番外編
8
秋が終わり、
春を間近にした冬の空の下で、
人間の腹を殴る音が響いていた。
「俺ら全員期末テスト赤点でよ」
水上の髪を掴んで、真帆が顔を近付ける。
「これ以上殴られたくなかったら、俺らのためにそのユーシューな脳ミソちょこっと使ってくれねぇかな、ってこと。『なるべくカンタンでバレない方法』で進級試験受かるように考えてくれよ」
水上は真帆から目を逸らさなかった。
「げほっ…げほ、う、ぇっ…」
真帆達に便所に行くと嘘をついて屋上に戻ってみると、水上は転がったままひどく咳込んでいた。
歩み寄る。俺の足が見えたのか、水上はのろのろと顔を上げた。
「あ…」
『みやぎ』と、水上の口が動いたけど、声にはなっていなかった。水上は汗だくだった。顔には傷は無い。でも多分、腹は明日には痣だらけになる。
片膝をついて、水上の体を仰向けに倒した。
「っう…」
水上が顔をしかめる。呼吸が苦しげだった。学ランの前を寛げて、シャツのボタンも上から二つ外した。
「は、はぁっ」
呼吸が一度荒くなって、しばらく何度か深く息をしてから、少し落ち着いたようだった。
「さ、んきゅ…」
掠れた声に思わず顔をしかめる。
「水上」
こいつは頭が良い。
だから俺は、自分が思い付く中で一番卑怯な言葉を使った。
「お前が言う事を聞かないなら、次は斉藤だ」
水上が微かに目を見開いた。
「あいつはお前よりずっと酷い目に遭わせる」
「みや、ぎ」
今度こそ、水上が俺の名前を声にした。眉を寄せ、咎めるように。
知っている。この脅し程、こいつを揺さぶる言葉はきっと無い。
「それが嫌なら死ぬ気で考えろ」
ずっと一緒のはずだった。
なのに独りにさせた。
傷だらけにさせた。
笑わなくさせた。
真帆。
「頼む、水上」
両膝をついた。
頭を下げる。
地面に手と額をつける。
自分よりずっと小さな男に、
俺は縋る。
懇願する。
「真帆を助けてくれ」
俺には出来ないから。
「頼む」
あいつの元に駆け寄って、
同じように傷だらけになって、
同じように笑わなくなっても、
俺には真帆を助けられない。
「………ああ」
ふわり、と、頭に触れられた。
顔を上げる。
目が合って、
頭を撫でて、
そして水上はふにゃりと笑った。
「任せとけ」
風みたいな、声だった。
2008.2.17.
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