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小説
新たな出会い
ぼくは、頼章に連れられ、慶の人々と別れた。
たぶん誰もぼくがいたことなど覚えていないだろう。
ぼくはそれでも一人涙ぐんだ。
母の遺体は、広場に他の犠牲者と共に弔われた。頼章に、母の着物の切れ端だけを手渡され、ぼくはそれを名前の書かれた巻物の閉じ紐にねじって織り込んだ。
頼章がそれを見て、器用だなと、やっと晴れやかな顔をした。

頼章は、首の長い紫色の毛が輝く妖獣を連れていた。
先にぼくをその妖獣に乗せ、妖獣の頭をなでてから、自らもひらりとまたがった。
「ぼくはどこで働くのでしょうか?」
その妖獣が飛ぶように走るのが、少し怖かったが、頼章にそれを知られるのが恥ずかしくて、わざと明るい声を出した。
「着いたら分かる」
頼章は、少し手綱を緩めながら、答えた。

ぼくはいつの間にか頼章にもたれかかって眠っていたようで、妖獣が規則的な歩を止めたその時、ようやっと目覚めた。
もう既に日は沈み、真っ暗だった。新月なのか月は無く、その代わりその存在を主張するように、星たちが瞬いていた。
すぐそばに、暗闇の中灯りのともった家が見て取れた。頼章はぼくを降ろし、その家へぼくの手を引いて歩き始めた。
「ごめんください」
頼章は遠慮がちに、小さく3回扉をたたいた。
「ごめんください」
もう一度頼章が言った時、家の奥のほうで、はあい、と女の声が聞こえた。
ぱたぱたと足音がして、女が扉を開いてひょこりと顔を覗かせた。
「あら。頼章様。お久しぶりです」
女は、頼章よりも年下に見えた。乳白色の髪に、小さな玉の着いたかんざしをしていた。
女は頼章とぼくを見て明るく、朗らかに笑った。
「桔玲様から話は聞いていますよ。でもまさか頼章様が連れてくるとは思いませんでした」
その言葉に、わずかに片眉を上げ、頼章は女を見た。
「相変わらずだな、慎琵」
「頼章様も変わらず、目が鋭くて怖そうですわ。
見てくださいな。この子のなんとまあ、不安そうな顔。いい加減その不機嫌そうな顔をなおしてください」
女−慎琵はおかしそうに笑った。
「斎はまだ起きておられるか?」
頼章はうっとおしそうに手を振り、慎琵の言葉をさえぎるように尋ねる。
「ええ。この子を、斎老に会わせればいいのでしょう?分かっていますわ」


頼章は、振り返りもせず、妖獣に乗って去っていった。また会えますか。ぼくはそう聞いたが、頼章は軽く笑っただけだった。
「あなた、字はなんていうの?私は慎琵よ」
じっと頼章が去った方向を眺めていたぼくに、慎琵は明るい声で話しかけた。
「幸祐です」
慎琵は、そう、とにこりと笑った。
「素敵な字ね」
優しそうなその慎琵の笑みに、ぼくはとても安心して、少し泣きそうになってしまったが、それを隠すように笑った。

「この家の主人は、斎という名前のおじいちゃんなの」
ぼくは慎琵に連れられて家の中を進んでいた。
家は、仄かな灯りのみを頼りに見ても、がっしりとした造りをしているようだった。
余分な灯りは無く、物が確認できる程度の光の中を進んだ。
「今この家で暮らしているのは、斎老と、私の二人だけ。斎老は、けっこうなお年で、もうずっと寝台から出れなくて。
だから、いろいろこまごました用事を私に言いつけるのだけど、私はこの家の家事などしているから、斎老の用事も満足にできないことが多いの。幸祐が来てくれて、本当に助かったわ」
慎琵は、歩きながらぼくに一気にそう告げた。
「斎老は、何でもご存知なの。
多くの人が、斎老の見識を求めに、この家にいらっしゃるのよ。王宮の方や飛仙の方々、他国からいらっしゃることもあるわ。
巧に斎老あり。
そういわれるほど有名な方なのよ。王宮から何度も登城するよう要請を受けてられるのだけれど、斎老ご自身は仙になられることを嫌がって、ここで何十年も暮らしていらっしゃるの」
慎琵は自慢げに続けた。ぼくは斎老という名を聞いたことが無かったが、学が無いと慎琵に思われて、下男として働けなくなるのではないかと思い、何も言わず、ぼくはただ慎琵の言葉にあわせてうなずいていた。

まず、薬香の独特な香りが鼻についた。
ぼくは顔をしかめる。
慎琵は慣れているのか、顔をしかめることも無く、普通に進んでいた。
衝立をよけ、起居から、臥室へと進む。臥室は薬香の煙で、霧のように全体が覆われていた。
その煙のほかに臥室を覆うのは、本の山だった。高く積み重ねられたその量にぼくは圧倒されてしまう。
そして、慎琵が向かう先にはぼくが見たこと無いほど大きな牀があった。その牀には衾が何枚も重ねてあった。
もぞり。
重ねられた衾がわずかに動いた。慎琵について、ぼくも牀のほうに向かう。
衾の中には、やせた老人がいた。
斎老は、しわだらけのまぶたをゆっくりと一、二度動かし、視線をぼくへと定めた。
その眼は、白濁しており、ぼくが見えているのか分からない。
昔は美しい緑色の目であったことだけ、白濁していない部分から、なんとなく分かった。
病人であることは、一目見て分かった。だが、慶で見てきた青や、白、黒味がかった顔色の病人とは違い、生気を感じさせた。
「――いらっしゃい。わしは伊斎と申す。斎老と呼んでおくれ」
歯が抜けているのだろう。多少聞き取りにくかったが、声はまだはりがあり、低い落ち着いた声を発した。
「はじめまして、斎老。幸祐と、どうか呼んでください。ぼくを働かせてくださること、とても感謝しています」
「幸祐。そうか。では、幸祐と呼ぼう」
斎老もまた、慎琵同様に興味深そうにぼくを眺めた。
「今日はもう遅い。疲れてもおるじゃろう。今日はもう休みなさい。
明日の朝、用意ができたら、わしのところに来ておくれ」
「分かりました。ありがとうございます」


薬香の煙が揺れ、慎琵を包んでいる。
慎琵は、床几に腰掛け、胡弓を奏でていた。慎琵が腕を動かすたびに、煙もまた、一緒にその流れを変えた。
斎老は、目を閉じ、慎琵が奏でる胡弓の音だけを聞いていた。
「幸祐はもう休んだか?」
目を閉じたまま、斎老が尋ねた。慎琵も、演奏を止めることなく、静かに口を開いた。
「ええ。長旅に、身体的にも精神的にも疲れたのでしょう。
こちらに尋ねる前に、様子を見ましたが、ぐっすりと眠っているようでしたわ」
慎琵は、演奏を止め、斎老に水の入った湯飲みを渡した。こくりと飲み干した斎老は、若干滑らかになった声で、それにしても、とつぶやいた。
「それにしても、相変わらず桔玲様は困ったお方じゃ。慶を憐れまれることはまだよい。しかし、偶然出会った少年にまで、そのお気持ちを割くのは感心せん」
「あら。斎老。それを否定してしまっては、私たちもこの場にいませんわ」
慎琵が、静かに笑ったので、斎老は、片目を開いて慎琵を見た。慎琵は、なおも笑いながら、衾を整える。
「ああ。そうだったのう。わしたちも、幸祐と似たような経緯で、この場に集まったのじゃった」
ええ、そうですとも。慎琵はそう言って、もう一度胡弓に手を伸ばし、滑らかな音を奏で始めた。
斎老はもう一度、そうだったのう、とつぶやいてから、目を閉じた。


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