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番外編
フィクションの願い事






用具室に入るなり、俺は長雨の体を引き寄せた。


「大牙?」

丸い目をする長雨には、まだ危機感が宿らない。それ程、普段俺の事を信頼しているのだろうと思う。自覚もある。けれど、暗く埃っぽい密室で体を寄せると、やっとその黒の瞳に焦りを見せた。

「どうしたんだよ」
「市村、しばらく戻ってこねぇから」
「え?っ」

腕に力が籠めた。細身の水上には抗う術も時間も与えてやらなかった。


唇を塞ぐ。


長雨は目を見開いた。驚きで思わず開いたらしい長雨の口内に舌を滑り込ませる。噛まれないように片手で顎を押さえた。長雨がもがいた拍子に立て掛けてあった熊手やスコップがけたたましく音を立てて倒れた。

「っ、…ん、」

背が反る程強く長雨を抱いた。奴は俺の胸板に手を突く。笑ってしまうくらい非力で、それが可愛かった。舌で長雨の小さな舌を絡み取って吸う。くちゅ、と生々しい水音。長雨の頬が朱に染まった。長く、荒々しいキスに、やがてその細い膝が折れた。

「…はっ、」

かくん、と、腕の中から長雨がずり落ちた事で唇が離れた。舌と舌とが短く唾液の糸を引く。長雨は荒くなった呼吸をなんとか押さえようとしながら、俺を睨んだ。

長雨は、決して優れた容姿や体つきをしている訳じゃない。だけど、どこか侵し難い清楚な色気を持っている。

最初に見た時からそうだった。凛と胸を張って挨拶をしたこいつから、目が放せなくなった。体が硬直して、心臓だけが熱湯だか氷水だかに放り込まれたみたいに温度を変えていた。




俺は長雨に、ケダモノみたいに欲情した。




今、そいつが腕の中で朱に染まった顔を見せる。初めて俺に警戒の色を見せた透明な黒の瞳はじんわりと濡れ、唇はどちらのものともつかない唾液でしっとりとしている。
責めるような光さえ、たまらない。

「っ…なん、で、大牙」

涙声が掠れている。長雨の頬に触れた。

「何でって…一つしかねぇだろ」

俺はその瞬間、多分笑っていた。こいつに見せた事の無い、否、ひた隠しにしてきた男の顔をして。

「おまえが








「市村、準備出来たぞ」






携帯のディスプレイから顔を上げる。
そこに、『こいつに見せた事の無い、否、ひた隠しにしてきた男の顔をして』いない、いっつも通りのつまらねぇ黒岩大牙、通称クロのツラがあった。


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あきゅろす。
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