看病のスヽメ 怖いビデオを観た。友達から借りたビデオで、結構昔に作られた映画作品だから、そこまで怖くないよと言われて軽い気持ちで観たのだけど。 作られた当時にしてはなかなかの傑作だったらしく、いくつか賞も取っているような有名な作品だったようで、軽い気持ちで観ていた私に罰を下すかのような怖さだった。簡単に言えばめちゃめちゃ怖かった。以上。 と言うわけで、その日はひねもす怖がり、いたるところを見ては挙動不審だった私は、まるで呪われたかのように風邪を引いたのだ。 「いや、お前が風呂から出た後ろくに髪の毛も乾かさないで、ガンガンにクーラーのきいた居間で縮こまってたからだろ」 「うう……」 夏だというのに風邪を引いた私を叱るわけでもなく、キョンは朝から私の面倒を見てくれていた。妹ちゃんは家にいるだけでやかましいからという理由で、キョンがミヨキチちゃんのところに遊びに行かせたからいない。おばさんとおじさんはそれぞれ仕事や用事で出かけているし。 「そんなに怖い映画だったのか?」 氷枕にタオルを巻きながらキョンが呟く。怖いなんてレベルじゃなかった。いや、言葉では言い表せないくらいの何かを覚えた。 「観たいなら観てもいいよ。鞄の中に入れてるから」 キョンが氷枕を私の頭の後ろに敷きつつ、視線を鞄にずらす。それからしばらくして、いや別に、とどちらの意味でも取れる返答をした。いつになっても鞄に手を伸ばさないから、観るつもりは無いのだろう。案外キョンも怖がりだったりするのかな、と思いつつ、氷枕に頬を寄せる。 「何か喰えそうか?」 「食欲は、あるような……ないような」 「………」 無言で眉を寄せたキョンが、手を伸ばしてくる。やばい怒られる、と思って目を細めると、その手は頬を滑って額に落ちた。私の額が熱いせいか、ひんやりとしていて気持ちいい。直前まで氷枕を持っていたのだから、冷たいといえば当然か。 「高そうだな。でもとりあえず、ゼリー持ってくるから。一口でもいいから喰って、薬飲め」 病院に行くほどでもない、と言って私が引きとめたため、薬と言っても薬局に行けば簡単に手に入るそれだ。部屋から出て行くキョンを見送って、もう一度氷枕に頬を寄せた。 あるようないようなって、出せば食べるけど出されなければ食べないとか、そういう意味で受け取っても構わないようなもんなのか? そう勝手に受け取って、冷蔵庫の中から取り出したゼリーを器に入れた。スプーンを添えて、再び部屋まで戻る。薬局ですすめられた薬の瓶はポケットに入れて、ドアをノックした。 「ふぁい……」 気の抜けた声が掛けられた後にドアを開ける。布団の上でみのむしみたいに丸まっている名前を見つけて、思わず眉を寄せた。 「そんなに丸まるな。力抜いて寝ろ」 「だってこの体勢が一番楽なんだもん……」 それに天井を見つめてたら、何か出てきそうでいや、と言われて反射的に天井を見上げる。昨日からずっとこうだ。やれ足を出してたら掴まれるだの、カーテンを開けてたら誰か覗いてくるだの。そんな古典的な映画だったのかよ。逆に興味が湧いてきた。 とりあえず足の上にはきちんと掛け布団をかけたが、カーテンは開けた。日中だからな。さすがにこんなおてんとさんが照っていたら、怖いやつも出てこないだろ、と説き伏せたのは記憶に新しい。 机の引き出しだって急に開いて何か出てきたらどうするの、と言われたが、あいにく俺の頭の中に浮かんできた「引き出しから出てくるもの」は例の青い猫型ロボットだけだった。 「起きれるか」 力抜いて寝ろと言った手前なんだが、起きてもらえないことには話が進まない。肘をついて上体を起こした名前は、俺の手の中にあるゼリーを見て複雑な顔をした。 「食べれそうにないか?」 「や……、食べる…」 ほれ、と言って渡してやろうと思ったが、名前は肘をついて自分の体を支えるのに精一杯らしく、器を受け取ることができない。起き上がっても自分の体を支えることができないのだろう。さてどうするか、数秒思案した後で、とりあえず頭の中に浮かんだ二つの選択肢を提示した。 「俺が支えている中ゼリーを食べるのと、食べさせてもらうのどっちがいい」 「隠れ選択肢、寝っ転がって食べる」 「却下な」 えええ、と不服そうに眉を寄せる名前を無視し、ゼリーをスプーンでひとすくいして、口元に持っていった。あーん、なんて言うような寒い間柄ではないが、口を開けろと命令する。 躊躇っていたようだが、支えてもらうよりはこちらのほうがいくらかましだ、と言わんばかりに苦しそうな顔が俺を見て、おとなしく口が開かれた。 「ほら」 口の中にゼリーを落としてやる。つめたい、と呟きながら咀嚼して、また名前がぱかりと口を開く。それを何度か繰り返した後、空っぽになった器をどかして、薬を口の中に放り込んだ。 苦いのきらい、と言って涙目になる名前に、急いで水の入ったコップを取って口元に押し付けてやる。こぼれた水が顎を伝って喉元に下り、パジャマを濡らしていくのがいやらし――いやいやいや。 「ちょっとじっとしてろ」 汗をかいたペットボトルを拭く用に持ってきていたタオルでそれを拭ってやり、空になった器とコップを持って立ち上がる。おとなしく寝転がった名前をちゃんと見てから、部屋を後にした。 まあすぐ戻るんだけどな。 名前はやはり落ち着かないらしく、やたらと天井や机の引き出し、洋服だなを見てはへにゃりと泣きそうな顔をしている。トラウマかよと思いつつ傍に腰を下ろし、額を撫でてやった。汗ばんだ前髪はしっとりとしていて、髪の毛を撫でているという実感が湧かない。 「体力回復には睡眠に限るぞ」 「いや……私もそう思ってはいるんだけどさあ……」 「どうして寝ないんだ」 「だって、寝たら瞼の裏にあの情景が……」 あの情景って何なんだ。 鼻声で恨みがましく呟いた名前は、俺の顔を見上げて目を細めた。近くに人がいると安心するのか、さっきよりは幾分か表情が柔らかい。ちょっと嬉しくなってまた頭を撫でてやると、猫みたいに頬を寄せてくる。 俺がいることで多少安心するなら、いつでもいてやるさ。そう心の中で呟いて、知らず笑みを浮かべた。 「寝れそうか?」 「んー……」 片足くらいは夢の世界に突っ込んでいるのか、小さくて篭ったような声が薄く閉じた口から発せられた。と思うと、布団の中に収まっていた手が伸びてきて、名前の頭を撫でている俺の手に触れる。 手首を掴まれて、軽く引っ張られたかと思えば名前の目の上に移動させられた。 「……どうした?」 「……簡易目隠し?」 聞くなよ。しかも人の手を簡易とは失礼な。いや別に構わんが。 「これなら眠れるのか?」 「うん。なんか安心する……かも」 かもっておい。 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、気付けば手首の上に置かれていた手が重量を増していることに気付いてやめた。眠ったのか。 手を退かすついでに目の上に置かれた手も外すと、ぱったり閉じられた瞼が露になる。 しかし眠りにつくのが早いな。野比家の眼鏡息子のようではないか。 多分、昨日もあまりまともに眠っていないのだろう。いや、眠れていない、か?そこまで怖い映画だったのなら観てみたい、いや観たくない、という奇妙な感覚に襲われながら、すっかり眠りの世界に落ちている名前の寝顔を見下ろす。 「早くよくなれよ」 呟いて、頬を撫でてやった。当然だが熱い。夢見がよければいいんだがな、と思いながら手を放し、肩まで掛け布団をかけなおしてやった後、電気を消して部屋を出た。まあ、暗いほうがよく眠れるって言うしな。 だから起きた名前に電気を消されて怖い思いをしたと怒られたのは予想外だった。 翌日、すっかり体調が良くなった名前に半ば強制的にあのビデオを観せられ、ついでに風邪も移され、昨日の名前と同じような状態になったことをここに付け加えておく。 こんなオチはいらん。 看病のスヽメ 美里さん、 リクエストありがとうございました! |