結びつかない僕ら
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、というあまりにもポピュラーな自己中心的発言をご存知だろうか。
いや、ご存知のはずだ。俺のものは俺のもの、は当然だとしてお前のものも俺のものだなんて理不尽極まりない発言、一度聞いたら忘れられそうにない。
今まさに、僕の頭の中にその発言が浮かび上がっていた。言い換えるならば僕のものは僕のもの、あなたのものも僕のもの、という感じだろうか。いやもっと言い換えよう。僕のものは僕のもの、よってあなたも僕のもの。
いやいや、もの扱いなんてしたらあらゆる人から怒られるだろうな。そもそも僕のものではないし。……考えるだけに留めておこう。
「おい古泉、どうした?」
「……え?」
急に目の前に伸びてきた手が、僕の眼前で左右した。それが彼の手だと気付くまでに数秒かかる。どうやらぼうっとしていたらしい。少し離れた場所から悲鳴じみた朝比奈さんの声と涼宮さんの笑い声、名前さんの溜息が聞こえる。眼前に広がるボードゲームとその駒、と、彼を見比べた。僕の番なのだろう。頬杖をついて奇妙なものを見る目でこちらを見ている彼に、僕は素直な謝罪を口にした。
だめだなあ。いつもは考え事をしていても外界の音声や映像を認識して動けるのに。もやがかかったような頭でとりあえず駒を動かしたけれど、あっという間に追い詰められてしまった。
「…お前、今日はいつにも増して弱いな」
「はは……」
「やる気がないのか?」
いえ。やる気はあるんですが、注意散漫と言いますか。
苦笑を浮かべた僕に彼は溜息を吐き、ボードゲームを片付け始めた。それを皮切りに、長門さんが本を閉じる。いつもならば長門さんが本を閉じる音で彼が片づけを始めるので、今日は逆だな、なんてことを考えつつ手伝う。
解放されたらしい朝比奈さんと名前さんが着替えるため、僕と彼は部屋を出た。最早皆で帰るのが定番となってしまった今では、着替えが終わるまで待つのが定石となっている。
着替えが終わったと中から声がかかり、揃って室内に入って鞄を取り、皆で部室を後にした。赤く染まり始めた校庭を心持はやめに歩き、校門に向かう。ある程度の坂を下った後で、ふいに前を歩いていた名前さんが立ち止まった。
「どうしたの?」
涼宮さんが小首をかしげて問いかける。慌てたような表情で、体中のポケットというポケットを手探りで叩いては、わたわたと手を上下させた名前さんは、困ったように眉を寄せた。
「…携帯、忘れちゃったみたい」
「はあ?もー、ドジね」
「ちょっと取ってくる!先に帰ってて!」
彼が呼び止めるも振り返らず走り去っていく後姿を、なぜか反射で追いかけていた。すみません、一人では不安なのでついていきます、と残りの皆に言い残して。普通こういうときには彼が行くべき、なのだろうか。いいか。早い者勝ちだ。
職員室に行って鍵を取ってきたらしい名前さんにようやく追いついた。驚いた様子の彼女を見て、先ほどまでくすぶっていたあの感情が、むくむくとわきあがってくる。僕って何かがおかしいんだろうか。僕のものでもないのにこんな気持ち。こんな気持ち、がどんな気持ちか、いまいち綺麗に表現できそうにないので雰囲気やら何やらで汲み取っていただきたい。
誰もいなくなった薄暗い部室の中で、名前さんの後姿が網膜にひどく焼きつく。赤い色の中に黒い影を落として、衣装ラックの服から携帯を取り出している姿を見て、心がひどくざわめいた。
僕のものじゃないのに。僕の手には入らないのに。
すうっと手を伸ばすと、驚いたらしい彼女がぱっとこちらを向いた。僕はどんな顔をしていたんだろう。彼女を怯えさせるような顔をしていたんだろうか。顔、というよりは、表情か。どんな表情をしていたんだか。
「…古泉、くん?」
そのまま軽く引っ張ったら、バランスを崩した彼女はいとも簡単に腕の中に倒れてきた。先ほどまで朝比奈さんや涼宮さんと引っ付きあっていたせいだろうか、普段は彼女から香らない香水の香りがして、なんだか泣きたくなってしまう。僕がきっと、彼女から一番遠い。この距離を埋めることはできないだろうし、埋めることは許されはしないだろう。
なのに胸を巣食う、このどろどろで汚い感情が消えてくれないものだから困る。
「………気分でも悪いの?」
そうきたか。
確かに付き合っているわけでもないのに意味も無く抱きしめるなんて、普通じゃ考えられないだろう。普通に考えてくれない彼女は最早さすがとしか言いようがない。好意を向けられているとはわかっていても、それがラブかライクかは判別がつかないようだ。こと恋愛においては特に。
だから僕は、その鈍さすらも利用する。
「…そうです。気分が悪いんですよ」
「まじですか…。保健室…や、タクシーでも呼んで……」
抱き返すわけではないけれど背中に細い腕が回る。そのまま小さな掌で上下に撫でられた。気分が悪いわけでも眩暈がするわけでもない。のに、なにかが取り払われていくような、雨が上がっていくような、そんな感覚がした。
「キョンに連絡でもしようか?あ、それか、有希にでも」
「……いいえ、大丈夫です。ですから、あと少しだけ、こうしていてもいいですか」
「そりゃ、全然どうぞ」
すこしも迷うそぶりを見せなかった彼女にある種の危機感を覚えるが、少なくともその危機感の薄さのおかげで僕はこうして彼女に触れられるのだから、気にしてはいけないだろう。少しだけもたれかかると、髪の毛が僕の頬に触れる。もういっそ日が暮れるまで日付が変わるまでこのままでもいいと思ってしまった。
さすがに長いこともたれかかっていると本気でタクシーか救急車を呼ばれかねないので、タイミングを見計らって体を放す。逃れていく温度が名残惜しい。
「もう大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。すみませんでした」
「んーん。治ったんならよかった」
最後にぽんぽんと背中を叩かれて、部室のドアまで向かう後姿を見つめる。だめですよ、あなた。僕以外の人に、そんなことをしちゃあ。そんな、僕が考えてもいいことではないのに。考えてしまう。考えてしまった。
「でも、どうしてだろうね?風邪?」
「いいえ」
「持病とか?あ……、疲れが溜まってたの?」
もし疲れてどうしようもなくなったら、団活にも無理に出なくていいんだからね、と言ってくれる彼女に笑顔を向ける以外に僕は方法を持ち得なかった。だってこんなに嬉しくて、他にどんな顔をすればいい。ハルヒに言いづらかったら私から言うこともできるし、大丈夫だからと、彼女が僕を心配する言葉を吐き出す度、僕のためだけにそんな言葉を言ってくれているのだと認識するたび。
どうしようもない気持ちが胸を突いて泣きたくなる。
「いいえ。最近はそう忙しくもありませんし、大丈夫ですよ」
「……、そう?」
「はい」
外に出て鍵を閉めて、二人で廊下を歩く。結局校門まで戻ってきていたらしい彼が、不機嫌そうな顔で校舎を睨みつけているのが見えた。僕たちの姿が見えているのだろうか。いつものしかめっ面に変わりはない。
目の前の小さな背中に、言ってやりたかった。あんな無防備な姿を、彼の前で晒さないでくださいねと。でもいえない。いってはいけない僕。
「貧血とかかな?」
「…いいえ」
もっと簡単なものです。
ただの嫉妬ですよ、と。
――言えたら、どんなに幸せなのだろう。
結びつかない僕ら
ひなさん、
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