[携帯モード] [URL送信]

小説

巧に降り立った瞬間、そのにぎやかさにぼくは驚いた。
人が、店が、あふれかえっていた。
物売りの元気のよい声や、飯店から上るおいしそうな香り。装飾品の店には、若い女たちが数人楽しそうな声をあげて笑いあっている。
慶では、見たことの無い光景で、ぼくはとまどってしまう。他の人々も周りをきょろきょろと眺めていたので、ぼく同様とまどいを隠しきれないようだ。
ぼくは桔玲を探したが、どこにもいなかった。
誘導する頼章が遠くに見えるだけだ。

ぼくたちは、数人に分けられて、馬車に乗せられた。ぼくはどうにかして頼章と一緒に乗ろうとしたが、頼章は先頭の兵士だけの馬車に乗り込んでしまったので、それは叶わなかった。

馬車の窓から、河が見えた。慶の河は曲がりくねっていたのに、巧の河は、まっすぐ静かに流れていた。
横にいた老人が、治水がしっかり行われている河なんだよ、と教えてくれた。
畑で働く人々の歌う声や、笑いあう声が聞こえて、なんだかぼくはみじめな気持ちになった。
大人たちもみなまじめそうな顔をしていた。泣きそうな人もいた。
この差は何なんだ。そうつぶやく声が聞こえた。
 
着いたのは、広大な野原で、大きな天幕が中央にあり、その周りを簡単な小屋が何棟か囲んでいた。
兵士たちに振り分けられながら、人々はそれに従って小屋へと消えていった。
天幕からは、白い煙が上がっており、美味しそうな匂いが風に乗って香っていた。ぼくはそのにおいを勢いよくすいこんだ。
慶では、草の根で、食いつないできた。秋鈴は草の根を食べることをかたくなに嫌がっていた。
今、秋鈴はどうしているだろうか。生きていてくれたらいい。
もう会えなくてもいいから、ただ生きていて欲しい、白い煙を見ながら、そう思った。


ぼくはあたたかなまんじゅうを二個もほおばった。
食べ終えると、比較的若い兵士が、ぼくを手招きするので、ぼくはかけってその兵士のそばへ行った。
「頼章様がお呼びだよ。あの、大きな天幕の側にいらっしゃるから」
ありがとうございます。
兵士にそう告げると、若い兵士は照れくさそうに笑った。
 
頼章はぼくを見ると、やはり以前同様、なにか思い悩むような顔をしていたので、ぼくは下男になれないのだろうかと、不安になってしまった。
頼章は、複雑な顔のまま、ぼくの頭をぐしゃぐしゃとなでた。ぼくは思いきりなでられて目が回ったようにくらくらしたが、その様子に、頼章は空気を少し和らげ、手に持っていた巻物をぼくに手渡した。
ぼくが閉じ紐をほどくと、そこには美しい柔らかい筆跡で文字が書かれていた。
「−幸祐。と書いてある」
頼章が低い声で告げた。
「お前の新しい字だ。姓名は、さすがに桔玲様も変えることはできぬとおっしゃられていた。坊主と両親とのつながりが、すべてなくなってしまうことを、自分の手で行うことはできないと。だが、字を、桔玲様が下さった。これから、幸祐と名乗りなさい。大事にするんだ。いいな?」
「・・・幸祐」
巻物に書かれた文字を読むことはできなかった。それでも、その字から目が離せない。
「大事に、しろ。桔玲様の御心だ」
ぼくは名前の書かれた巻物を胸に抱えて、何度も何度もうなずいた。


[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!