番外編
2
「頼む、垣代」
土曜日、学園中さまよってさまよってようやく垣代早瀬を見つけたのは、寮の一階のカフェの奥の席だった。
垣代は本も読まずに、ただ黙々とコーヒーを飲んでいたらしい。ゆっくりと顔を上げて俺を見るのは、端整な顔立ちに見合った、切れ長な漆黒の瞳だ。
「何の話だ、水上」
良い声で抑揚も無しに問われる。俺は手を顔の前で合わせたまま、垣代を見る。
「英語。垣代はオーラルが上手だって聞いた」
情報源はもちろん佐助だ。垣代は完全なバイリンガルらしい。英語が喋れる人は結構日本語にも影響が出てしまうものだけど、垣代の喋り方はそういう感じがしない。小さい頃から両方の言葉に慣れてきたのかもしれないなぁ。
「教えてくれないか。頼む」
「………」
垣代が黙って、しばらく俺を見つめた。
「お前の方が成績は上だろう」
「うぐ」
そうだよな。紙面での成績はなんとか一位を死守してる。俺の成績が悪くなるなら、垣代は順位が上がる。普通助けない。
「………ごめん。見当違いのお願いだったな」
「………水上」
踵を返そうとしたら、良い声で呼ばれた。
「ん?」
「………Repeat after me.」
『俺に続いて言ってみろ』と言われて、思わずびくっと怯えてしまった。垣代、本当に発音がきれいだな。
「I can speak English,also Japanese」
「あ、あいきゃんすぴーくいんぐりっしゅ、おるそー…じゃぱにーず」
「………………」
繰り返したら、垣代はあからさまに閉口した。ですよね。
「Your face is clouded with anxiety.」
『ビビリで顔色が悪いぞ』か。
「ゆあーふぇーすいずくらうでどうぃずあんさいえてぃー。ほっといてくれ」
「……I`m half dead from hunger.」
『腹が減って死にそうだ』
「あいあむはーふでっどふろむはんがー。大丈夫か?」
垣代が一瞬、何か考えるような顔をして、俺を見つめた。
「…The youth of our country is indifferent to politics.」
『我が国の若者は政治に対して無頓着である』
「ざ、ゆーすおぶあわーかんとりーいず、えーと、いんでぃっふぇれんと、つーぽりてくす。確かにそうだな。よくないな」
「……………水上」
「ん?」
日本語に戻った。思わずほっとしかけた俺に、垣代は無表情で言う。
「お前は一度日本語に訳してから繰り返しているだろう」
「え」
確かにそうだけど、ダメなのか。
「普通、英語ができない場合は、長文をソラで暗記できずに途中で止まる。もしくは完全な物真似でリズムだけを追って話す」
ええ、そうなのか。
「が、水上、お前は暗記は完全に出来ている。なのに発音がぎこちない。英文の意味を理解できるからだ」
「うん」
「俺が話した英文を、聞きながら日本語に訳して、もう一度英文に変換しながら話している。だから発音が日本語になる」
「へぇええ」
つーか、今のたった四回のやり取りでそれを見極めたのか。
「すごいな垣代…」
「イヤミか、学年首位」
垣代は無表情のままだったけど、思わず俺は笑ってしまった。
「………発音くらいなら教えてやれる」
垣代が一口コーヒーを飲んで、カップを静かに置いた。
相変わらず、優しい。
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