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小説

船に乗れたのは幸運だった。
大勢の人がいて乗れないかと母は心配していた。
港には、小さな漁船のような船を何十艘も用意されていたが、それでも足りない気がした。
雁国民もまぎれているらしい。大人たちは迷惑そうに噂していた。
 
しばらく小船に揺られて、ぼくは大型船に移るようにいわれた。大型船に何艘かの小船から人を移し、空になった小船は再び慶へと戻り、港に残る人々を乗せるのだという。
なぜこんな二度手間をしたのかというと、大型船には武装した禁軍兵士が乗っており、慶の地に踏み入れることができなかったせいだ。
禁軍兵士の乗る船に、誰もが乗りたがった。時折、慶から妖魔がやってきてはけたたましい威嚇の声を発していた。
いつ襲ってくるか分からない恐怖が、ぼくたちを包んでいた。できるなら、兵士が乗り、頑丈な大型船に乗りたいのは、皆同じだった。
そして、どういう基準で選んだのか、分からないが、ぼくたちは大きな船に乗ることができたのだから、運がいいのだろう。

順調に進んでいるように見えた。
大きなぼくの乗っている船の後ろで、小さな船では1人、また1人と妖魔に襲われていること、船自体が海の底に消えていっていることなど知らずに居た。
船に乗って、数日が過ぎた。
この夜を越えれば巧国だと、兵士が教えてくれた。そのせいか、久しぶりに母は眠っていた。この小さな部屋は安心感で満たされていた。他にも眠りに入った人も多かった。母は隣でこんこんと寝ていた。
ずっと離さなかったぼくの手を離すほどに。

ぼくはこの小さな部屋を出た。

看板では、兵士がじっと外を見ていた。ゆれることなど苦にもしていないようだ。
その鋼のような足で、しっかり立っている。
しかし、ぼくのやせた身体ではとても耐えれるものではなかった。
歩くたびに、船のゆれに忠実にぼくの体も引きずられていく。
兵士が驚いたようにぼくに近づき抱きかかえてくれた。
「なにをしている?」
兵士は抱きかかえたまま、尋ねた。
「お前は馬鹿か?興味本位でこんなところに来るのは、馬鹿だけだ」
ぼくはにらみつけた。
兵士は怒っているようだが、心配そうな目でぼくを見るので、怖くは無かった。
「はなして」
ぼくは兵士をにらんだまま、兵士の襟をつかむ。
「死のうと思ったんだ」
兵士は驚いたようにぼくを見た。

兵士に抱きかかえられたまま連れられたのは、小さな部屋の一室だった。
ぼくの居た部屋よりももっと小さく、ひとが3人は入れればやっとの部屋だった。
その部屋の中には女がひとり居た。
「どうしたの、その子」
女は驚いたように、ぼくを、兵士を見た。
兵士はぼくを降ろすと、小声で女に話し始めた。

女は、兵士に退室を促した。
女は兵士の上官のようだ。ぼくは兵士に置いていかれ、女と二人、残された。

「死のうと思ったと、そう聞いたわ」
女は静かにそう言った。
女のいる部屋はぼくの居た部屋よりも大きく波の音がした。薄い布団と水の入った瓶だけが置いてあった。女はその布団の上に座って何か、耐えるような目をぼくに向けた。
「もうすぐ巧なのに、どうして死のうと思ったの?慶では大変だったのでしょうけど、巧では、命の危険はもう無いし、貴方が死を選ばなくても、生きていけるように、対策がとられているのよ」
「分からないけど、死ななければならないと、そう思ったんです」

港には残された人が居た。
少なくない、その数にぼくはくらくらした。
小さな部屋の中で、母はぼくの手を握り締めたまま、時折ぼくを見て、妹の名を呼んだ。
そのたびにぼくは小さく返事をした。
自らの王を捨てたぼくたちを他人の王が救ってくれた、その事実に、ぼくは天さえ恨みそうになる。
景王を憎み怨み、その名を聞くたびに吐き気がした。いつ、慶に戻れるのだろうと、女はなげき、隅のほうで小さくなっている数人には延国のなまりがあると、男たちはうわさし、そのよどんだ部屋にいることに叫びだしたくなるような衝動がこみ上げる。

とりとめもなく、ぼくは思いついたことを口にした。女は、ぼくの目に視線をそそぎ、そらすことをしなかった。
ぼくの目からは涙があふれていて、それを汚れたすそでぬぐう。
それでもとまることはなく、それは女が泣いているせいだと、そう思った。
白い、やわらかい手で女はぼくの涙をぬぐった。
「まずは、生き残った幸運に感謝なさい。生き残れば、幸せになることができるわ。
死ねばそれで終わり」
そしてできれば、女は何かを言いかけたが、その先を言う前に、何かに気付いたように扉のほうに視線を移した。


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あきゅろす。
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