宵闇
夜
「温かい…」
美鈴は、Kのためてくれていたお湯にゆったりと浸かっていた。
「………。」
静寂がおそうと、自分の見に起きたことを考えすぎてしまう…。
「麗蘭(レイラン)いつもありがとう」
長屋の一番奥の狭い4畳半の部屋。ふとん以外何もない部屋…それが美鈴の部屋だった。
「ん〜…あたしって天才!メイ、今日もかわいくなった!」
麗蘭は近所に住む普通の家の普通の子。
誰にでも優しく、目の見えない美鈴にも優しかった。
こうして時々、髪を切ったりアレンジしたり、化粧をしたり…。
今日は前髪を切ってポニーテールに。
「本当?」
「うん。この世で二番目にかわいい」
「二番?」
「だって一番は、このあたしだもの!」
クスクス笑うと、麗蘭はムッとしたようだ。なんとなく美鈴にはわかった。
「…私は外見のことはわからないから。でも、麗蘭の心は一番きれいだと思う」
「!」
美鈴が言うと、それはそれでテレたようでそわそわしている麗蘭。
「ちょ…きれいとか…テレるからやめてよ」
「…ごめん」
「そこで…謝ったら嘘みたいじゃん」
「…あ…」
お互いぷっと吹き出して、思わず笑い合った。
こんな日々が日常だった。
目の見えない美鈴は、この長屋で暮らしていた。
決して裕福ではないが、暮らす家があるだけ幸せだった。
「メイ!遊んでないで、早く家事しな!」
…皆にはラスと呼ばれている美鈴の育ての親が、美鈴の部屋に怒鳴り込んできた。
「また遊んでたのかい」
「ごめんなさい。すぐ行きます」
フンと鼻を鳴らしたラスは、皮肉たっぷりに出ていった。
「置いてやってるのに働きもしないでいーご身分だよ」
「ちょ…」
麗蘭が何か言い返そうとしているのがわかった。美鈴はすぐに止めた。
「麗蘭!…いいから」
「でも…」
「だって…本当のことだもの」
「……メイ…」
「おばさんには感謝してるの。こんな私を…ここまで面倒見てくれて」
美鈴が笑うと、麗蘭は複雑な心境になった。
「…行かなきゃ」
いつも通り家事をこなして、洗濯物を干した。
すると、いつもと様子がちょっと違った。
4人くらいのいつもと違う足音。
「…?」
干し終わって中に戻ると、ラスと誰か知らない男の声がした。
「だから…もう少し…」
「いや。もう期限切れだ。明日には出ていってもらおう」
ゆっくり声のする方へと歩いた。
玄関だった。
「おばさん…?」
声をかけると、みんながこっちを見たのがわかった。
すると、おばさんは怒鳴った。
「奥へ行ってな!」
「!…はい。ごめんなさい」
美鈴はすぐに自分の部屋に戻った。なんだか、ただ事ではない雰囲気がした。
「…あんな娘…いたのか」
「!?」
「メイ、支度はいいかい?」
「うん」
今日はラスが九龍に連れてってくれるらしい。
家事を頑張ったご褒美らしい。
どこにも出かけたことのない美鈴は、それだけでウキウキしていた。
「よかったね。いってらっしゃい」
麗蘭がきれいに着飾ってくれた。
「ありがとう…いってきます」
「あれ…みんなは?」
ラスと2人タクシーに乗る。
「今日は…忙しいんだよ」
「そうなんだ…」
「…おばさん」
「何だい?」
タクシーの中ではほとんど会話がない。
「この間の人たち…誰?」
「!」
なんとなくラスが動揺したのがわかる。
「気にするんじゃないよ」
「……はい」
10分ほど走ってタクシーは止まった。
「?」
おかしい。麗蘭の話ではもっと時間がかかるはず…。
「降りな」
言われるがままにタクシーを降りた。
なんだか静かな場所だった。
料金を払ったラスもタクシーを降りた。
タクシーが遠ざかる音がする。
「…来な」
「…っ!」
痛いくらいに腕をつかまれ、歩かされた。
早足で小走りになる。
「おばさん…」
「メイ…」
「?」
「……許しておくれ…」
そう言うとラスは足を止めた。
すると、車のドアが開いて誰かが降りた音がした。
聞いたような足音。
「…はっ!本当に連れてきたのか!」
「!」
この間ラスと言い合っていた男だ。
人をちょっと見下したようなしゃべり方…。
「あ…この間の…」
「へぇ、わかるのか?覚えていてくれて光栄だね」
足音が近づくと、美鈴は後ずさりした。
しかし、アゴをつかまれ、無理やり上を向かされた。
「やっぱりな…」
「!?」
美鈴が顔を背けると、鼻で笑った。
「盲目だが、上玉だ。連れて行け」
忍び寄る足音に怯えた美鈴。腕をつかまれ、ラスに助けを求めた。
「おばさん…!?…っや!」
「…待ちな!」
ラスが言った。みんなの足音が止まる。
美鈴はホッとした。
「…約束だよ。借金はチャラ」
「借…金?」
借金があったなんて…初めて聞いた。
「もちろんだ」
「あと…金は?」
ラスが強気に言うと、男が指をパチンと鳴らす。
すると、他の男が小さいケースを開けた。
「少ないかもな。10万香港ドルだ」
目を見開き、札束を見つめるラス。
「確かに…」
すると、ラスは美鈴をガッチリつかんでいた手を…放した。
「あ…」
「行くぞ」
ファイの掛け声にみんなが返事をして、3人がかりで美鈴を引っ張る。
「…っ…おばさん!?」
「………。」
何も返事をしてくれない。
それが恐かった。
「抵抗するな!お前は売られたんだ!」
「!」
引っ張る男が言った言葉に全身の力が抜ける。
すると、ラスが言った。
「…メイ、悪く思わないでおくれ。生きてくためさ」
「!」
ラスの走り去る足音が聞こえた。
最後の声は…震えていた。
「後ろに乗れ!」
「きゃ…っ!?」
乗るのに手間取っていると、誰かに押された。
倒れこんだシート。手に誰かのぬくもり。
なんとなくファイの気がした。足に触れていた手をすぐに離して起き上がった。
「………。」
なるべくはじに逃げた。
すると、助手席にも誰かが乗り込み、運転手が車を出した。
「おい女!」
助手席の男がすぐに言った。
「ファイ様に買われたこと…光栄に思うがいい」
「!?」
「ファイ様の女になりたくてもなれない女はいくらでもいる」
ファイの手が…ほほに伸びてくる。
すごく嫌で、振り払った。
「…気が強いな」
「………。」
「だが、すぐ従順になるさ…たっぷり仕込んでやる」
「!」
車にファイの笑い声が響く。鳥肌が立つほどの恐怖を感じた。
車はどんどん走り、どこかの港に着いたようだった。
「!」
お風呂で寝ていた。
「…ケホッ!」
鼻に少し水が入った。どれくらい入っていたかもわからない美鈴は慌ててお風呂からあがろうとしたが、クラクラした。
のぼせたようだ。
「…何やってんだろ…」
自然と涙がこぼれた。
ピー…というカードキーのロックが開いた音がした。
「…いるのか?」
中が真っ暗なのでKは電気をつけた。
「あ…すみません。おかえりなさい」
ソファーに横になっていた美鈴。
「どうした?」
Kがスーツの上着を脱ぎ、ネクタイをはずしながら聞いた。
「ちょっと…お風呂で寝てしまって…のぼせました」
すると、Kは横に座って言った。
「そうか…遅くなったし外で夕飯食べようと思ったが無理だな。作らせよう」
Kの手が額と首に触れた。
「…冷たい」
メイが息を吐きながら言った。
Kに触られても嫌な感じはしない。むしろ、心地いい。
「俺は冷たい人間だからな」
クスクス笑ってKが言った。すると、美鈴が言った。
「違います…」
「?」
「手が冷たい人は…心が暖かい人なんです」
フッと優しい笑みがKの顔に浮かんだ。
空気が穏やかになったのが、美鈴にもわかった。
「私はなんでも食べれます。Kさんが食べたいものでかまいません」
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