神子色流れ
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そして、あの時から五年が過ぎた。
「行くわよ!茜雅!」
「あぁ!」
成長し、九歳となった桃凜は武術を極め始めた。
自分よりも三年速く武術を習い始めた茜雅を相手に、剣の修行をしていく。
九歳にしては強い方だったが、速く習い始めたことや年齢、性別などがあって、大抵茜雅に一本取られて終わってしまう。
この日もそうだった。
「はぁ〜、また負けた〜」
そう言って、広い岩場の上に寝転ぶ。
伸ばし始めてから三年ほど過ぎた髪が、惜しむことなく広がった。
「お前、一応宗主様の娘なんだから、少しくらいおとなしくしたらどうだ?」
岩場に剣を突き立て、あきれた顔で問うて来る。
背が伸び、より精悍な美少年となった彼も今は両親の後継ぎとして勉強の日々だ。
「人の前じゃ、おとなしくしてるからいーの。別にいいでしょ。茜雅には関係ないよ〜だ」
「おいおい」
そして同じように、岩場に寝転ぶ。
近くの滝が凄まじい滝音を立てている。
それにさえ負けないように、桃凜が突然漢詩を歌い始めた。
茜雅にとってはいつもの事だが、彼女は暇になると漢詩を歌う癖があった。涼やかな声が耳に心地良い。
誰もそれを咎める者はいなかった。
「そうだ!」
「どうした?」
いきなり飛び起きたので、茜雅は寝そべったまま目を向ける。
そうしてる間にも、桃凜は練習用の剣を鞘にしまっていた。
「茜雅!久しぶりに城下まで出てみない?一ヶ月ぶりくらいだよね」
体を起こした茜雅に飛びつくように提案したあと、すでに決まった事のように桃凜は心踊っている様子だった。
「城下?それはまた急だな」
「お母様に聞いてくるわ。適当に準備して待ってて」
「あっ、おい!許可降りなかったどうするんだ!」
「降ろさせるから平気ー!」
決断力の強さは他の追随を許さないだろう。茜雅もやれやれと立ち上がり、岩場を飛び降りた。
「わぁ!やっぱり城下は賑やかね!」
「頼むから迷子にはなるなよ」
「りょーかいでーす!」
蘭声からの許可をまんまと勝ち取った桃凜は、茜雅を伴って朱華城下に来ていた。
城下には想像以上の人が溢れている。今日は国民の休日だったか。
「全く……。あれで良家のお姫様って……。世の中間違ってないか?」
なにげに失礼なことを言って、元気に進む桃凜の後を歩き出した。
はぐれそうになりながらも、茜雅が桃凜に追いつくと、突然何かを突き出してきた。
「茜雅!これあげる」
そう言って桃凜が渡したのは、桃汐と金剛石のちょっとした銀細工の腕飾り。
見ると同じ細工をした首飾りを桃凜がつけていた。
「あぁ。ありがとう」
素直にそれを受け取ったが、この人混みの中で着けられる程、茜雅は器用ではなかったので、すぐに仕舞ってしまった。
それでも桃凜は、気を良くして、笑っていた。
緩やかな時間が流れる中、その時は刻一刻と迫っていた。
「桃凜様……!」
この城下にはいないはずの女性を見つけて、桃凜は目を見開いた。
「風さん?どうしたの?」
かつてより大人っぽくなった侍女の琉雨だった。確かもう二十になるはずだ。
桃凜は舌ったらずが直っても、琉雨の呼び名を変えることはなかったので、すでにそれは彼女の愛称として定着していた。
「申し訳ございません。わたくしは不甲斐ないばかりに……」
「何?どうかしたの?」
町中で桃凜にすがり付いて泣き崩れる。
周りの人は、忙しいのだろう。その城下では誰もが、通りすがりの第三者で、関与しないその他大勢だった。
琉雨が町中で泣いても誰も気にしなかった。
「鏡華帝国の帝王が、この朱鸞国の次期国妃を正式に桃凜様になさると……!」
「なっ……!」
琉雨の口から発せられた言葉が信じられず、桃凜は目をむいた。
鏡華帝国、国妃、と言った言葉が聞こえたせいか、町人の中にも騒ぎ始めた人がいた。気づいた茜雅が、人の居ない場所に誘導しようと二人の手を取った。
三人だけになると、本格的に琉雨は嘆きだした。
「桃凜様、どうかお逃げ下さい!今は蘭声様と霰善様が説得なさっています。今の、この混乱の情勢では、いつ反乱が起きてもおかしくない。そうなれば現国妃のみならず、次期国妃となる方にも被害があるやも知れません。海に船も用意させました。それでどうか、東の島国にお逃げ下さい!」
時は、鏡華帝国第九代帝王の時代であった。第九代帝王白 煖琅の治世で各地に争いが起き、どの国も混乱の情勢にあった。
古くから、反乱の対象となるのは、王や王妃、またはその下の者達だ。
欲求不満となった人間の、反乱の威力と残酷さは、話に聞いたばかりだが、桃凜も良く知っていた。
桃凜も迷っていた。
確かに死にたくはない。だが、大切な故郷を犠牲にできる程、非情になれるはずもなかった。
自分か仲間か。九歳の身には重すぎる選択がのしかかった。
(ここで逃げて、鏡華帝国にそれが知れたとき、雛雪村の人はどうなるの?よく考えなさい。桃凜。……どうなるかなんて、そんなこと目に見えてるわ。今の帝王が許す筈もない。良くて一家首吊り?悪くて虐殺?馬鹿馬鹿しい。人が死んだら堂々巡り。そんなの何の解決にもなりゃしない。……でも私には、自分を犠牲にするだけの度胸があるの?わからない分からないよ!)
なまじ桃凜は頭が良かった。一を言えば十を理解するように、好奇心で新しい事を求めた。故に、簡単に答えを出せる程、子供ではなかった。だが、自分を犠牲にするだけの度胸もないぐらいには子供だった。
「国妃になれば、ご家族やご学友とも縁を切らなくてはならなくなります。雛雪の皆様も、それは嫌がっておいでです」
琉雨は葛藤する桃凜を見て、さらに言い募った。ちらりと茜雅の方を向いて、すぐに桃凜に視線を戻す。
「でも……」
それでも、やはり迷いは消えなかった。
「桃凜。俺も反対だ。今じゃないのならまだしも、つい最近朱華城が襲われたばかりじゃないか」
「我々の事を気にかけて下さっているのなら、どうかお気になさらず。我々はどうなろうと構いません。桃凜様は私共、侍女が雛雪の誇りに誓って、無事にお送り致します。さぁ、桃凜様!」
「俺も簡単にくたばるつもりはない。お前は生きろ桃凜!」
だが、茜雅と琉雨に言われても、桃凜が首を縦に振ることはなかった。
彼女は決意した。
自分を犠牲にする?馬鹿馬鹿しい。犠牲になるなんて決まったわけじゃない。生き続ける。そして、雛雪のみんなも助ける。
「ごめんなさい。風さん。そこまでされて断るのも、なんか気引けるけど、でも、あたしは逃げない」
桃凜は、嬉しいような悲しいような、そんな顔をしていた。
決意が固まれば、彼女を止める者などいない。決断力においては、他の追随を許さない。
「何故ですか?!」
「桃凜!!」
琉雨と茜雅、二人に何と言われようと、桃凜の気持ちが変わることはなかった。
「ここで鏡華帝国から逃げても変わんないよ。寧ろ、余計な犠牲も払ってしまう。私を逃がした事がばれたら、雛雪村の人達がどうなるかなんて、目に見えてるよね。何の解決にもなりゃしない」
すでに、表情からは子供らしさが抜けていた。全て決意した桃色の瞳は、ともすれば不死鳥のような火色にも見えた。
「それから、二人共自分を犠牲にするなんて馬鹿な事言わないで。お母様が掲げた雛雪の誇りは、自分を犠牲にするような事じゃない。自分も共に仲間と生きる事よ」
「桃凜様……」
「桃凜……お前……」
二人が反論の言葉を無くすと、桃凜は潔く笑んだ。
「いいよ。なって上げるよ。気高き母蘭声、強き父霰善の娘、この私、桃凜を甘く見るんじゃないわ。次期国妃、ゆくゆくは朱鸞国妃。その役目、受けて立ってあげようじゃないの」
挑発的な微笑みに、本当の彼女の性格が見え隠れする。
町の賭師と遊んで、良く話術を仕込まれていたのをこんな時だと言うのに思い出した。
「と、言うわけで、一度、家に帰ろう」
あっさりと片付けるのも彼女らしい。
葛藤があったとは思えないほど、彼女は揺るぎなかった。
「と、桃凜様!」
琉雨に呼び止められたので、背を向けたまま、もう一度言う。
「あのね、琉雨。あたし、人が死ぬの嫌いなの」
それだけいうと、そのまま歩き出した。
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