[携帯モード] [URL送信]
泣きたいくらい幸せな


――皆がいなくなってしまう夢を、見た。

黒く濁った視界の中に、ハルヒ、みくるちゃん、有希、古泉くん、キョンがいて、こちらを見ている。
それぞれが無表情で、無感動で、底冷えするような視線を私に向けている。

なんでそんな目で私を見るんだろう。私は何か、皆に嫌われるようなことをしてしまったんだろうか。狼狽して何もいえない私を尻目に、皆は歩き出す。暗闇の中に。底の見えないどこかに。
追いかけようとしても拒絶されることが怖くて、私は進めずにそこに立ち尽くしていた。誰かに声をかけられることも、手を差し伸べられることもなく。どんなかたちであれ、皆に拒絶されることを考えたくなかった。

だから目が覚めてあれが夢だったと気付いた瞬間、言いようのない喜びを覚えたのだ。


涙の流れた頬を拭い、何事もなかったかのように洗面台に向かう。少しだけ汚れた鏡の向こうには疲れ果てた表情があって、憔悴しているようにも見えた。事実、憔悴しているのだろう。眠ったはずなのにひどくだるい。けれど二度寝するのもなんだか怖くて、私は顔を洗った。顔を洗ってもどこかつきまとうような気持ち悪さが残っていて、やりきれない気持ちになる。
学校がないおかげでゆっくりできるはずなのだけど、どうしても皆に会いたかった。どうしてこういう日に限って学校がないんだろう。キョン。キョンはいるだろうか。探して、あんな目を向けられていないか確認だけでもしておきたい。あんな寂しい気持ちになるのはもう嫌だ。

「キョン……」

リビングの扉を開けると、がらんとした空間がそこには広がっていた。おばさんもいない、おじさんもいない、妹ちゃんもいない、キョンもいない。電気が消されて、窓から差し込む太陽光が寂しそうに床に光を落としている。
おばさんとおじさんは出かけると言っていたし、この様子だと妹ちゃんも出ているだろう。キョンは、まだ寝ているのかもしれない。そう思って引き返す。
キョンの部屋をノックすると、無言が返ってきた。やっぱり寝ているのだろうと思って、そっとドアを開ける。通常なら盛り上がっているはずのベッドはぺたんとしていて、シャミセンすらいなかった。

「……どうして……」

自分でもびっくりするくらいか細い声が漏れて、その声の弱弱しさに唖然とする。自室に戻って携帯を開くと、ハルヒからのメールが1件きていた。内容は、『起きたら学校に来て』。他には何もない、一切の修飾がされていない簡素な文が、夢の中身を彷彿させる。
もしかすると、私のことを嫌いになって、もう必要がないと思って、縁を切りたいと思っているのかもしれない。学校に来て、もうSOS団から出て行ってと、そう言われるのかもしれない。学校に行くのならば一緒に行こうと言いそうなキョンすらいないのだから、きっと皆同じ気持ちなのかも。
考えていると涙が出てきた。嫌われたくないと、そう思った。胸がきゅうきゅうと締め付けられるような、ありきたりな言葉でしか表現できないけれど、とにかく苦しくて。
ぽたぽたと床に涙を落としながら、必死で着替えた。キョンの部屋には制服がかかっていなかったから、恐らく制服で行かなければならないのだろう。それでなくとも学校は、制服着用でなければむやみやたらに入れない。
ぐしゃぐしゃの顔で学校に向かうのは憚られたけれど、行かないわけにもいかなかった。臆病者とはやし立てられるのが、怖かった。余計嫌われるかもしれないという心配と恐怖が先立って、とにかく夢中で学校に向かった。

いつもの坂道も、苦しさが付きまとう。物理的なものではなく精神的なものだ。坂を登れば皆がいる。いるけれど、いるけれど――。

聳え立つ校舎に入るのが怖かった。見上げた部室棟の見慣れた部屋からは、ハルヒがこちらを見下ろしていた。私は手をあげて挨拶をしようと思ったけれど、ハルヒは何も言わず、何のアクションも起こさず、すうっと窓際から離れていった。

無表情、で。

絶望的な気持ちで部室棟の階段を上がる。足取りがいちいち重かった。誇張表現かもしれないけど、5kgの重りを足につけたような、と言うか。部室の扉が見えた瞬間、心臓がひゅうっと冷えていった。入りたくない。どんな顔をして迎えられるのだろうと、いや、迎えてなんてくれないだろうと、余計に絶望的な気持ちになる。
また涙がこぼれてきた。でも、泣いて鬱陶しいやつ、なんて思われたくなくて、必死に涙を拭う。扉の前に立って嗚咽を押し殺し、ノックをした。

「……どうぞ」

感情を押し殺したようなハルヒの声。が、余計に悲しくて、また涙がこぼれた。
もう一度涙を拭ってドアノブに手をかける。かちゃりと鳴る音がやたら大きく響く。恐る恐る開いた瞬間、耳を劈くような、大きな音が聴覚を刺激した。


「――誕生日、おめでとうっ!!」


ぱーん、ぱぁん、ぱあん。
場違いなほど明るいクラッカーの音で、眩暈がする。耳に入り込んできた音声を処理するまでに数分かかった。飛び出してきたカラーテープが頭に引っかかって視界を遮る。その、カラーテープごしに、驚いた私なんかよりももっと驚いた表情をした皆がそこにいて、私の肩が強張った。

「……たんじょうび…?」

呆然と呟いた私に、まずハルヒが駆け寄ってきて、頭についたカラーテープを取ってくれる。あんたなんで泣いてんのよ、とうろたえた声がして、逆にうろたえた。え、だって。嫌われたものだと思って。お前なんか、って糾弾されるものだと思ってここに来たから。
まさに青天の霹靂。そういえば、と今日の日付を思い出す。ああそう言えば今日は俗に言う自分の誕生日とやらだったのだなあ、と思い出して今更納得すると、ハルヒはばかじゃないの、と泣きそうな顔をした。

「なんであんた、…泣くの早いわよ……、なんで」

ハルヒ自身混乱しているようだ。
そのハルヒを私から離して、有希が目の前に立った。小柄な宇宙人は私の頬をちょこちょこと拭うと、一言、あなたは勘違いしている、と呟いた。

「勘違いって、何の」

キョンが口を挟む。有希は、「あなたが不安に思い、恐れている事態は決して実現することはない」と言って私の頭を撫でた。不安って、恐れてるって何よ、どうしたのよ、と問いかけてくるハルヒに夢の内容を伝える。今度は皆がぽかんとする番だった。

「なんだその、ありえん夢は」

「ありえないでしょ!」

「なるほど、それは確かに実現はしませんね」

「名前ちゃん、泣かないでくださいいぃ」

口々にそう言われて、今度は違う意味で涙が出てくる。誕生日のお祝いパーティーを皆でこっそり計画してたのよ、とハルヒの補足説明がなされて、ようやく頭の中が整理されてきた。

「俺たちが、お前を嫌ったりなんかするはずがないだろう」

キョンがそう呟いて、やさしい笑顔を浮かべる。みくるちゃんなんかつられてしまったようで、私と一緒に泣いていた。私のトンチキな夢に呆れたハルヒが怒ったような表情を浮かべたけれど、すぐにからりとした笑顔に変わる。

「ばかね。……誕生日おめでとう、名前」

伸ばされた手が、私の頬にやさしく触れた。その言葉の直後に、皆が口をそろえて。あたたかく、しあわせな、ひとことを。『生まれてきてくれて、ありがとう』と。
眦からこぼれてくる涙を、皆が拭ってくれる。頭に絡まったままのカラーテープが妙に温かく感じた。夢の中の皆は面影すらもなくて、言葉ひとつで私は救われる。
こんなにも泣きたいくらいの幸せを、私は、知らない。






泣きたいくらい幸せな





太郎さん、
リクエストありがとうございました!






あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!