁いた。
「あいつの事、頼んだよ。扱いづらい奴だと思うけど、どうやらアリアちゃん、あんたの事は気に入ったらしい。仲良くしてやっておくれね」
「……保証は、出来ませんが」
同じようにヴィオンを一瞥して、アリアは渋々といった風にそう言った。
もともと性格が合わないと思っているようだが、メルラに言わせれば“お似合い”の一言に尽きる。
「何を内緒話してるんだ二人で」
「内緒話だから、教えないよ、ね?」
「はい。内緒話ですから」
少しだけ意地の悪い笑みを浮かべたアリアにヴィオンは肩を竦めるばかりだった。
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