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日常は平和に溢れている


普段ノックというものをする習慣がついていればあのような事態に巻き込まれることはなかっただろうが、おあいにくとそういった紳士的なスキルを身に着けているわけではなく、また自分が部屋を訪れる際には、そういった変事が待ち受けていなかったからという理由もある。
つまるところ自分には、運がなかったのだろう。朝見た星座占いでは結構好成績だったはずなんだけれど。凡人に訪れるものはひとしく好悪に分かれているものだ。
つまるところ――この表現を多用するのは好ましくないが、まあとにかく、目の前に広がっている光景は、自分を大きくフリーズさせるには十二分の威力あるいは破壊力を持っていたのである。
さらにもうつまってしまおうか。朝比奈さんの胸にニンジンが挟まっていたのだ。適度に育ったおいしそうなニンジンがそんな使い方をされるなんて農家のおじさんおばさんは考えもしなかっただろう。そんなこと、自分だって考えもしなかった。ニンジン自身こんなことに使われるなんて、もう泣きたい気持ちでいっぱいだろう。しかしニンジンに泣く器官があるのかと聞かれれば首を横に振らざるを得ない。

「――おい苗字、出るぞ!」

襟ぐりを引っ張られて、初めて自分が引きずられていることに気付いた。身長の変わらない位置からキョンが心底面倒臭そうな表情をしてこちらを見下ろしている。キョンだって今の状況にフリーズせざるをえなかっただろうに、既に慣れてしまったのか相当理性が強いのか、魅力的な朝比奈さんを振り切って部室から外に出た。
既にドアを開けて脱出口を用意してくれていた古泉が、「お疲れ様です」といたって凡庸な常套句を口にする。あれ、凡庸で常套句っておかしいか…?まあいいか。残念ながら自分はキョンのように頭のよさそうな言い回しはできない。なんでだろうな、テストの点は勝ってるのに。

「大変でしたね。大丈夫ですか?」

「ああ、うん、大丈夫……大丈夫じゃないのは朝比奈さんだろ」

手に朝比奈さんの淹れたものと思しき湯飲みを持って、古泉は朗々と呟いた。うん、自分で言っておきながら実に生々しい事実だ。大丈夫じゃないのは朝比奈さんだろう。というか、なんでよりにもよって谷間にニンジン?毎度ながら涼宮の考えることには理解が及ばない。及びたいなんて微塵も思ってないけれど。

「バニーの衣装にはニンジンでしょ、だそうだ。坂下りて八百屋まで行ってきたそうだぞ」

そんな用途で買われたとは知らず、売り上げが伸びたことに八百屋のおじさんは素直に喜んでいるだろう。哀れと思っていいものやら。というか、あのニンジン、後で食べるんだろうか。使用法は谷間に挟むだけか?いやいや、もったいないだろう…挟まれたニンジンを食べたいかと言われれば即答は出来ないが。

「その余分な活力を分けて欲しいよ…」

古泉とキョンに挟まれた真ん中、背後はすぐドア。一番隔たりの薄い自分の立つ場所には、涼宮と朝比奈さんの攻防が繰り広げられている様子が実に鮮明に伝わってくる。まあ一方的に朝比奈さんが圧し負けているわけだが。

「着替え、終わったわよっ!」

ずるずると扉に凭れたまましゃがみこもうとしたその瞬間、甲高い声と共に涼宮が飛び出してきた。結果的に言うとその破天荒な体に情けなくも跳ね飛ばされ、目の前に広がっていた窓ガラスに頭から突っ込むという今まで生きてきた中でなかなかお目にかかれなかった事態を体験したわけだが、割れるかと危惧していた窓ガラスはこちらの頭ごときでは破れない強固なタイプだったらしい。頭が柔らかいのではないかというツッコミは今は受け付けない。
窓まで突き飛ばした張本人である涼宮は、今ようやくどんな状況下に自分が立たされているかを気付かないで、なんでもないように問いかけてきた。

「あら。大丈夫?苗字くん」

涼宮よ、心配してくれるのは実に嬉しいが、まずは謝罪するということを覚えよう。頼むから。

「めんごめんご。テンション上がっちゃってね。まあ、今は痛む頭痛だって、みくるちゃんの魅惑的姿を見たら吹っ飛んじゃうわよ!」

正直、俺が食いつくよりも早くキョンが食いついた気がする。
古泉は本当に性欲を持ってるのかと問いかけたくなるようなニコニコ顔で涼宮の言うことにへつらっているし、こちらはこちらで頭痛に耐えるために額を両の掌で押さえていたのだから、この場にいるやつらはいったいなんなんだと、知らない人が見れば思っただろう。自分もうっかり思ってしまいそうだ。

「じゃあ、お邪魔しますよ、と……」

念のため一声かけて、開いたままの扉から中に入った。目の前に広がる朝比奈さんの恥ずかしげな顔と、キョンの緩みきった表情と、長門のどうでもよさげな無表情、ハルヒの満足げな笑顔…上げていけばきりがないが、間違いなく自分は呆れた表情を浮かべていただろう。古泉に対しては言及する必要がないので言わないが、さっきと同じである。

「ご苦労様です、朝比奈さん……」

「うっうえええ、苗字くんんん」

早涙目の朝比奈さんがすがり付いてくるが、キョンに射殺されそうな視線を向けられたのでやんわりその小さな肩を剥した。バニー姿とっても似合ってます朝比奈さん。そういえばさっきのニンジンはどこにいったんだろう。そう思ったらしっかりあった。朝比奈さんの手の中に。

「さすがに出しますよね」

「あっあっ当たり前ですうう」

涼宮のセクハラにここまで耐える朝比奈さんは健気で可愛らしい。だから守ってあげなくちゃ、と思うのだけど、思ってばかりで実際にはあまり行動には移せていない。
どうやらコスチューム変更をさせられたのは朝比奈さんだけらしく、長門はいつもどおり無関心な瞳でハードカバーの文字列を追っていた。朝比奈さんのコスプレの名残か、頭の上には兎の耳が乗っかっているけども。

「長門、それどうした?」

「つけられた」

まあそりゃそうだよなあ。
涼宮は実に満足そうに両手を腰にそえると、ばんと胸を突き出して楽しそうに笑った。いっつも他人のコーディネートばっかりで自分は何もしないよなあ。意外に献身的なのかもしれない。そう思った直後に否定した自分を誰も責めることはできないはずだ。

「涼宮、コスプレはいいけどさ、あんまりにマニアックでAV的な恰好を朝比奈さんにさせるのはやめてあげろよ……」

「別にいいじゃない、みくるちゃんだって本気で嫌がってないしさ」

とりあえず涼宮、眼科に行こうか。

「それともなに、あんたが変わりにコスプレするとでも言うの?」

キョンの定例ポーズ、やれやれをしようかと思って肩をすくめる準備をしていると、涼宮が意地の悪そうな笑顔を浮かべてそう言った。冗談じゃない。そんなどこの漫画でも今時訪れないベタな展開……しまった、涼宮ってベタなことが好きなんだっけ。後悔すれど時既に遅し。ほんとは男の服をひん剥くなんてつまんないことしたくないんだけど、と口にしながらも楽しそうな涼宮を引き剥がすべく奮闘していても、誰も助けてくれやしない。ちょうど良かった、メイド服に合わせて執事服も購入しといたのよ、と言って涼宮が視線を向けたのは、朝比奈さん専用のコスプレ衣装ラックだ。
いよいよ涼宮が本気だと察した瞬間、急いで皆に助けを求めた。まずは視界の隅っこで苦笑を浮かべる男ふたりだ。

「キョンッ、古泉っ」

二人とも同じタイミングで首を振る。

「長門、朝比奈さんっ」

長門は無感動にこちらを見て、朝比奈さんは悲痛そうに眉を寄せた。
よってシステムオールレッド、せまり来る涼宮の細っこい、しかし妙に威圧感のある手を、自分は自分の力で回避しなければならないと悟ったわけである。回避せよと脳は言う。回避できませんと体は言う。持ちうる力を振り絞って口にしたのは、なんともなさけない悲鳴だった。

「みんなの…っ、みんなの、うらぎりものおおぉ」

……つまるところ、今日もSOS団は平和である。






日常は平和に溢れている





折原祈織さん、
リクエストありがとうございました!






あきゅろす。
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