しあわせなぼくら 最近の涼宮さんはひどく機嫌が悪い、と思う。 その理由が、わからないわけじゃない。けれど、これだ!と言って特定できるほど、明瞭にわかっているわけでもない。いつも口を酸っぱくして上層部から文句を言われている僕だけれど、原因が僕にあるとは思えないし。 たいてい涼宮さんが機嫌が悪いとき、僕は頭の中に彼の顔を思い浮かべる。なにものにも染まりませんと全身で叫んでいるような彼。その生き方が羨ましくて、たまに、憎らしくも、なる。あなたの染まらない態度で、涼宮さんがやきもきしているのですよと、そのせいで僕は、不眠不休で毎夜、頑張っているのですよ、と、言いたくもなるけれど。 でもその責任を、彼に押し付けてはいけない、とも思う。彼は一般人で、今まで、世界の命運なんてものとは無縁に生きてきた存在だから。 それに僕は、彼に借りがある。いや、借り、という言い方はなんだかおかしいけれど。僕が一方的に、彼に感謝しているだけで、彼からすると、ぜんぜんそんな気も、何もないのだろうけれど。 彼が現れたことで、涼宮さんは安定した。おだやかになった。ひどく優しくなった。僕はそれを、とても嬉しいことだと、思う。ありがたいなと思う。だから僕は彼に、一方的にありがたいと、そんなことを考えているのだ。 「いいいいい、つき」 ここにも不機嫌なおんなのこがひとり。 頭を引っ張られて顔を上げると、彼女が僕の顔を覗きこんでいた。このさむい時期だというのに、半袖Tシャツいちまいというひどく無防備な恰好で。 さむくないんですか、と聞こうとして、彼女の怒りを冷ますことがまず第一だと考え直す。掴まれている顎と、頬。おそらくここらへんだろうというアタリをつけて、彼女の顔の、同じ部分に触れる。僕よりも肉付きが良くて、さわり心地もいい。太っているとか、そういうのではなく、ただたんに、男と女の違いだろう。 「すみません、考えごとをしていて」 彼女は結構、「構ってちゃん」だったりする。 その、構ってちゃん、という言葉は彼女自身が使っていた言葉だ。母親から言われたからそのまま使用しているのだという。文字通り、人に構ってもらいたくて仕方がないタイプのよう。 そして僕は、どちらかと言えば、構ってあげたいほうである。お似合いのカップルじゃないか。カップル、という言い方に体のどこかがくすぐったくて気恥ずかしい気持ちを覚えた。 「何分、一樹がボーッとしていたと思う?」 「う……ー、ん…」 問いかけまでしてくるということは、結構な時間ぼうっとしていたんじゃないだろうか。僕は、考え始めると長いから。 彼女のいらいら加減や言葉から、まだ一時間は経っていないだろうと考えて、でも三十分以上は経っているだろうなと考えて、その中間をとってみることにする。 「四十五分、とかですか」 「よんじゅうきゅうふん!ハズレ」 彼女はぽかんと僕の額を叩いて、ようやく手を放した。 正直、首の骨がきりきりと痛んでいたから放してもらえてありがたい。僕も手を放して、時計を見上げる。なるほど四十九分。随分な時間が経っていたものだ。 「放ってしまって、ごめんなさい」 「……いいよ、慣れたから」 典型的な構ってちゃんの彼女が、こんなに構われないことに慣れたのは、恐らく僕のせいなのだと思う。いや、恐らく、ではなく、確実に。僕だってなにも好きで彼女を放っているわけではない。彼女とならいつまでもひっついていたいし、一人にさせたくはない、とも思うし、十二分に甘やかしていたいとも思う。けれど、そうできないほどの理由が、僕にはあった。 「最近……、一樹、忙しい、よね」 「………」 僕は苦笑を浮かべる。 彼女は、涼宮さんのことを知っている。言うなれば『機関』の、エージェントとでも言うべきか。会長と同じような立場の人間で、超能力は使えない。だから僕ほど忙しいわけではないし、その僕との忙しさの差が、彼女を孤独にしてしまう。 でも僕は、彼女が超能力者ではなくて、良かったと思う。内輪では超能力と言う言い方はしないけれど、とにかく、そういった特殊能力を彼女が持っていなくて、良かったなあ、と思う。なぜならば、それだけ危険からも遠ざかるから。 神人は、僕たちを好き好んで攻撃するほど攻撃的ではない。ただ、ストレスを、フラストレーションを、解消させているだけなのだ。だからそれを邪魔する僕たちを邪魔だと思っていないわけはないのだが、恐らくは涼宮さんも意図的に――、無意識的に、僕たちを攻撃対象から外している。 けれども、瓦礫や崩壊したコンクリート、窓ガラスの破片までは、どうにもできない。それは超能力者自身が自らの反射神経と持ちうる身体能力すべてを駆使してかわさなければならない。言い方は悪いが、彼女はそれを咄嗟に避けられるほど、身体能力が高いわけではなかった。 だからほんとうに、僕は良かったと、そう思えるのだ。彼女がただの人でよかった。少なくともあの空間で怪我をしてしまう、その心配まではしなくていい。 けれどその心配を、彼女がしてしまう、というのばかりはどうしようもなかった。ランダムとはいえ選ばれてしまったのだから、僕はその能力に忠実に、動かなければならない。あの空間に入れるだけの能力を持っているのだから、それを使わないわけにはいかない。 僕が怪我をして、彼女を泣かせたこともある。星の数ほど悲しませているとも思う。 「でも、世界のため、ですから」 「……………」 僕の言い方も、卑怯だと思う、けど。 彼女はまた不機嫌な顔をした。こういう言い方をすると、彼女はいつも不機嫌になる。言い方が悪いのはわかっているし、それに対して彼女が反論できないこともわかっている。 だから僕は、卑怯なのだ。 「名前、」 不機嫌な彼女の手首を引っ張ると、不満そうな瞳がこちらを向いた。彼女は、いくら不機嫌になっても、閉鎖空間を発生させない。だけれど、不機嫌にはなってほしくない。やっぱり、好きな人には笑っていてほしいから。 「ひいてはあなたを、守りたいから、ですよ?」 「………………」 顔を真っ赤にした彼女は、呆れたような顔をして、照れている自分を悟られたくないとばかりに顔をそらして、一樹はいちいちせりふがくさいよ、と呟いた。それが彼女なりの照れ隠しだということもわかっているし、その反応だけでなんとなく幸せになれてしまう僕がいるから、ぜんぜん不満なんてない。 「……ひきょうだよ」 「知ってます」 いけしゃあしゃあと言い放てば、彼女はこちらに向き直って、真っ赤な顔を隠しもせずに僕の頬をつまんだ。左頬が奇妙なかたちに歪んだことを認識して、僕は気の抜けた笑顔を浮かべる。 「こう言うときは、ふつう、もっと反省した表情しない?」 責めているようだけれど、特別怒っているようには感じられない。 僕は表情筋のゆるみも抑えきれないまま、彼女の頬を撫でた。 「だって、しあわせで」 しあわせで、仕方がないから。話の前後も何も関係なく。彼女が僕の言動に一喜一憂して、こんなにも、怒ったり笑ったり、嬉しがったり照れたりしてくれるのが、あんまりにしあわせで。 それが伝わればいいなと、思った。数秒後彼女が浮かべた、気の抜けた笑顔。僕はその表情を見て、また、しあわせだなあ、と呟いた。 しあわせなぼくら ツカサさん、 リクエストありがとうございました! |