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神子色流れ
黄の国


あぁ、私がもう少しだけ

幸せだったなら、

事実は違ったのかしら?


でも、今となっては

それさえも意味のないもの


ただ、やるべき事を
遂行するのみ


「〜第十一章 兇手の願い そして決別〜」




すでに夜が明けていた。

珍しくも徹夜で政務に取り組んでいた月翔国妃凰蘭は、眠たそうにまぶたを擦った。

朱鸞国の国妃と柳弦国の国妃はよく政務をサボると言うから、どんなものかとやってみた結果がこれだ。

普段からこつこつと地道に仕事をしていた彼女にとって、唐突に大量の仕事はなかなかに苦痛だった。

好奇心で何もかも動くべきではない。


「……眠い」

呟かれたものさえ眠気を内包し、朗らかな常の印象はどこかに飛散していた。

今は軽装で頭飾りもないが、若干の重みを持つ衣装は動くのが億劫になるぐらいではある。

眠気は去らないが、それでも朝にはやることが多くあった。
朝の祈祷もしなければならないし、朝食を食べたら湯浴みもしなければ。

ダルい体に鞭打って動かせば、一日くらいはなんとか保ちそうだ。

「女王陛下ー?」

背後で聞こえる虚ろで甘い声を聞いていると、すぐさま夢の世界に逃避しそうになる。

自分も大概だとは思うが、彼女の声色は特別に甘やかでふわふわしている。
そして彼女はどんなときでも容赦なくその声を発揮するのだ。

「女王陛下。朝餉の用意が出来てます」

「分かりましたわ。あぁ、でも、食欲はあまり無いと伝えて下さい」

甘い声の筆頭女官、雛綾が頷くのを見ると、凰蘭は背筋を伸ばして寝室を出た。



敷地が広大で平に作られた月翔国妃城、月楼城に朝日が強く差していた。
光も風もよく通る造りをした城は環境によく適応する。
すでに季節は涼しくなる頃だが、朝日のお陰でそれすらあまり感じられなくなるほどだ。

庭に面した吹き抜けの廊下を進む凰蘭は、彼女が常にいる部屋に向かっていた。
入り組んだ廊下を迷いなく歩き、いわゆる謁見用の部屋に辿り着く。

御簾越しに、玉座がうっすらと朝日に照らされている。
見ようによっては幻想的だが、別の見方をすれば寂しげだった。
そして凰蘭は、それを寂しげだと表現する感性の持ち主だった。
言葉で飾れば如何様にも物語を作り出せるが、生憎と彼女にそんな文学的な趣味はない。

感性が豊かとよく言われるが、実際は表現せずにゆったりと笑んでいるだけだ。
落ち着いた雰囲気さえ持てば、神秘性など後から湧いてくる。
気高い女王など、そうやって出来た偶像の良い例だ。


嘲笑を持って玉座に座すと、確かに神秘性を以てその姿は映えた。
凰蘭が思う事も、あながち間違いではないのだろう。

やがて朝餉が運ばれてきて、意識も朦朧に、それを食した。
宣言通り、普段より量は少なめだった。

後は湯浴みの支度が済むまで寝ていればいい、と玉座に深く凭れて瞳を閉じた。
さすがに完全に眠るわけにはいかないので微睡むだけだが、覚醒するには充分だった。

「姫様」

やがて声がかかった。
彼女をこう呼ぶのは今は一人だけだ。

「おはようございます。雅染」

瞳を開け、御簾越しに畳に膝を着く騎士を見つめた。
明るい金の髪が昇りはじめた日に照らされ、少々眩しい。

変わらない笑みを浮かべた彼は、確か夜警にあたっていたはずだが、微塵も眠気を感じさせない。

(体力が違うのかしら。……ずるいわ)

心の中で拗ねたように呟くが、その見た目は微塵も変わらない。
皆、そうして、心を押し留めて普段の生活を生き抜くが、彼女はその最たるものだ。
国妃と言う役職が油断を許さないものなので仕方ないが、そもそも自分を表現することが極端に少ない。

「姫様、今拗ねたでしょ」

しかし、彼にかかればそんな表面上の笑顔は簡単に見抜かれた。
どういうわけか、虚勢や意地はおかしなくらい通用しない。
そんな、どうも不思議なところがある男だった。


「女王陛下。湯浴みの準備が……あら、団長閣下。おはようございます」

「これは筆頭女官殿。おはようございます」

穏やかに挨拶を交わす二人だが、そのやりとりは事務的だ。
仲が悪いわけではないが、それでもどこか弊害があるのだろう。

「女王陛下。湯浴みを致しましょう」

多少の言葉交わしのあと、すぐに雛綾は向き直った。
この形で雰囲気も柔らかだが、問題なく有能で、さらに彼女は切り替えが速かった。
しかも忘れがちだが三十路前だ。

「それでは、私もそろそろ朝の訓練がありますので。御前、失礼を」

しかし切り替えの速さでは雅染も負けてはいなかった。
平民出身と言うのが信じられないくらいの優雅さで部屋を退出するまで、五秒も経たない。

「行きましょう。女王陛下」

雛綾に呼ばれて我に返れば、待ちきれなかったのか、御簾の中にその姿があった。
無言で立ち上がるのもどこか不自然な感覚があったが、やはり何も言うことはなく。

立ち上がった凰蘭を見て満足そうに笑う彼女は、どう見ても三十路手前には見えなかった。




さて、凰蘭と別れた雅染だったが、朝の訓練と言うのは事実無根であった。
本来ならある筈だが、夜警に当たっていた彼の場合はもう少し遅い時間だ。

ならば雅染がどこに向かっているのかと言うと、騎士団詰所の一角にある厩舎だった。

そこは馬達がすぐに出られるようにと、開けた出入り口になっているが、中に入らず脇を通ると微かな隙間がある。
ちょうど大人が二人居れるほどの広さだ。

雅染はここで待ち合わせをしていた。
時間はとうに過ぎていたが、相手は義理堅い人物だ。目的を果たさず立ち去ることはないだろう。

「やぁ。おはよう」

高い草で隠されたそこに人がいることは分かった。
声をかけたが、機嫌が悪いのか返事はない。

「ごめんね。夜警があってさ、気付いたらこんな時間で。いやぁ、遅れるつもりはなかったんだけどね」

言いながら、詫びのつもりで常備している蜜柑を投げたが、草から伸びた手で叩き落とされた。
蜜柑は見るも無惨な姿だ。

美味しいのに、とぼやきながら、それでも落ちた物を食べる気にはならず、雅染は新たな蜜柑を咀嚼し始めた。

「時間を過ぎたことに関しては気にしていない。俺が苛立っているのはお前の態度にだ」

相手が発した声も剣呑で、機嫌良さげには見えない。
しかし雅染も慣れたもので、構わず蜜柑を口に運ぼうとした。

無論、機嫌の悪い相手の男に白刃で真っ二つになってしまったが。
飛び散った汁を舐めとり、こうまで来ては雅染もふざけるのを止めた。

「手短にね。僕も暇じゃない。今朝は学会の方にも出なきゃいけないし、訓練の指導に行かなくちゃならない」

「お前がふざけなければ数分もかからない内容だ」

すぐさま返された返事に肩を竦めるほかなかった。
手厳しいな、と小さく呟き、ようやく表情に真剣味が差す。

「これを。中身を読んで、後はお前に任せる。俺も好きにやった」

「それだけ?だったらこんな面倒なやり方しなくても」

「極秘だ。下手に早馬に任せて情報が知れるわけにはいかない」

内心、雅染は嘆息していた。
正直なところ、各国がどんな動きをしようが興味なかった。
自分が守護すべき姫さえ無事なら、滅ぼうが侵略されようが、自分にとっては窓の外の出来事だ。
知ったことではない。

「分かったよ。用はそれだけだね。また会おう。我が同胞」

ゆえにこの時は、彼は受け取ったものに目を通しはしなかった。


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あきゅろす。
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