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紺の空


白い。

純白というには暗い箇所が多過ぎて、灰色というには白過ぎる。前へ前へと進む内に細かな粒子が肌を滑り、一瞬で水に変化する。
冷ややかな白い世界は唐突に終わった。
上から夜空が降ってくる。白い雲はみるみる下がって海と化す。

汽車は空を飛んでいた。


「車掌さん」
地上にいた時より遥かに数を増やした星々を見上げて、少女は呟いた。
「空にも駅があるの?」
「…いや」
車掌は僅かに目を伏せた。
そのまま言葉が続かない事を不思議に思い、少女が振り返る。
汽車の行く先だけを見続ける彼の目は、やはり少女を見ようとはしなかった。
「……」
少女は捻っていた上半身を戻し、車掌と同じように前を見つめる。
汽車はどこへ行くのかと。


汽車が走る夜空は晴れていて、もう雲の中を行く事はない。満天の星空。頭上に浮かぶ無数の星が今にも降りかかってきそうだ。
少女はふと、客室車両に乗っているもう一人の車掌を思い出した。
「…うさぎさんは、どうして喋れるの?どうしてこの汽車に乗ってるの?」
「…あいつは、『月のうさぎ』だ」
「月?」
少女が反射的に聞き返すと、車掌は「あぁ」と頷いた。

「月にはうさぎがいるって言うだろう」
「うん。でも…」
少女は月を見上げる。天高く煌々と輝いている丸い月。そこにはクレーターの凹凸が歪な影を作っているだけで、うさぎの姿など見えはしない。
「昔 汽車に不具合が起きて、月に不時着したんだ」
「不時着…?」
「故障を直すのに、月に寄ったって事だ。そこで会って…俺が誘ったのさ」
それまでは一人だった。
車掌はそう言って一瞬、客室車両を見た。体も顔も前を向いたままでは見る事などできなかったが、うさぎの車掌の姿を思い起こすには十分だ。


「うさぎさんはどうして月にいたの?」
「…神がそうしたからだ」
「神様?」
「あぁ。人の為に自分の命を捨てた…その行いを、月を見る度に皆が思い出すように」
少女はもう一度月を見上げた。
今はもう歪な影ばかりで、そこに『月のうさぎ』の姿はない。
昔は見上げるだけで見えたというのなら、ある日忽然と消えたうさぎを、昔の人はどう思ったのか。

「車掌さん、」
言いかけながら、少女は車掌を見た。
車掌の目は汽車の前方を見たままだが、今はそれよりもっと遠い、遥か昔の記憶を見つめているようだった。

車掌はどうしてうさぎを誘ったのか、うさぎはどうして誘いを受けたのか。少女にはまだ聞きたい事があった。
けれどずっと変わらない車掌の表情が、声が、さっきまでとは違っていたように思えてきて。
質問は声になる前に空気に溶けた。


また前を見ていようかと思ったところで、少女はふと、汽車から何か出ていくのに気付いた。
後ろに連なる客室車両の窓からぽっと淡い光が滲み出て、どこかへするりと飛んでいく。たった1つで遠くへ飛んでいくものもあれば、2つ3つ伴って飛んでいくものもある。
まるで汽車に乗る前の乗客たちのようだ。

暖かい光に目を奪われ、少女は車掌の袖をくいと引いた。
「車掌さん、あの光は何?」
「……」
「どこ行くんだろう…」
「…一番綺麗な場所だよ」
「一番…?」
また1つ光が飛んでいくのを見送って、少女は車掌を見た。光が飛んでいく方向はバラバラで、消えてしまうタイミングもバラバラで。
全く違う場所に向かう光の群れ。
「……」
それきり黙った車掌からそっと目を離し、少女は消えていく光をじっと見つめていた。



客室車両にはもう、客は一人もいなかった。

うさぎの車掌が一両ずつ丁寧に見回って、落し物や異変がないか確かめている。
汽車の窓をカタリと開ければ、冷たい風が吹き込んだ。うさぎの車掌はひょいと顔を出して先頭車両の方を見る。

ぼんやり白く光って見えるのはきっと、あの少女のワンピース。
うさぎの車掌は車内に引っ込み、窓を閉めて呟いた。

「あと、一人」

静まりかえった汽車を明るい夜空が包んでいる。
輝く月と散らばる星々から逃げるように、汽車は少し、高度を下げた。





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