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なんだ、これこれも、わるくない


人間は本能に忠実に生きている動物だ。それを踏まえた上で考えていただきたい。本能、に、理性を被せる。そして、理性をコントロールするために感情や抑制力を身につける。以上で普通の人間出来上がり。ただ、これが超能力者なんて不思議な職業を持つ人間に該当するかどうかはわからない。しかし彼もただの人間には間違いないので、やはり彼もまた、本能の上に理性を被せて感情や抑制力で理性をコントロールする人間なのだと思う。
むずかしい人だ。

「……古泉くん」

「はい、なんでしょう」

話しかけた後、たっぷり数秒を置いてから彼は返答した。ううん、なんてわかりやすい反応だろう。さてここで、なんだっていうのよー!とキレて机を叩き付け、相手を追い詰めることもできないではないだろうが、やった後にどうなるかが想像つかないのでやめておくとして、私はどうしたらいいのだろう。どうしたの?と穏便に聞くのはもうやった。しかしその質問に対する返答が「別に何もありませんけど」(棒読み)だったので私には他にどう問いかけたらいいのか、もうわからない。相手がどうしてこんなことになっているのか、ああー、人づてに聞けばいいんだろうか。しかしその人が彼の気にあてられるのはかわいそうだ。
やはりここは自分ひとりで解決するのが一番望ましいことだろうと、私は若干身構えた。どんな反応が返ってくるかわからないため、身構えどころか心構えまでしておく。すうはあと深呼吸。一拍置いて、静かにテーブルの上へ手を乗せる。

「古泉くん」

「はい、なんでしょう」

全身で拒絶オーラを発している彼に、まず第1球。

「なんでそんなに怒ってんの」

ストレート!さあバッター古泉、どう打つか!どう打つか!

「怒ってません」

ホームラン!古泉、ホームランです!にべもない言葉!追求を許さない発言!これにはピッチャー苗字、為す術なしー!

……脳内実況野球を繰り広げたところで、現状がどうにかなるわけではない。ピッチャー、じゃなかった、私は、彼の言った言葉をとりあえず脳内で処理してから、うん、それ嘘だよね、と呟いた。
ここで初めて、ずっと本を睨みつけるように見ていた彼が顔を上げる。無駄に整っているせいで、少し見つめられただけでもどぎまぎ(と言う表現をしたら私がこんな現場で不謹慎にもときめいていると勘違いされそうだが、実際には彼の珍しい貼り付けたような笑顔に心臓がタップダンスを踊っていただけだ)、してしまう。

「何が嘘です」

「いや、今日の古泉くんが…全体的に……」

「全体的に?具体的によろしくお願いします」

既にこういう風にきつい問いかけをしてくる時点で怒っているじゃないか、という質問は華麗にスルーされた。パタン、と本が閉じられる。ほら。普段読まない、ありきたりな恋愛小説。やっぱりいつもの彼とは違う。
彼の纏うオーラに既に気圧される私は、たじたじ、という言葉が似合うように肩をすくめて彼を見上げた。ストレートに聞いても変化球で聞いてもうまくはぐらかされそうな気がする。

「いや、だって、その。今日のきみは、ええと、笑ってないし。普段読まない、小説とか、読んでるし。まっすぐ椅子に座るのに、斜めに座ってる、し」

「笑ってますし普段読まない小説に挑戦しているだけですし足が痛いから斜めに座っているだけですし」

ああだめだ、KOだ。うう、日本語って難しい。

「笑ってないっていうのはそのー、笑顔がうそ臭いってやつであって」

「そりゃまあ機関で表情を作る教育を受けていますし。笑顔を作るのがヘタですみません」

「いや、普段はもっとやわらかい笑顔……、じゃん……?」

「勘違いだと思いますよ」

なんかもう帰りたい。
なんで彼、古泉くんが怒っているのか私には見当がつかないし、どうやっていつもどおりの古泉くんになってもらうのかわからないし、そもそもどうして古泉くんは怒っているのに帰らないのか、わからないし。
ああもう。怒っている理由はわからないけど、私に八つ当たりめいたものをしてくるあたり、私が原因の一端を担っているのだろう。だからどうして怒ってんの、って聞いてんのに。答えてくれない、つっぱねるなんて、どうしたらいいんだ。
ふいに体に影がかぶさって、驚いて顔を上げると、すぐ横に、西日を遮るように古泉くんが立っていた。

「帰りましょう」

わけがわからないままに腕を引かれる。ぐいっ、という擬音が似合いそうなほどに力強く引っ張られて、腰が浮いた。関節が急に引っ張られたことで変なことになったのか、こきっ、と音がする。おうぼうだ。いっぽうてきだ。ただし私の鞄はしっかり古泉くんが持ってくれて、私は引きずられるように部屋を出た。鍵を閉めて、職員室に寄るのかと思いきや、校庭に出る。見回りをしていた事務員さんに、これ落ちてましたなんて言い放って(こいつ自分で職員室行く手間省かせやがった!)、気をつけて帰れよという言葉を背にまた歩き出す。薄暗くはなっているけどまだ夜にはかぶさらない、中途半端な時間。古泉くんはぐいぐいと私を引っ張って、慣れた坂を下る。転びそう。でも目の前に大きな背中があるから、転んだときはいっしょ。

「………クレープ」

「はい?」

突然前を歩く背中からくぐもった声が聞こえて、私は首を傾けた。クレープ?その言葉を思い浮かべた瞬間おいしそうな香りまで漂ってきて、突然おなかがすいてくる。なんてことだ。へんなこと言わないでよおなかすくから、と心の中で愚痴をこぼすと、古泉くんは相変わらず前を見たまま呟いた。

「クレープ、食べに行きましょう。今から」

「今からですか」

驚いた私をよそに、「あなた、確か限定モノ大好きでしたもんね。出てましたよ、限定味。それでいいでしょう。それとも僕が先に行って、買って待っていましょうか」なんていいながら、古泉くんは手を放す。突然。放された私ときたら、急に重心がなくなってしまったために前のめりになって、でも古泉くんを巻き込んじゃ行けないと咄嗟の判断で右にずれる。古泉くんからしたら突然右から私の体が飛んでいくみたいな感じだろう。坂はまだ続いている。ああこれは大惨事になりそうだとぼんやり思っていると、おなかに腕が回されて、そのまま力の限り引っ張られた。くるりと私の体が後ろに傾いて、かわりに見慣れたブレザーの色が視界を埋め尽くす。どんっ、と衝撃が走って、目をまんまるにさせたまま、どん、ころころ、という感じで体が転がっていくのを感覚として受け取った。私の体に痛みはない。坂のおわりにようやくスピードも緩んで、次第にころころは止まった。呆然。

「――古泉くん!!!」

「怪我、してないですか」

私を抱きかかえたまま地面に背中を預けている古泉くんは、けろりとした表情で言い放った。あんた、怪我って、そりゃあんただろうよ。混乱した頭で古泉くんの体のあちこちを確認するけど、受身でも取っていたのか相当運が良かったのか、ブレザーが傷んだ程度で、彼自身には傷がなかった。髪の毛に砂が混じったくらいで。当の本人はすっくと立ち上がって、私の腕を引く。何事もなかったかのように。鞄を回収して、また歩き出す。無言。

(意味がわからない……)

なんで、この人。どうしたんだろう、今日は。
すると突然また古泉くんが立ち止まる。振り返る。あ。笑ってない。

「僕だけですよ」

「……はい?」

口を開いたかと思えば意味がわからない。
ぽかんとした私をようやく見つめた古泉くんは、笑っていない、珍しく真剣で、強いまなざしで、何かを堪えるみたいな顔をした。そのまま引っ張られたものだから、どん、と古泉くんの胸板にこんにちはする。額がいたい。

「僕だけ、です。教室で話をしていた、彼なんかには到底まねできない。あなたが、限定モノのクレープが大好きってことを知っているのも、あんなふうに転んだあなたを、助けられるのも、」

私を支える手が震えていることに気付いた。

「………僕だけ、なんです」

ああ。

「………」

「………」

沈黙。一拍置いて、笑い声。勿論私の。なんで笑うんですか、と不機嫌な表情を浮かべた古泉くんは、なんだかとても可愛かった。教室で話をしていた彼って、そんなの。用事があるから話をしただけの、クラスメイトなのに。今までの古泉くんを的確に表す言葉がある。

「…嫉妬?」

「……………」

わかってるなら、と古泉くんが若干弱弱しい声を出した。うん。わかった。今ようやくわかったよ。ごめんねと呟いて古泉くんの手に触れる。びっくりしたみたいに肩を震わせて、それから、気の抜けた笑みが浮かんだ。

「………クレープ、食べに、行きましょう」

「うん」

今度はちゃんと、手を繋いで。
横に立って、私の歩調に合わせて歩いてくれる古泉くんは、いつもの古泉くんだ。少しばかり傷んだブレザーに顔を寄せると、どうしたんですか、と古泉くんのやわらかい声音がかけられる。ううん、なんでもない。呟いたら、予想以上に甘ったるい声が出て、まいった。






なんだ、これも、
わるくない






ひな。さん、
リクエストありがとうございました!






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