宵闇
逢
出逢いは衝撃だった。
「…名前は?」
「…美鈴(メイリン)…」
大雨の路地裏。傘もささずに歩く女の前に車が突っ込んできた。
「!」
間一髪、ひかれなかったが、軽く車が当たってよろけた。
「…危ねぇだろーが!」
車から降りた男が怒鳴る。
雨の中、聞こえた声に女は怯えた。
「…ごめんなさ…」
女はすでにびしょびしょで長いストレートの黒髪も毛先から雫がポタポタ。立ち上がろうとしたが、右ヒザがちょっと痛い。
「…っ!?」
擦りむいていたし、右足首もひねったようだ。
「どけ!」
「きゃ…!?」
腕をガッと乱暴につかまれた女が顔を上げると…
「お前…目が…?」
女は目を開けなかった。盲目だ。
きっと雨の音で、車の音も聞こえにくかったんだろう。
運転席から降りてきた男が服をつかんで歩道に女を投げ捨てる。
「…気をつけろ」
男が運転席に戻ろうとすると、後部座席のドアが開いた。
「K(ケイ)…!?」
運転席の男は慌てて傘を持ってきて、後部座席の男が濡れないように傘をあてがう。
車から降りたのは黒いスーツ姿の黒髪、長身の男。
「………。」
女は怯えたまま立ち上がれないでいた。
身なりもよく見ればボロボロだ。何かおかしい。
Kと呼ばれる男が手を伸ばすと、ひどく怯えた。
「ご…ごめんなさい…ごめんなさい、許して…」
怯えて震える声。
Kは女のアゴに手を当て、強引に自分の方に向かせた。
「…名前は?」
それは女が聞いたことがないほど、低く…美しい声だった。
その声につられるように、女は答えた。
「…美鈴…」
「………。」
ここは…どこかの部屋だ。
車で連れて来られた。マンションだ。
美鈴はタオルで体を拭き、ふかふかのソファーに座り、医師の診察を受けていた。
コツコツと足音が近づく。
「…足は?」
「…捻挫でしょう。1週間ほどで治ります。後は擦り傷等少しありますが、問題ないでしょう」
医師とKと呼ばれる男が話をしていた。
「そうか…」
「ただ…」
「?」
Kと医師が美鈴から離れた。
声のトーンも少し落とす。
「目は、話を聞くと昔から見えないようですが、彼女のアザは…ごく最近のものです。それに…あの怯え方は相当な暴行も受けていますね」
「!」
「何があったかは話したがりません。ケガより心身の方が心配ですね。あの裏通りは…よくない話をよく聞きます」
「そうか…ご苦労」
明らかにKの方が年下だが、上から目線。
「いえ、Kのためなら私はどこへでも…」
一礼して、部屋を出ていく医師。
再びKは美鈴の方へと歩いた。
部屋に入ると、美鈴はすぐに気づいたようだ。
目を閉じたまま、顔だけ上げる。
「あの…ありがとう…ございます」
「車をぶつけたのはこちらだ。気にするな」
「でも…こんな…傷の治療まで…」
「……痛むのか…?」
Kは向かいのソファーに座った。美鈴も顔の向きを正面へ。
「…少しだけ…」
「そうか…」
美鈴は、Kの声に聞き惚れていた。低音でなめらか。
沈黙が少し続いた。
「……何があったか…聞かないんですか?」
美鈴がKに向かって言った。
Kは淡々と答えた。
「…必要ない」
「…あ、声…ちょっと変わった」
「!?」
美鈴がクスクス笑った。
「私、こんなだから耳はいいんです。今、冷静にしよーとしたけど、ちょっと声のトーン上がったし、少しだけ早口になった」
Kは驚いていた。
嘘をついたり、本心を隠すのは得意だった。
「お医者様と…さっき話して…少し聞きましたよね…」
「あれも聞こえたのか?」
「はい…」
ちょっと暗くなってきたので、美鈴は話題を変えた。
「それで…えっと…ケイ…?それって本名ですか?」
「…よく聞いてたな」
「私は、見えないから…聞いたことは大体覚えてます。それに…」
美鈴が両手を前に出す。
「触れば…顔も絶対忘れません」
笑顔で差し出された両手首に残る…縛られたようなアザ。生々しい。
「…俺は怖くないのか?」
Kが聞くと、美鈴は笑顔のまま答えた。
「あなたの声は、私を心配してくれていた…それに、ずっと穏やかで…すごく…安心する」
「…俺が…今までどんなことをしてても…か?」
「人の本心には、関係のないことです。私、人を見る目はあります。見えないですけど」
メイがクスクス笑う。
すると、Kは立ち上がり美鈴の隣に座った。
美鈴は、差し出していた手をKの座った方に向けた。
「…触っても…いいですか?」
「………。」
Kは答えなかった。
答えなかったが、美鈴はKの顔の方へ手をのばした。
「…わ…キレイな顔」
「わかるのか?」
手探りで輪郭をなでる美鈴。
クスクス笑うK。声が振動になって手に伝わってくる。
「何て言うのかな…触ると…その形が頭の中で立体になって…」
すると、意識せずに指がKの唇に触れた。
「あ…」
反射的に手を離した。
「ごめんなさい…」
なぜかテレた。顔がきっと赤い。
「………。」
恥ずかしくてしゃべれなくなってしまった。
すると、Kの携帯が鳴る。
Kは美鈴から離れて別の部屋で話をした。
『K…そろそろ劉(ラウ)様との会合の時間です』
電話の向こうで男が言った。Kもすぐ答えた。
「わかってる。すぐ行く…」
電話を切ると、すぐに美鈴の元へ。
ソファーに座ったまま待っていた。
「…悪い。用事がある」
Kが言うと、美鈴はすぐに立ち上がった。
「あ…それじゃ私も…帰ります」
「帰るとこ…あるのか?」
「………。」
美鈴の表情が曇る。
「ここは…俺のマンションだ。ケガが治らなきゃ家も探せないだろう…しばらくいてかまわない」
「…そんな!」
美鈴が慌てて首を横に振る。
「こんな…手当てまでしてもらって…これ以上…ご迷惑は…」
「今、半端なままいなくなる方が迷惑なんだが?」
「…でも…」
「…夜には帰る。話の続きはそれからだ…って、時間は…わかるか?」
Kが準備を急いでいるのはわかる。引き止めたら迷惑だと思った美鈴は、うなづいた。
「はい…暗いとか…明るいとかはわかるので、なんとなくなら」
「そうか…」
するとKは突然美鈴の手を引いた。
「!」
ドアを開ける音がすると、Kが言った。
「ここがバスルーム。着替えただけじゃ寒いだろ。湯をためたから温まるといい」
「はい…」
「あとは…」
言葉の感じから急いでいるのに説明しようてしてくれているKに美鈴は言った。
「Kさん」
「?」
「大丈夫です。後は…なんとかなります。入っちゃいけないとことか…ありますか?」
「いや…この家は…ない」
「…じゃあ、急いでるんでしょ?行ってください」
「あ…」
Kはハッとした。きっと美鈴は口調は早くなったのに気づいたのだ。
「…悪い。じゃあ、夜に…また。鍵はロックしていく。誰が来ても開けるな」
「はい…」
玄関の方へ足早に歩くKの後ろを壁に手を当てながら歩きついていく美鈴。
「あの…」
靴を履いたKに美鈴は言った。
「色々ありがとうございます…」
笑顔で手を振る。
「いってらっしゃい」
「!」
Kは無言で出ていった。
「K、急いでください。遅れます」
運転手の男が真っ黒い車のドアを開ける。雨はあがっていた。
「…K、何か…ありました?」
車に乗り込んだKに運転手は車を発進させながら聞いた。
Kも聞き返す。
「なぜだ?」
「いえ…マンションから出てきたとき…少しだけ楽しそうに見えたので」
それを聞いたKは高笑い。
そして…いつもの…裏の顔に。
「俺を誰だと思ってる?マフィアの頂上(てっぺん)…K(King)だ」
「承知しております…」
「毎日…楽しいさ」
「…失礼致しました」
窓の外の風景を見つめるK。
頭の中は…美鈴のことがめぐっていた。
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