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神子色流れ
黄の国 終幕


いつの間にか、御前試合は終わりを告げていた。

無論、前回の優勝者と今回の優勝者がその場におらす、その試合はどうしようもなかったようだ。


「私は、もとは鏡華帝国の人間でした」

人の姿に戻った雅染と、その近くにぴったりと座る凰蘭、向かいに腰掛けた雛綾と、互いに背中合わせで眠る菖波と蘭化。

奇妙な取り合わせとなった凰蘭の書斎は、先ほどまでいた寝室とは別の場所だった。

片付けは、戻ってきた別の女官に頼んである。
大惨事となった寝室を見て仰天した女官に、こともなげに凰蘭は告げた。

「恥ずかしいことですが、御前試合で興奮してしまって。私もやってみたいと思った結果がこれですの。申し訳ありませんわ」

などと、嘘八百を繰り広げ、終いには「まぁ、女王陛下にもそのような事がおありですのね。実は私も昔あったんですの。なんだか女王陛下とお近づきになった気分ですわ」とまで言わしめた。

嬉々として掃除を始めた女官ならば、今日寝るまでなんとかなるだろうと思っている。


「私は、鏡華帝国でも平民の立場でしたわ。家族四人、充分に食べていける稼ぎはありましたし、不自由は、あまりありませんでした」
けれど、と前置きした。
一度自分で煎れた茶を啜り、息を吐いた。

つられて凰蘭も茶を飲んだ。
煎れたのは雛綾だが、毒が入っているわけではないそうで、凰蘭は気にせず飲んだ。

雅染ばかり憮然と彼女を見返したが、毒見をしたのも彼なわけで、雛綾が煎れた茶を飲まないのはただの意地だと知れた。
なにせ、彼女が兇手だった事と、それに気がつかなかった事と、凰蘭が言霊を使いすぎた事の三拍子ですこぶる機嫌が悪いのだ。

「けれど、九年前の王位争いの時に、一般庶民は余波を喰らいました。稼ぎは激減。生きるのを止めたくなるくらいの、地獄でした」

凰蘭でさえ、その余波を受けたのだ。
一般庶民であったと言う彼女がその状況下で生き長らえたのは奇跡のようだった。

鏡華帝国なら、争いは眼前の出来事であっただろう。

「弟はその時に亡くなりました。母も、栄養失調で。父は生きて、私と暮らしていますが、働くことは出来ません」

私だけが、のうのうとこの歳まで元気に生きています。と、彼女は自嘲的に笑った。

「ある時、立ち尽くしていた私に、とても美しい方がお声を掛けて下さいました。一週間、家族が満足に食べられるだけの食材と、少しのお金を下さいました。なんで、こんな事をしてくれるんだろうと思いました。その方の気まぐれであっても、私と家族は救われたのです」

聞いているうちに、凰蘭の知らなかった事実が次々舞い込んできた。
やはり、貧富の差は埋めなければならないと、使命感に似たものが湧いてくる。

「何度も、私はその方から施しを受けました。ですから、一緒に来て欲しいと言われたとき、断れる筈も断る筈もなかった。待っていたのが、この仕事です」

卑屈に笑みを歪めた雛綾は、これまでのような柔らかな雰囲気はなかった。
高い声質は変わらないが、ふわふわしたような甘さは、一切取り払われていた。
今までが演技だったのか、これが演技なのか、さっぱり分からなかった。


「嫌だと思ったことはありましたが、私達家族を助けてくれた恩には報いらねばなりません。あの方は、私も愛しております。ただ、心根を病んでしまわれたのです。あの、帝王妃様は」

つぶやかれた人の名は、予想がついた。
やはり、と言った風に、凰蘭の瞳が眇められた。

「心根を病んだ……とはどういう事だ?」

雅染が聞いたのはこれが初めてだったが、大事な答えを逃さないように頭を回転させているのだろうと見当がついた。

「前帝王の煖浪様、かの人は、蓮鏡様の兄上で在らせられました。かの人も暴君と言われ、今では忌み嫌われておりますが、かつては絶対の支配者として慕われていたそうです。片手間に零された話では、強く憧れを持たれていた、と」

蓮鏡の精神的な話を聞くのはこれが始めてだった。
雛綾と言う人が、本当に彼女を慕っているのがゆうに想像出来る。
そうでなければ、史書にも載らないこんな話、知るはずもない。

また蓮鏡も、雛綾に対してはかなり砕けて話をしていたのだろうと見当がついた。

「しかし、徐々に煖浪様の行動が目に余り、王位争いが始まりました。敵方の指導者は、自身の婚約者、泉涼様。きっと葛藤もあったのでしょう。歴史は皆様が知る通りです」

「勝者は泉涼様。かの人は悪夢の時代を終わらせた帝王として後世まで語られるだろう。帝都を落ちた煖浪様は逃げおおせ、後に山間から死体で発見された」

歴史書の一部を暗唱した雅染に、二人は少し驚いた顔をしていた。
そういえば神なのだ。何でも出来てもおかしくはない。
と、真面目に考えたあたりで、少し面白くて笑ってしまった。

「えぇ。実際、泉涼様は結婚してみると良い旦那様だったそうですわ。けれど、煖浪様の死体が発見された時から、だんだん様子がおかしくなってきて。それが、皆様方が新年の挨拶に向かわれた辺りの事ですわ」


事が始まったのは、つい最近だったようだ。
あの帝王妃が昔から国妃をよく思っていないのは知っていた。
だが、かつてはまだお茶会ぐらいは参加して、それなりに話も出来たのだ。
本当に事の始まりは、最近だった。


「あとは泉涼様が亡くなられて、私達兇手に命令が下され、今ですわ。各国でも他の方が動いて、任務遂行されたか、失敗されたか……」

言葉はやはり暗かった。
どうしようもなく落ちた部屋の空気を変えるように、凰蘭が椅子から立ち上がった。

「多分、大丈夫だと思いますわ。あの子達は、充分にお強い。それでいて柔らかな人達ですもの。きっとまた会いますわ」

凰蘭がそう言ったお陰で、辺りの空気はすっきりとした。
言霊の力を持つ彼女が何かを口にすれば、何かしらの効果が起きる。
彼女が言うならきっと他の国妃も無事だ。

「さて、では女王陛下。処遇は如何なさいましょう。私と、彼ら」

雛綾は逃げもせず、はっきり自分の処遇を聞いてきた。
何があっても文句は言わず、受け入れると無言の覚悟だろう。

だから、凰蘭もあまり容赦はしなかった。

「まず、彼らは里に帰しなさいな。忍者、でしょう?あまり里を留守にするのもどうかしら?ねぇ、菖波殿、蘭化」

寝ているだろう二人に、凰蘭はおもむろに声をかけた。
やや気まずい沈黙があって、下げていた首を上げた。

「陵迅。彼の姓は私も聞き覚えがありますわ。隠れ里に住む忍者の長の姓。昔話と思ってましたが、本当にいたのですね」

「君達も忍者なら、医務室にいるもう一人も連れ帰って。一回完全に事切れたと思ったんだけど、埋葬の為に医務侍官呼んだらまだ生きてるっていったんだ。上手くいけば生きてる。まぁ、行ってみなよ」

投げやりに言った雅染に、蘭化が飛び付いた。
お陰で飲もうとした茶をぶちまけた。
面倒なやつだもう。

「糸瑞が生きてるんですか?!」

「かも知れないってだけだよ。だから行ってみなって」

興味なさげに言ったが、蘭化の顔には明らかに輝きがあった。
まぁ、いいかと半ば嘆息した。

「それにしても蘭化。君よくやってくれたね。僕まで騙すなんて良い度胸」

蘭化はギクッと体を堅くした。
頑張って反論を試みようと顔を上げて、垂れ目気味の甘い顔立ちを睨んだ。

「自分はもう団長閣下の配下ではないので謝りません!」

「僕に敬語使ってる時点で終わりだよ」

再びギクッと体を固めた。
果たして次の文句はいかほどかと待つのも良かったが、日が暮れそうなのでやめた。

「まぁ、配下でも違くてもいいけど。強いから、騎士団の籍は一応空けておくよ。来るか来ないかは君次第。来るんなら、昇給くらいは考えてあげよう」

なんとまぁ、素晴らしい指揮官だろう。
蘭化にとって、それまではやる気のない強い指揮官だったが、やる時はやるカッコいいしかも強い指揮官に大躍進した。

さすがに頷きはしなかったが、まぁいずれ戻ってくるだろう。
走って医務室に行った蘭化を見送ってふと考えた。
長期休暇の理由はなんか知り合いが大怪我か亡くなったってことにしよう。

「糸瑞はあいつの兄だよ」

最後だけ口にしていたらしく、菖波が親切に教えてくれた。

「あぁ、そう。じゃあ兄が大怪我か危篤だね」

「……生きてるのか?」

「生きてるよ。僕の勘。何人も人間の死を見てきた僕のね」

やはり神なのだと、何故か思った。
きっと長い年月を生きていたのだろう。
真面目に考えようとして、やめた。
長い年月など、考えて何になる。
きっと相手も虚しくなるだけだ。

そう思って、菖波は目下の思いを片付けることにした。

「さて、俺達の里への帰還を許してくれたこと、感謝する。月翔国妃殿。麗しい容貌に違わず、心までお美しいとは。あの人間かも分からないような男が嫌になったら是非、俺のところへ。里を総出で歓迎しよう。良ければそのまま俺と」

「寝言は寝て言おうか」

滑らかな手を握り、甘い台詞を言い切るかと思えば、隣の壁がへこんだ。


何か衝撃が飛んできた方を見れば、雅染がとても良い笑顔で見ていた。

何をしたかは知らないが、少なくとも動かずに壁をへこませたのは確かだ。

「仕方ない。貴方を口説くのはまたにするか。ではな。月の姫」

危険を察知した菖波は軽やかに逃げていった。

雅染の容赦ない追撃があったが、なんとか、かわしたようだ。



「さて、後は雛綾だけですわ」

部屋には凰蘭と雛綾しか残らなかった。
ある意味、適切な状況だ。

「えぇ。そうですわ」

雛綾は茶を飲んで、一息吐いた。

まるで世間話でもするかのように。


「雛綾、私、貴方を許すつもりはありませんわ。寝室はめちゃくちゃですし、私の心の傷を抉って泣かせますし、とにかく許されざることですわ」

前者はともかく後者は自業自得だ。
それさえ人に押し付けた。
何故か言われれば、彼女は人前で涙を流すのが嫌いだから、だった。
それにさえ何故かと言われれば、とにかく物凄く物凄く物凄ーく、矜持が高いからだろう。
彼女の貴族らしさはこういうところである。

「だから、私は貴方に辛い罰を与えることにしましたわ」

何でもこいと言う感じだった。
どうせ鏡華帝国に逃げ帰ったところで殺される身。
ここでそうなろうと構うまい。


「世霊雛綾。貴方に、一年間の長期休暇を与えます」

「……は?」

「ですから、長期休暇」

「それはわかってます!……でも、何故」

拍子抜けだった。
死罪とか禁固刑とか、よくて奴隷とか、といろいろ考えていたのが馬鹿らしくなるくらい。

「何故って、疲れてお酒呑んで酔っ払って君主に掴み掛かっちゃ、これは危ないな、と誰でも思うのではなくて?ですからお休みを」

「いつの間にそんなことに?!」

「今」

珍しく心からの絶叫だった。
晴れて今日から期限付きで筆頭女官解雇。明日から自堕落な生活である。

「あ、大丈夫よ。過ごしやすい山間に別邸があるからそこに行ってくださいな。お父様もよ」

なんだかもうわけが分からない。
少なくとも、彼女は当分自分を手放す気はないのだ。

なれば、この命。彼女のために使おうではないか。

「けれど、一年経ったら帰ってきて下さいね。貴方は私の大切な筆頭女官ですから」

もとより無くなっていたであろうもの。
残りの生涯を、ただ、月に愛されし麗しき女王の為に。


「御意に。我が愛する女王陛下」


誰かのために自分の何かを差し出すのは、とても清々しいものだと、気づいた。







貴方が少しだけ

幸せでも

あるいは不幸でも

私は貴方を選んだでしょうね


けれど、道を見つけた貴方にとっては

それさえも意味のないこと


さぁ、やりたい事を

遂行なさい



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