番外編
4
『垣代くんはさ、』
ある男は、俺にこう言った。
『垣代くんは、可哀想だね』
その一点の翳りも無い笑顔をぼんやりと見ていた。
『誰かを好きにもなれないなんて、可哀想だ』
荘厳な椅子に腰掛け、優雅な口振りで、
『君以外の全ての人間は人を“好き”になれる心を持っているんだよ。だから、』
まるでこの世界の王であるかのように、言う。
『一人で生きていける君はもう、人間じゃないんじゃないかな』
そうかもしれない、と俺は思った。
水上長雨は時々小走りになりながら、俺についてきた。廊下を何度か曲がり、階段を降りる。
「この廊下の奥だ」
渡り廊下の向こうを指差してそう伝え、踵を返す。
「ちょ、あの!」
腕を、掴まれた。何故か不快感は無かった。顔だけ振り返る。この学園には無い形の指が、俺の腕をやんわりと捕らえている。その黒い眼に、俺が映っている。
「名前とクラス、教えてもらえませんか」
「必要ない」
「え?」
明日、間違いなく会うのだから。
腕を振りほどく。廊下を戻る。
「ありがとうございました!」
後ろから声をかけられた。
しばらく歩いて、立ち止まる。
『ありがとう』などと言われたのは、どれくらい振りだろうか。頭の中でその言葉を何度か反芻してみる。
少なくともそれは『好き』などという漠然とした言葉よりずっと単純で、理解し得る言葉だった。
振り返る。そこにはもう当然、水上長雨はいなかった。
名乗っておいても良かったかもしれない、と、どうしてか、思った。
2007.5.20.
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