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小説
想い
ぼくは母の亡がらを見なかった。いや、見せてもらえなかった。見たくも無かった。以前見た父の亡がらの顔を母の顔に置き換えれば、どのような様子だったか、想像できた。頼章は、きびんに指示を出していたが、時折ぼくの方にやってきては頭をなでていった。
ぼくはあの狭い部屋には戻らなかった。看板でずっと兵士たちの様子を眺めていた。巧の領海に入ってからは海も穏やかで、看板にいることも苦ではなかった。女は看板を去ってから、一度も見ていない。
巧の陸が見えてきたぞ。誰かがそう叫ぶのが聞こえた。兵士が歓声をあげる。慶の人々も数人看板に出てきていて、同じように歓声をあげ、いまだ部屋にいる人たちに告げるべく、部屋へ向かって走っていった。
「おい、坊主」
陸を眺めていたぼくは、頼章にいきなり声をかけられ、驚いて声をあげてしまった。その様子を見て、頼章は声を出して笑いながら、ぼくの横に、どしりと座った。
「巧にあてはあるのか?」
ぼくは陸地に顔を向けたまま首を横に振る。頼章は、まあそうだよな、とつぶやいた。
「この船に知り合いは?」
ぼくは同じように首を振った。
「・・・母ちゃんは、残念だったな」
言うべきかどうか、悩んだのだろうか。少し言いよどんで、頼章はぼくに言った。ぼくは小さく首を縦に振る。
「母ちゃんがいないからと言って、死のうだなんて思うんじゃないぞ」
ぼくは、そこでやっと頼章を見た。
「つらくても、死んじゃだめだ。生きたがって死んでいった人もいる。分かるだろう」
「わかるよ。分かるから、つらいんだ。でも、ぼく死なないよ」
頼章は片眉をあげる。
「あの人が、言ったんだ」
「あの人?」
「あの、女の人。死ねば終わりだって。生きてれば幸せになれるって。そう言ったんだ。ぼく、それを信じてみるよ」

頼章は、狭い部屋に大きな体を折り曲げて、女と対峙していた。しかし女は、頼章の方を見もせず、その長い濃紫色の髪を結い上げていた。女の目には、涙のあとが残っていたが、屹然としていたので、頼章は安堵した。
「あの子に、生きていれば幸せになれる、そうおっしゃったそうですね」
女はちらりと頼章を見た。
「死ねば終わりだ、ともおっしゃられたと」
「ええ。言ったわ。・・・あの子はもう大丈夫かしら」
女は形のよい眉を寄せ、今度はしっかりと頼章を見た。
「大丈夫、のように見えますが。母親を目の前で殺され、平気ではないでしょうね。どこか、ぼうっとした感じも見受けられました」
「そう、ね。・・・ねえ、頼章。私、すごく無責任で、慈悲の無い言葉をあの子に与えてしまったわ」
女はひどくうろたえた目で頼章を見た。頼章が無言で先を促す。
「私、戦乱からずっと離れて過ごしていて、少しずれていたのね。死ねば終わりだなんて、死と直面した生活を送っていた子には当たり前で、そしてなんて厳しい言葉なのかしら。それに、あの子はまだ子供なのだわ。難民として、一人で生きていくには、つらい生活が待っている。生きても、生きても、つらいだけかも」
頼章は女を見つめ続ける。
「私はあの言葉を、生きていれば幸せになる可能性が与えられると、そういう意味で言ったのよ」
頼章はうろたえた女を見て、小さく笑みをこぼした。
「あの子は頭のいい子のようです」
女は頼章を見つめ返した。
「きっとすべて気付いています。貴女がどういう意味で、その言葉を言ったのか。どういう状況が、その言葉を貴女に言わせたのか。それでも、あの子は信じてみると、そう私に言ったのですよ。貴女を信じてみると。その機会が与えられることを信じてみると」
頼章は今度はしっかりと微笑んだ。
「貴女はあの子に、希望を与えたのですよ」
ごめんなさい。いつも、貴方に甘えてしまうわ。そう言って女もまた、微笑んだ。


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