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狼と忠犬

「安心してくれ。君達の悪事が露見したから呼びだしたとか、そういう話じゃないんだ。」

 にこやかに俺に話しかけてきたのは、正面に座る風紀委員長の蒲生早苗だ。
 一見すれば優しげな表情を浮かべる感じの良い美形だけれど、そんなものに騙される人間はこの学園にはいないだろう。なんといっても、風紀委員長なんて厄介な役職についているような男なんだ。ただの好青年な訳もないし、彼は瓜生君の血縁者だ。

 そんな人間が、僕に向かって差し出す紙が意味のないモノの訳が無い。


 ―――ついでに言えば、僕にとって蒲生委員長なんて人間はどうでもいい存在で、風紀室に入った瞬間から全神経が向かっているのは、斜め前に腕を組んで立っている瓜生君だ。(あとその後ろで当たり前のように控えている近衛)


 1メートル離れているかどうかの距離でも、視力の良くない僕に用紙の内容は読めない。

「そこ、とりあえず署名しろ。」

 瓜生君の低い声に思わず肩が跳ねた。

 普段当たり前のように影から見守っているだけの存在が、僕を見ている。
 怖い。
 瓜生君は少し離れた場所からレンズ越しに眺める人であって、こんな風に至近距離で、しかも僕に向かって話しかけるなんて事態があってはいけないんだ。これは駄目だ。

 ぶるぶると小刻みに震えだした僕に、なぜか近衛が近づいて来た。コイツが関わっているとなれば、絶対に碌な話じゃない。
 反射的に後ろに下がる僕。更に詰め寄る近衛。下がる僕。近づく近衛。指先の震えが面白いほどに大きくなった。

「真壁く……。」
「うわあああああああああああ。」

 この疫病神がああああ!
 緊張の糸が振り切れた瞬間、僕は風紀室から一目散に逃げ出していた。




 扉近くに立っていた風紀委員を押し退けて、僕はドアを全開にして走った。逃げ足には自信がある。
 逃走中は無心が一番だ。本能のままに階段を駆け下り、ひとつ下の階で通路に出た。数メートル先にあるトイレに猛ダッシュして、一番奥の個室に身を潜めて……やっと、息を吐いた。

「ふ……へ、っ…ハッ…。」

 便座に腰を下ろし、声が漏れないように両手で口をおさえる。

 瞬発力はあっても体力が無い僕に、寮まで逃げるスタミナは無い。まさか追いかけてくるなんて事はないだろうけど、ここで2、30分息を殺したままで隠れて、落ち着いたら帰ろう。

 なんなんだ。ホント何だったんだ。意味がわからない、意味がわからないよ。
 ガクガク足が痙攣しているのは、全力疾走した所為だけじゃない。深呼吸だ、そうだ、まずは呼吸を整えて、冷静になろう。

 ひぃ、ひぃ、ふぅ、と心で呟きながら息を吐いて吸って吸って吐いた時―――


 バタン、


 と、僕から一番離れた場所……入口付近の、トイレの扉が開く音がした。

 同時に聞こえてきたのは、ついさっき聞いたばかりの、何の特徴もない声。


「………ここでは無い、と。」


 ぅヒイイイイイイイイイ!
 近衛ええええええええええええっっ。


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あきゅろす。
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