連載
夢幻蜃気楼。それらをずっと待っている。〜3〜
待っていた。
この時をずっとずっと待っていた。
―夢幻蜃気楼。それらをずっと待っている。―
身請け。
ふっ、と乱菊は笑みを浮かべた。
泣きつく女家主の細いからだをぎゅっと抱きしめる。
そして右手で女家主の頭を撫でた。
乱菊とは違う、艶やかな黒髪。気高く艶やかな日本女性。
心の強さ。それ故にこの女家主は乱菊の行く末を思って泣いているのだろう。
今まで乱菊はたくさんの娼館を渡り歩いてきた。
それは、たくさんの女達からいじめを受けてきたからだ。しかし、それに屈する乱菊ではない。
では、何故?
答えは簡単。娼館の女達の愛するもの、男達を奪ってしまうから。
決して乱菊が奪おうとしているわけではない。
勝手に男が寄ってくるのだからしょうがない。
だけど女は恨むのだ。男は悪くない、あの女が悪い。
あの女が、美しすぎるから――……。
だから、待っていたのだ。乱菊は。自分を、身請けする男を。待っていたのだ。
たとえ、どんなに酷い男でも。たとえ、暴力を振るわれても。
それがたとえ、夢や幻の類いだとしても。
女主人の涙を指先で拭い、乱菊は微笑んだ。
「泣かないで、くださいな。私なんかのために。」
「だけど乱菊!お前を身請けしたいと言っている男は決して酷い男ではない。だけど、その男の地位が問題なんだ!その男に身請けされたら周りからどんな口さがない事を言われるかしらない!」
女家主は大きな涙を流しながら叫んだ。
女家主は、自分のためを思って泣いてくれている。
それが乱菊には痛いほどわかった。
「………――――逃げても良いんだ。」
「え?」
「身請けを、あんたが望んでいたのは知っているよ。何せあんたは美しすぎる。この国じゃ滅多にお目にかかれない、髪と瞳。女の妬みを買うのは当然だろう。だけど、だけどもう少し待てば、あんたは必ずここに馴染めた。だけど、身請けの話があった以上、あんたはここには居られない―――……。向こうはいくらでも出すって言ってるしね……。
乱菊、私はあんたが大好きだ。
あんたの立ち向かう姿が好きだ。
だからあんたは――――……逃げても、良いんだよ。」
泣いても、良いんだよ。
乱菊は薄く微笑んだ。
そして女家主を強く抱き締める。
「その言葉は、とても甘美だわ。」
ポツリと乱菊はこぼす。
「だったら!」
「でもね、女家主。私はこう思っているのです。」
「どんな甘美な道さえも中に入ればそれは荊の道。」
女家主ははっと息を飲む。
「ねぇ、逃げるのは簡単だわ。だってそれは楽だもの。
逃げて逃げて逃げ続けて、それで楽な道を探そうと必死になって。だけど、きっと、逃げれば逃げるほど、荊は濃くなっていくんだわ。」
逃げれば逃げるほど、荊は濃くなり、棘は鋭くなり―――……。
「女家主。私はもう十分逃げました。」
今は女達の嫉妬や妬み、そんな物から。昔は異質な容姿への中傷から。
「だからもう。逃げてはいけないの。」
だって身請け話(それ)は。
夢や幻ではない。れっきとした現実。そして。
真実。
「だから、ねぇ。女家主。泣かないで。私は大丈夫です。荊にも全て。薔薇(そうび)を咲かせて差し上げますから。」
女家主はそっと乱菊の豊かな胸から離れた。そして目尻の涙を拭い、乱菊を見据える。
「………―――行っておいで。乱菊。あんたは荊の道を選んだ。きっと、きつい道のりだと思う。涙を流す日もあると思う。
そして、これから1ヶ月間の身請けのための準備期間、あんたにとって、辛い時期になると思う。」「――――はい。」
「…………もう、ダメだと思ったら帰っておいで。
ここはもう、あんたの家だ。
乱菊、あんたは、一人じゃないからね。」
「…………はい!」
背筋をピンと伸ばし、女家主は艶やかに微笑んだ。
乱菊も小さく微笑む。
今、未来を選択した。
後戻りはできない。
荊の道かもしれない。
だけど、現実なのだから。
夜、夢で見たような悲しい思いではなく。
ふとした時に見る、苦しい幻でもない。
れっきとした、真実なのだから。
だから。
そこに光があると、信じてる。
―†―
「嘘よぉっ!!!!」
次の日、乱菊は誰かの叫び声で目が覚めた。
次いで何かが割れる音――…壊れる音も聞こえてきた。
『…………何の、騒ぎ……?』
急いで重い着物を着て、髪も美しく結い上げ、乱菊は階段を降りてみた。広間を見てみると、そこには大勢の花魁と、片頬を赤くした女家主。それと先程まで美しく結い上げられていたであろうに―――……髪を振り乱し、泣き叫ぶ涼子の姿があった。
「何事………?」
「乱菊っ!!来ては駄目だ!」
「女家主………?」
すると乱菊の声を聞いた涼子はとてもあの、重い着物を着てるとは思えない素早さで乱菊の前まで駆け寄り、片手を振り上げ――――………
ぱぁんっ!!
「乱菊っ!!」
――――――え?何が起こってるの?
乱菊は暫し呆然とし、涼子を見た。女家主の声も耳に入らない。涼子に打たれた頬の痛みだけが鮮やかだ。
「あんたのせいで―――……あんたのせいで!!」
そう言って涼子は泣き崩れた。
知りたかった―――………。
知りたくなかった。
全てを。
―続く―
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