精霊輪舞〜姫君見聞録〜 . 「アリア、相変わらずだなぁ」 小屋に残されたルティはその問答をきながら小さく呟いた。 テーブルに転がった生物をどうやって冷やそうか考えている風情だったが、彼女の胸中はまったく別のことに染まっていた。 「姉貴が心配か?」 同じく部屋に残されたジークは何でもない風に当たり前の事を聞く。 ヴィオンが何も言えなくとも、彼の場合は何でも言えたし聞けた。 けれどもジークは感情の機微には疎い。彼にとっては胸中を察する事は容易ではない。 それは恐らく性格の差。 お互いが真逆の特性を持つ相方。 だからこそ信頼を寄せられる。 だからこそ不安定な双子の姫に、それぞれが歩み寄った。 「そりゃ当然でしょ。私のたった一人の姉妹。私の原点。私の恩人」 「そりゃまた強い絆だな」 ルティが呟いた時の表情は見えなかったが、少なくとも今彼女が答えたとき、そこにあったのは確かな信頼だ。 茶化すように笑いはしたが、ジークもそれに安心したのか幾分小さな頭に手を乗せた。 あやすように撫でてやれば、楽しそうに顔を綻ばせる。 きっとそれは、王族のしがらみや奇妙な不安感などから解き放たれた本来の彼女の笑みだろう。 「とりあえずこれ、なんとか冷やさなきゃな」 気温は高くないが、生物だ。 長く保ちはしないし腐ったものを食べるわけにいかない。 「スィリー。冷やしてー」 虚空に向けてルティが言うと、彼女の契約精霊スィリーセイが姿を現す。 水を司る精霊の王、絶大な力の強さで以て人に協力してくれる存在である。 『あまり長くは保ちませんよ?氷の子がいれば一番なんですけどねぇ、あの子たちさっぱり姿を見せないから』 「大丈夫。昼前には戻るから」 氷の子、とはまさしく氷を司る精霊たちだが、彼らは姿を一切見せない。 極寒の地にあってようやく二、三匹の姿を発見できるほどに。 水で冷やすのはもちろん簡単だが、スィリーセイが言うようにすぐ温まってしまうため長時間は不向き。 それでも今の時刻から昼前までならなんとかなる筈だった。 『分かりました。そのくらいなら』 言って彼女が姿を消すと、細かい水色の粒子が部屋に散った。 スィリーセイの精霊力の粒だ。 あたりにまき散らすと、部屋の温度は快適を少し通り過ぎて寒いくらいの温度になった。 『時間が経てばもとの気温に戻りますから』 低い気温で調子がよくなっているのか、スィリーセイは機嫌良さげにくるくると回った。 もともと温和な気質の水精霊が機嫌悪い事なんてそうあるわけもないが。 「ありがと、スィリ」 さすがに長い間部屋にいると風邪を引きそうなので二人は早々に外へ出た。 日差しが心地よく暖かい。 「そういえば、ジークの契約精霊って炎精霊王?」 「うん、話してなかったか」 「そうだね、ハルトって呼ばれてたから、なんとなく予想はついてたけど。念のため確認」 レーンハルトと言う名を持つ精霊王。 古代の言語で「気高き業火」と言う意味のそれは、彼以外に名乗ることは許されない。 「あいつ、案外義理堅いやつだから、姿消すなんてなかったんだけどなぁ」 「……とりあえず探そうよ。スィリもいるし、ジークの気配も残ってるし、多分簡単だよ」 外は明るく、今日も天気がいい。 穏やかな陽気を孕んだ午前中。 市場のような賑やかさはないが、ルティやジークが集中するには絶好の状態だ。 ルティが契約するスィリーセイとジークが契約するレーンハルト。 お互い相反する属性ではあるが、共通するところもあった。 それが、集中するのに良い環境だ。 どちらも穏やかさや暖かさに関連する属性で、反対に猛き姿にも好相性。 水と炎は「静と動」に通ずる属性だ。 「まずはスィリ。力を貸して。炎精霊王にはジークの気配も残ってるはず。強い炎気ならスィリにも簡単に見つけられるよね?」 『もちろん。我が主。まずは炎と縁が深い南の方角からいきましょう』 ルディアは頷いて、つま先でくるりと地面に円を描いた。 踊るように一周回れば、即席の方陣が出来上がる。 「力を貸して、精霊たち。我は水精霊と契約せし者。南に聳えし霊峰、その景色を届けて」 地に描いた円から淡い光が迸り、ルティの頭上に水球が浮かび上がる。 そこに映されているのは南方にある霊峰フレイヤ。 これは遠くの景色を見る術で、景色だけでなくそこにある気配なども、微量ながら届けてくれる。 「何か感じる?」 「うーん、居たような形跡はない、かな。そこに行ったら分かるかも知んねぇけど」 「あっても、これで分かるほどの形跡じゃないってことか」 「前途多難、だな」 簡単と言いはしたが、実際そんなことはないだろうと、覚悟はしていたが、改めて大変なことに首を突っ込んだものだと、ルティはひそかにため息をついた。 北、西、東と、炎精霊王がいそうな所の景色を届けてもらったが、気配はわずかも感じられなかった。 城下、件の麓の村など、思い当たるところには全て術を使ってもみた。 またルティとスィリーセイがそうしている間、ジークも延々と自らの契約精霊に呼び掛け続けた。 そうまでしても、一切の気配が見当たらない。 まるでこの世界から炎精霊が居なくなってしまったかのように。 「まさか、ね」 ルティはそんな物騒な考えに、自らでおののいた。 ついで首を勢いよく振り、思考を打ち消す。 あまり良くない方向へ、考えるものではない。 「ジーク、返事はあった?」 地べたに胡座を掻いて座っている彼に近づき、自分もその隣にしゃがみこんだ。 さすがに地面に腰を下ろすのは気が引ける。 そんなことをすれば確実に姉姫に怒られるのも分かっている。 「いや、全くだ。欠片も返事がない。どころか、気配すら探りにくくなってやがる」 契約精霊の気配は、誰よりも、どの精霊よりも感じ取りやすくなっている。 それが上手くいかないとなると、契約者の感知能力が下がっているか、精霊が意図的に自らの気配を隠しているかのどちらかだ。 「他の精霊の気配は、分かるよね?」 「あぁ。あんたのそれがどこにいるか、分かるからな」 「じゃあ、精霊が自分で隠してる。無意識か、あるいは、探されたくない、とか」 いろいろな可能性を考えた。 そもそも考えて答えを探すのはアリアの性分。 ルティ自身は行動することで解決策を探すタイプだ。 とは言え根っから苦手な事ではない。 ひらめきという点に関してはアリアのそれを上回る。 「基本的に、姿も気配も消すなんて契約精霊にはあり得ない。呼べば来てくれるし、常に気配を感じていられる。イレギュラーな事態と言えば、契約者との仲違い。他には外部からの妨害。あとは……」 「狂気に犯された自らを鎮めるため……」 考え事をしながら喋るのはルティのクセだ。 その独り言のような呟きに、ジークは言葉を繋げた。 弾かれたようにジークを見て、二人の視線が交差する。 「俺もハルトも、前日まで仲良くやってた。仲違いの可能性はない」 「今は精霊に頼る文明だから、精霊との仲を外部侵略することは、法律で禁じられている」 「となれば、考えられる可能性は一つか」 「ジークの契約精霊は、狂気に犯されている」 [*前へ][次へ#] [戻る] |