連載
鏡明〜6〜
鏡が割れる音がする。
(こころがわれるおとがする。)
鏡明
涼子の部屋から何かが割れる音がした。
それを必死に押さえつけようと叫ぶ若い衆の声も聞こえる。
涼子を宥めようとする女家主の声も聞こえる。
乱菊はぎゅ、と手を握る。
あたしは、行ってはいけない。
あたしが行ったらまた彼女を興奮させてしまう。
それだけはダメだ。みんなに迷惑がかかる。
正座したまま鏡を見る。
じ、と見る。
自分でも思う。
西洋の亜麻色の珍しい髪。空色の珍しい目。日本人にしては白すぎる肌。
明らかに、自分は“異質”だ。
ぱりん、鏡を割った。
この顔が、この鏡のように割れれば、乱菊の身請け相手は乱菊を諦めてくれるだろうか?
諦めて、涼子を再び愛してくれるだろうか。
埒もないことを考えた。
そんな都合良くは行かない。
あたしが、一番良く知っている。
「あ。」
手からは血が流れている。
割れた鏡で切ったのだろう。当然だ。
幸い傷は浅く、小さい。身請け前には治るだろう。
流れる血を拭う為、ちり紙を取ろうと、立ち上がった。
窓辺に置いてあるちり紙入れに近寄る。
キラリ、白銀が光った。
思わず隠れる。
たったあの瞬間だけで“彼”だとわかってしまった自分に苦笑する。
彼は一体、誰を目的にこの娼館に通ってきているのだろう。
「真面目そうな顔してるのにねぇ……。」
奥さん、いるのかしら。
血を拭いながら、ぼやく。
もう、決して会う事は無い人。
決して、想うことは許されない人。
どんなに優しくされても、どんなに惹かれても求めてはいけない人。
血を拭い、屑籠に捨てる。
捨てたのだ。
あたしは、ここに全て、ここで得たものを、全て全て捨てていく。
あたしが、ここから離れる前に出来ることは、全てやっておかなければいけない。
もう一度窓の外に視線をやる。
そこには白銀はもう無かった。
それに安堵し、少し悲しく思う。
小さく、呟く。
「 」
その声は小さすぎて部屋に響くことなく、乱菊の口内だけで消えた。
もう、彼の名前を呼ぶことはこれで最後にしよう。
彼にはこの心と共鳴する事がないのだから。
鏡の破片を拾い集めて捨てる。
窓から漏れる光。
大丈夫。私は光の中を歩いていく。
高く昇った日を見て笑う。
それは乱菊を勇気づけるものだ。
あたたかな日の光。
無垢で、純粋で、この先の道を信じさせてくれる。
さぁ。私がこの娼館に出来る事を致しましょうか。
文机に向かい、墨を刷る。
紙に、筆を滑らせる。
涼子があんなに取り乱し続けている理由を私は知らない。
誰も教えてくれないから。
でも、本当は私はどこかで知っているのだ。
頭のどこかで警鐘が鳴っているから、それは間違いない。
でも、私には何もできない。
それがこの道の、ルール。
だから、残り少ない日数と少ない自由で。
私に、出来ることを。
日は、割れた鏡に反射してきらきらと輝いていた。
――鏡明――
(未来は、鏡に映る日のように明るいと、信じてる。)
(だから、今は、出来ることを。前を向いて。)
呪文のように、繰り返す。
その口からはもう彼の名前は、出る事は無く。
鏡が割れた音がした。
(こころがわれたおとがした。)
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