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神子色流れ
緑の国 和解


不意に、気配が動く。

深いため息。

「……っ駄目だなぁ。俺。……ほんっと、緑流さんの涙に弱いんだもん」

双源の手が、泣く緑流の頭に乗せられた。
不器用に撫でる手がとても暖かかった。

「ごめんね。緑流さん。……ほんと、ごめん」

いつもの調子ではなかったが、それは確かに双源だった。
とても悲しげな、悲痛な小さな声。聞いた事もないようなそれだったけれど、ひどく安心できた。

「謝って、それで許してもらえるとは、思ってない。けど、ほんと、ごめん」

緑流は必死に首を振った。
後から後から流れ落ちる涙は止まらないというのに、伝えたい事、伝えなければならない事は多かった。


泣きながら、緑流はようやくその顔を上げた。
凛とした印象はまるでなく、国妃と言う立場も本来の性格も全て取り払った弱い泣き顔だった。

「……大丈夫、もう、大丈夫、だから。もう誰も、傷つけなくていい。……私がそんな事させない、から」

頭に置かれていた手が離れ、今度は緑流がそれを握った。
大丈夫、と繰り返し続けた。
その手の暖かさは、いつもと何ら変わりない。
それがとても幸せだった。


「……中に戻ろう。緑流さん」

するりと手を取り返し、再び緑流の髪をくしゃりと乱す。
頷いたのを確認してから、彼女の背後に倒れる扇麗を抱き上げた。

「……っ、ようやく、目が、覚めましたか……」

扇麗が微かに開いた唇から、そんな悪態を聞いた。






幸い、城内の人々はまだ活動を始めていないようだ。
まずは扇麗の手当てをしなければならなかったし、いくらかの打撲がある双源も手当てしてやりたかった。

緑流は二人を自室に通し、医療用具の一式を取った。
双源はともかく、扇麗はかなりの深手だ。
本当はもっとしっかりした治療が必要だが、ともかくは応急処置だ。

持ち前の知識で扇麗にある程度の処置を済ますと、今度は手早く双源の治療を始める。

「……扇麗さん。強いね」

苦笑いで双源が言った。
最初は手当てされるのを渋った双源だったが、強引に緑流が治療を進めると、仕方なしに押し黙った。

「ほとんど私の母上と同格の強さだからな。一時は将軍職に就かないかと言う話もあったらしい」

自分の調子を取り戻した緑流はすでに泣き止み、着々と手早くを進める。
一国の女王と思えないほどの手際の良さに苦笑いを禁じ得ない。

「緑流さんの母上ってうちの女将軍なんでしょう?確か、燕楼采歌殿」

「そうだが……」

「で、扇麗さんは一等軍師。なのに、何であんな強いんだろね」

「扇麗の姓の峰家は、代々続く武家だからな。血筋もあるんだと思う」

言って、緑流は再び手当てに専念した。
双源も言う事がないのか、黙って手当てされている。

ただ、驚くほど無表情だった。
わずかに影が掛かった瞳のせいで、見るからな美青年だ。
追随して言うなら、均整の取れた上半身は、手当てしやすいように衣服に被われていない。

その顔をとっくり見た緑流は少し顔を赤くして、その結果として手元がもたついた。
濡れた手拭いを置く動作が速くなり、次いで手にした包帯をうっかり取り落とした。

「何やってんですか」

一つ吹き出した双源が、コロコロと転がったそれを拾う。

その間に冷静さを取り戻し、緑流は包帯を受け取りながら、それを口にした。

「お前の……」

「ん?」

首を傾げる気配。
次の瞬間に、緑流は躊躇いなく言い切った。

「お前の話を、聞かせて欲しい」

双源は目を見開いている。
自分が座っていた椅子に再び腰掛け、やはり少しだけ首を傾げて聞いた。

「……何で?」

「それが私の務めでもある。私はこの国の女王で、お前の主だ。臣下に迷いや悩みがあるなら、聞いて解決するべきだと思う。だから、お前の話を聞かせて欲しい。聞くべきだと私が私に訴えるんだ」

凛々しさが特徴の柳弦国妃たる顔が戻って来たようだった。
その瞳には一分の迷いもない。

「つまり、臣下である俺には迷いや悩みがあり、且つそれを取り除くと?」

迷いもない緑流には、何を言われようと引き下がる気はない。
力強く頷いた。

「あのさぁ、俺、あんたを殺そうとしたんですよ?まだ、俺を臣下って言うんですか?普通、話を聞くまでもなく刑罰でしょ」

困り果てた苦笑いを浮かべた双源は、僅かに低い緑流の頭を軽く叩いた。

「誰が私の臣下なのかは私が決める。この国の主は私だ」

そもそも緑流は謙虚な姿勢が国民の人気を博した。
ここまで自分が主であると主張するのは非常に珍しいことだった。

「職権乱用……」

「こんなときにあるもの使わないでどうする」

もともと倹約姿勢が目立つ緑流だ。
大概は言い負かす事が出来る双源もそんな倹約姿勢をこんな所で持ち出されては、これ以上、どう言う事も出来なかった。


「分かりましたよ。何を話しゃいいのか分かりませんが、んじゃま、俺が話したい事話しますが、いいですよね?」

さすがに剥き出しの素肌が寒く感じたのか、双源は自分の羽織を持ち上げながら語り始めた。

「まぁもう気づいてると思うけど、俺は鏡華帝国の暗殺者です」
「そうだったのか?!」
「……」

一瞬、頭を抱えたくなったが、なんとか持ちこたえた。
人間、やれば出来るもんだ。

気を取り直して、手にした羽織りを着ながら、改めて話し出した。

「俺の出身、公式じゃここって事になってるけど、実際はもちろん鏡華帝国。残念な事に、俺が暗殺者になる運命はすでに決まってた。今でこそ俺もここで平和にやらしてもらってるけど、帝国にいたころはそりゃあ酷かった。自分でも、外道だなぁって思うよ」

そこで彼は言葉を切った。
静かに耳を済ます緑流に微かに笑んでから、それからまた話を始めた。

「俺はもとから武家の出だった。鏡華帝国でもそれなりに名の知れた、ね。うちはそもそも、暗殺者を歴代数人輩出してた。俺が当時の一員だったってだけの話」

「お前が此処に、私のもとに来たのは、帝国からの命令、だったのか?」

平静を装っているが、鮮やかな緑の瞳が微かに潤んでいるのを彼は目ざとく見つけた。

何に対して涙を浮かべているのかは分からないが、自分がした話でそんな表情をさせてしまったのは事実だ。

ただ、守りたいと思うのに。


「最初はそうだったよ。内容は暗殺じゃないけど、柳弦国妃の観察だった。途中からさ、あれもしかしてこれ上手く逃げれんじゃね?ってなって、上からの指示も適当にかわしてたんだ」

静かに言葉を待っている姿を見てると、申し訳なくなった。
いくら言い訳を重ねても、事実は消えやしない。
自分がした事は、永久に彼女の心に刻まれて、傷となるはずだ。
相手が誰であれ、命を狙われて恐ろしくないわけがない。

「最近だよ。ほんと最近。一ヶ月も経ってない。……俺に、あんたを殺すように命令が下った」

顔が強張ったのが見てとれる。当然だ。
それでも気丈に話を聞いてくれている。
真摯に、ただ真剣に。

「あぁ、とうとうきたかって。目の前が暗くなった。最初はまたかわそうとした。けど、今回ばかりは、命令違反に残るのは死だけだった」

緑流は何も話そうとはしない。
彼女にとっては話を聞くだけの時間が過ぎた。

「俺の両親はさ、九代帝王の時に、流行り病で死んだんだ。知ってる?病名はないけど、体の一部が腫れて、そこから全身に広がる赤い斑と、高熱が続く病気。最後は死に至る」

それを聞いて緑流は息を飲んだ。
彼女自身、かつての時代に生きた一人だ。
その症状を聞いたのは何度目だろう。

「私の即位前、鏡華帝国の、主に山間部で流行った病気か。感染者の体から出たものに触れると感染。そのせいで看病していた人から罹った」

「そう。うちは広大な道場のお陰で、山間部に屋敷があった。最初に罹ったのは確か父上。母上と何人かの侍女が看病していて、感染した。お陰で隔離されて、大した治療も受けられなかった」

名もないその病は既に根絶したとされているが、犠牲となった人々の正確な数はない。
村一つが病に罹れば、火を放った。怪しきは罰しろ、と。

「命令を拒んでも、さ。俺には、何も残ってないってのに。俺が死んでも、誰も悲しまねぇってのに。ただ、死にたくねぇってだけで、あんたに手を下した!俺は、そう言う奴なんだよ!」

表情を歪めたままの彼に、緑流は静かに瞳を閉じた。
それに気づかない双源はとうとう片手で顔を覆った。

「楽しかったのにさぁ。緑流さんと扇麗さんに叱られて、部下達と馬鹿やって。時々会う茜雅からかいながら、あんたと桃凜嬢が話してんの見てて。嫌いだった自分を、やっと好きになれるかなってときに」

嗚咽を漏らす双源に、緑流は何も言う事が出来なかった……わけがない。
徐に立ち上がった緑流は双源の近くまで来ると、いくらか高い位置にある双源の頭をポンポン、と軽く叩いた。

「……自分が死んでも誰も悲しまない、なんて。そんな事言うな」

微かに顔を上げた双源は一度歯を食いしばると、緑流の首に出を当てて、一言だけ話した。
その瞳は涙に濡れている。

「俺が本気出せば、あんたの細い首なんか簡単に折れる。仕事なら俺もそれを躊躇わない。それでもか?俺が死んで、悲しむ人がいるってのか?!」

試すような問いだが、緑流は真意を見つけていた。
この問いに関しては、ただ否定して欲しいだけなのだ。
自分が死ねば悲しむ人がいる。必要な人だからだ、と。この肯定が欲しいのだ。

「お前はそんな事しない。現に私は生きている。これが事実だ」

そこまで言って、一度緑流は顎に手を添えて考える仕草をした。
ふむ、と少し唸る声もする。

「違うな。私が言いたいのはそういう事ではない。えーっと、つまりだ」

考えが決まったらしい彼女は一つ咳払いをし、真摯に瞳を見つめた。

「……お前がいなくなれば、私は悲しい。それは死だけでなく、どこか遠くに行ってしまうとか、それも含めてだ」

それを言うと、双源は本当に泣き出してしまった。
嗚咽に紛れながら、絞り出した声は震えていた。

「なんで……あんたは……」

「なんだ。まだ言葉が必要か。仕方ない。これで最後だからな?」

ふざけたように言ったことに気づいた緑流は、ふと、随分こいつに感化されたものだ、とこの最中に少しだけ笑っていた。


「……よく、命令に従ってくれた。よく、私に手を下してくれた。よく……生きていてくれた」


「……もう、俺、うん……死んでもいいや」

「それは許さん」





自由を奪われたなら

奪い還そう

変貌を許されないなら

許しましょう


私がすべてを解放しよう

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あきゅろす。
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