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甘ったるい熱と証で


僕は、いつだって怖い。
彼女がいなくなるのが。彼女がこの手から放れていくのが。体の距離も心の距離も、いつだってゼロでいたいけれど、いつかは離れてしまうのかもしれないと、そう考えることが。何もかもが怖くて仕方なくなる。
僕はどうしようもない人間なのだろう。欲求が満たされているはずなのに確実には満たされない。百%中八十%は満たされていても、その残りの二十%まで欲しいと欲張る。醜い、汚い人間だ。
僕のような人間に好かれたかわいそうな彼女は、今は僕の膝の上で眠っている。普通は立場が逆だと言われそうな体勢だが、男尊女卑であるとかそういう問題を抜きにしても僕たちはそういった固定概念に左右されない。どちらかが寝ているのならば寝ている者に膝を提供する、ただそれだけのこと。
そうたいして重くもない頭を乗せたところで、たいした負担にはならないし。移動をする必要性も感じないから、膝の上に乗っかった彼女の顔を穴が開くくらいまで見つめているだけで。

だから不安になる。いらないことばかり考える。彼女が眠っていて、僕が一方的に彼女を見つめているとき、いつか現実、彼女が起きているときにもこんなことになるんじゃないのかと。そう考えてしまう。
ごめんね好きな人ができたのと、そう言って僕の手から逃れていく日もそう遠くないかもしれない。
ぱたんと、小さな音がした。何の音だろうと瞬きをすると、彼女の頬に点々と透明な水が流れる。眠りながら泣いているのだろうかと思ったが、違った。僕の目から涙が零れ落ちているのだ。なんて恥ずかしい。ぽろぽろとこぼれた涙は彼女の頬を汚し、するすると流れていく。艶のある髪の毛の合間を縫ってソファの上に。
ああ。こういうのを、情緒不安定って言うんだろうなあ。
そんなことを考えながら、服の袖で彼女のやわらかい頬に触れた。あまりこすらないように丁寧にそれを拭う。ほんの少しの衝撃では目の覚めない彼女は、今日は珍しくすぐに瞼を震わせて、目覚めた。

「…………?」

不思議そうに瞬きをした瞳が、僕を見上げる。僕が膝枕をしていることはそう珍しいことでもないからそこに驚いたわけではないだろう。勿論、僕の涙だ。なんで泣いてるの、と言いたげな瞳がゆらめいている。寝起きの、まだ若干眠たそうで潤んだ瞳が、ひどく愛おしかった。

「名前さん」

呟いて、起き上がった体を抱きしめる。彼女からしたら全く意味がわからないのだろうな。目が覚めたら僕が泣いているなんて。
状況が理解できているわけではなさそうだが、僕の背後に恐る恐るといった体で腕が伸びてきた。かわいそうに。そう語るかのようにゆっくりと上下にすられる掌が温かく、涙が流れてくる。

「なんでないてるの」

舌足らずな声音でそう問いかけられて、僕はふるふると首を横に振った。今のは理由を言いたくありませんという意味ではなく、何故泣いているのか自分でも理解できていませんという意味だ。どうか伝わってと思いながら必死で肩に縋りつくと、わかんないの?と小さな声でまた問いかけられる。よかった伝わった、とやたらはしゃいで頷けば、彼女はそう、と短く呟いて僕の頭を撫でた。
男にしてはやわらかい部類に入ると思う、そんな髪の毛は、彼女の細い指先によって梳かされていく。さすがに古泉一樹のキャラを成り立たせるために多少は整えている髪の毛が、くしゃくしゃにされていくのを感じた。けれど、彼女にされるのならば全く問題はない。寧ろもっと撫でて欲しいとすら思う。
僕はもう、末期だな。

「からだはいたむの?」

身体的な痛みか精神的な痛みか、そのどちらかを判断するための問いかけだろう。首を横に振ると、そう、とまた短く呟かれる。医者に体を探られているような感覚だ。彼女は僕の背中にしか触れていないのに、体のどの部分がどう痛んでいて、と診断されているような。

「よく、わからないけど」

前置きをされて、背中に回っていた手が頭にのせられた。もともと頭を撫でていた手は僕の肩に回される。より密着して、心臓の音が聞こえるようだった。実際は僕の体の中で脈打っている心臓の音、だと思う。無駄に鼓動が早い。
彼女が何を言うのかが恐ろしくて、僕はふるふると首を横に振った。僕を捨てないでください、なんて寒い台詞が出てきそうで、そんなわけもないのに、と自分自身に笑いたくなる。

「だいじょうぶだよ」

僕の不安を打ち消すかのように呟かれた一言で、体の中を渦巻いていた不安や焦燥、恐怖がふわりと霧散していった。だいじょうぶ、って、なんだろう。なにがだいじょうぶなんだろう。僕にはわからないけれど、原始的なレベルで、僕にはなぜか、本当にだいじょうぶなんだろうと思えてしまう。
何もかもがだいじょうぶ。そう思えてしまう。

「……名前さん」

「なーに」

体を放して顔を覗きこむ。幾分目が冴えてきたのだろう、さっきよりは大きく開いている瞳には、ひどく落ち込んだ僕の姿があった。情けない顔。ばかみたいだ、古泉一樹。

「証が欲しいです」

「………ん?」

彼女は状況についていけないといった風体で、僕の言葉の続きを促した。まとまらない言葉をまともな言葉に直して伝えるのはひどく難しい。だから僕はもう一度、先ほどと同じ言葉を口にする。具体性がない、と怒られそうな気がして、急いで付け足した。

「あなたが、僕の傍にいてくれるという、証が」

「…………んん?」

どうやら余計に混乱させてしまったらしい。それか、遠まわしに拒絶、されている?ごめんなさい、と反射で呟いて肩から手を放そうとすると、彼女がその手をやんわり掴んだ。逃げるな、と言うように。

「……よく解らないけど、」

ああやっぱり解らないですよねごめんなさい。電波的な発言で困惑させてしまってごめんなさい。別にあなたを混乱させようとして発言したわけじゃないんです。多分僕も混乱してたんです。忘れてくださいと、そう一息にいってしまおうと思った瞬間、彼女はとんでもないことを口にした。

「…証は、欲しいって言われたら、あげるよ。いくらでも、あげる。だけど、あげるばっかりじゃ、嫌だよ。私も欲しい」

「………え?」

頭の中が瞬間的に真っ白になった。多分感動の極みというか、とにかく何かが頂点に達したらしい。頂点にある僕の何らかのスイッチがその発言で押されてオンになり、僕の中の何かが暴走し始める。
私も欲しいよ、と言って首に回された腕をどうしよう。このまま攫って世界も何もかも放り出して、どこか遠くにでも逃げようか。逃げたところでどうにかなるものでもないけど、頭の中にはそんな間の抜けた考えしか浮かんでこなくて。
彼女が僕の名前を呼ぶ。呼ばれている。呼ばれているんだ、いかなければと、妙な使命感に駆られて伸ばす手の行き先など決まりきっていて。

「たくさん、あげます」

泣きたくなるのも仕方のないことだろう。
そりゃあもう、本当に嫌になるくらい。嫌な気持ちにさせるのは本位ではないけれど、嫌になるくらいにたくさんの証をあげますよ。
いっそ苦しくなるくらいの愛情で。そして、僕にも、嫌になることはないだろうけれど、嫌になるくらいの証をください。
掌に触れる温度がひどく熱い。溶けてしまいそうだ、なんて思って、僕はまた、涙をこぼした。






甘ったるい熱と証で






鵺さん、
リクエストありがとうございました!






あきゅろす。
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