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小説
選択と過去との決別
「子を、亡くしたと聞きました。私は、一人母を亡くした子を知っています。一緒に暮らしては頂けませんか?」
―確かに子を亡くしました。戦乱を一緒に生きてきた自分の子を。なぜ悲しみもさめない中、そのようなことを聞くのですか?あたしには無理ですよ。他人の子を、これからただでさえ大変なのに、慈しむことも、世話することもできはしませんよ。
「幼い子が親を亡くしました。あなたも親を亡くされたとか。どうでしょう。同情でもいいのです。世話してあげては頂けませんか?」
―子供はすぐに病気になります。怪我をします。その子はかわいそうだと思うが、今、世話をしようなど思う人はいないでしょう。大変な生活の中で自分が、自分の家族が、皆大事で、それは貴女様もお分かりになりますでしょう?
「下男を探していると、聞きました。頭のいい子です。幼いが、すぐに仕事を覚えるでしょう。ひきとっては頂けませんか?」
―申し訳ないが、頭のいい子は、すぐに反抗することを覚え、勉強したいという。ただ、働くだけの子が欲しいのですよ。頭のいい子は欲しくないのです。







夜になり、ぼくは最初に過ごした部屋に戻った。あの最期の、母の叫ぶ声が、耳から離れなかった。
寝ては起き、起きては眠り、いつのまにか朝になっていた。
朝、寝不足のはれた目で、空を眺める。慶ではずっと見ることの無かった青空が、太陽が目にまぶしかった。塩辛い風のせいで、ぼくの単衫は、髪は、ぱりぱりだった。真っ白な鳥が飛んでいる。ぼくは太陽に自らの手のひらを向ける。透けて、血潮が見えた。
ぼくは生きているのだ。

「秋鈴」
ぼくは驚いてしまった。そう呼ぶ人はもういないはずだった。後ろを振り向くと、頼章がそこにいた。頼章は、複雑な顔をしていた。
「秋鈴。きつれい様がお呼びだ」
「きつれい様?」
ぼくがきょとんとしていると、頼章はぼくの手をとり、歩き始めた。

ぼくが着いたのは、昨日の女の部屋だった。女は昨日と違い、髪を複雑に結い上げ、美しく化粧を施し、絹の薄布を羽織っていた。女は、にっこりと笑って、ぼくを迎え入れた。ぼくは女の美しさに、いっしゅん息が止まりそうになった。
「私の名は、桔玲といいます」
女―桔玲は、ぼくと目線を合わせる為にかがみこみ、ぼくを見つめる。
「秋鈴。まずは、お悔やみを申し上げます。お母様は残念でした。あと少しで巧であったのに。謝って済む問題ではないのだけれど・・・。私たちの注意が足りなかったせいだわ。ごめんなさい」
桔玲はぼくに向かって頭を下げた。
大人の、しかも美しい女の人に、謝られたことなどいまだかつてなくて、ぼくはどうすればいいのか分からなくて、ただ下を向いた。桔玲は、下を向いたぼくの顔を持ち上げ、無理やり視線を合わさせた。
ぼくと桔玲の視線が絡む。
ぼくは、そのとき初めて、彼女の目が黒ではなく、深い青色をしていることに気付いた。

厳しいことを言うようだけれど・・・。
桔玲は、ぼくの顔に手を添えたまま真剣な瞳でもって、ぼくに告げた。

「あなたくらいの年なら、親、もしくは信頼のできる大人と一緒に暮らすべきだと、私は思う。でも、今、皆自分を生かすことに精一杯だわ。それくらい厳しい状況なの。
だから、あなたはこれから、一人で生きていかなければいけない。
あなたが誰かを頼りたくても、頼らしてくれる人を見つけることは、この状況下では難しいわ。たったひとり、まして子供が難民として生きるには、厳しいものがあるの。秋鈴になら分かるでしょう」

ぼくは小さくうなずき、ぎゅっとこぶしを握り締める。
「あなたは頭のいい子ね。もしもその気があるのなら、巧で働けるように、私が取り計らいましょう。ただし、それは遊びでもなく、子供の手伝いでもない。立派な仕事をあなたには責任を持って果たしてもらうことになる。
国の保障の下で、ただし誰の庇護も受けることもなく、難民として暮らすこともできるし、ただ仕える主人の保護下で下男として働きながら暮らすこともできる。
この2つの選択肢を、私はあなたに与えましょう。私にできるせめてもの罪滅ぼし。どちらでも、あなたの、好きにして頂戴」

「・・・ぼくは、もう慶の国民でいたくないんです。難民でいるなら、ぼくは慶の国民のまんまでしょう?」
桔玲が大きく目を見開くのが分かった。
「桔玲様。ぼくを巧で働かせてください。なんでもやります。なんでも覚えます。ぼく、覚えるの得意なんです」
分かりました。桔玲はそう告げ、ぼくのこぶしをさすってくれた。


母の手は、黒ずみ、がさがさとしていた。ぼくがこぶしを強く握るたびに、その荒れた手で、母はいつもさすってくれた。なにも我慢なんてしなくてもいいと、笑いながら。
気付けば、ぼくは桔玲に抱きつき、泣いていた。桔玲が、ぼくの背中を優しくなでてくれる。
大丈夫よ、と穏やかにささやく。
ぼくは声を押し殺して泣きながらきつく、きつく桔玲に抱きついた。
「ぼくの母さんは、とても優しくて。ぼく、母さんが、好きだったけれど、実は憎んでもいるんです」
ぼくは泣きながら、独り言のようにつぶやく。桔玲はぼくを抱きしめ返してくれた。
「秋鈴は、妹の名前です。母さんは、船に乗ってから、いつのまにかぼくを秋鈴としてしか見てくれなくなりました。最期の、最期まで。ぼくはずっとつらくて悔しかった。」
ぼくはようやっと涙をぬぐう。
「桔玲様。お願いがあります。ぼくに名前をください。慶での名前は、母さんに捨てられました。幸せになれることを信じて生きていくために、ぼくに、どうか名前をください」
桔玲は驚いた様子で、多少戸惑っていたが、静かにうなずいたのだった。

 ぼくは桔玲の部屋を後にして、看板にでた。このとき、初めて、ぼくは声をだして泣いた。母との思い出を、母の優しさを、あたたかさを思いながら。


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あきゅろす。
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