狼と忠犬
新しい本を買わなくちゃ
不安な夢を見た気がして、目が覚めた。
時々、起きた直後には憶えていない夢の所為か、無性に枕元の漫画を読まないと気が済まない衝動にかられる。
そんな時の為に、俺の枕元には常にお気に入りの少女漫画が常備されているのだ。
小さなスタンドの灯りで貪るように読む物語の中で、時には泣いて、時には傷つきながらも幸せになる主人公を眺めていると、モヤモヤとした気持ちが和らいでいく。白い紙の中で語られる幸せが、そこには確かに存在していた。
しかし、どうしたことだろう……今日は、まだ暗い部屋で目が覚めても―――本を手に取る気持ちが湧かない。
「……そろそろ新しいの、買わないと駄目なのか…?」
のろのろと上半身を起こして、ボンヤリと横に置いてある表紙を眺める。
灯りがついていない所為で影のようにしか見えない表紙の絵には、主人公が恋人になった男と唇を寄せあっている場面が描いてあったはずだ。確かコレが最終巻。
やっぱりいつもみたいに、一番大切なあの本を置いておけば良かったのかな…そう思いながら、枕元の本を手にとった。
「………餞別…。」
ふいに頭に浮かんだ言葉は、すぐさま鮮明な記憶と一緒に俺の脳を揺さぶった。
「日――…。」
口に出そうとして、唇を噛んだ。
名前さえ、最後まで呼べない。口に出してはいけないような気がした。もうそれは、俺には許されないのかも知れない。
餞別――――そうだ、俺は、日影さまに『餞別』と称してキスして頂いた。…あれ?
なんだかその前後の記憶がいまいち曖昧で、ただ日影さまが俺に向かって発した言葉だけは、ちゃんと憶えている。
俺はもう、日影さまの親衛隊副隊長じゃない。
食事も、必要ない。
瓜生の家に行ってもいけない――ああ、これは以前からだから問題ないか。
餞別。
……アレには、どんな意味があったんだろう?
「――お、俺が…物欲しそうな顔を、し、してた…のか?」
いや、確かに風紀委員へ入られた日影さまは神々しかった。
あのどこか静謐な空気の風紀室に、日影さまのストイックな姿は直視するのが眩しい程だった。だからか?だからなのか!?
最後に役に立たない駄犬にも、夢を与えてやろうといった優しさだろうか…。
「―――ん、?」
ちょっと待てと、俺の脳内の海馬さんが訴えかけてきた。
日影さまの『餞別』
似たような場面が―――無かったか?
ぐるぐると記憶がフル回転して……仮装時のアレやコレやが、一気に湧きでた。
「ああああああ――……ゴフっ!?」
夜中に大声をだしてしまいそうになって、咄嗟に口を押さえるつもりが鼻からの出血で失敗する。まぁ鼻血のおかげで声は抑えられた。
流れる血を手でおさえながらも、動揺で転がりそうになる身体を落ち着かせる。
え?あれ?ちょっと待て。
なんで忘れてた、俺?
あまりの衝撃で無かった事になっていたのか?
「―――こんな事だから、駄目なのかな…俺は…。」
呟いたら、口の中にまで鼻血が入ってきた。
しかも、布団の上に乗せていた漫画にまで垂れていた。
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