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――僕が空気になれたなら。あの人に、触れる事ができるのに…。
「何見てんだ?」
「えっ?」
学校帰りの電車内。ボーッとしていた僕に不愉快な顔で友人が話し掛けてきた。
「お前最近ボーッとすること多いよな。なんか悩みでもあんのか?
って、眠いだけか(笑)でさぁ!あの先生が―――で―――」
いつの間にか話題が変わっていた様で、その話にも興味が湧くことはなく、僕は知らずとまた前を向く。友人の言葉はまるでフェイドアウトしていくように聞こえなくなった。
ただ前を見つめていた僕の頭に、先程の言葉が蘇る。
――悩み。僕の、悩み。
そんなもの、たくさんある。人間なんだから。
それに、僕の場合は今の状況からしてすでに悩みだ。向かい側の座席に、あの人が座っているから。
車内はすごく混んでて、僕の前にも吊り革に捕まってるサラリーマンや大学生っぽい女の人、僕と同じ学生たちが居る。
でも、目の前に立っている人たちなんて僕にとっては見えてないも同然だった。
僕の瞳に映るのはぎゅうぎゅうと立ち並ぶ人の隙間から時折見える、あの人。何か関わりがあるわけじゃない。ただ毎日同じ時間、同じ車両に乗り合わせるだけ。きっとあの人にとっては人込みの中の一人としか認識されていないんだろう。そう思うと、いつも胸が苦しくなった。
それでも、ずっと見つめてしまう。彼の行動を一瞬でも見逃したくなくて、目が離せない。人込みだからいくら見つめていても気付かないということもあって、余計に。
僕は、いつも見惚れてしまう。
緩いウェーブを描く様な、赤茶色の髪。派手すぎず、落ち着いた色。そして、今は目を瞑っているけれど、開けば人の目を引く様な綺麗な青色をしてる。カラコン、だと思う。どう見ても日本人だし。けれど、それがとてつもなく似合ってしまう、そんな顔。極め付けは、女の子も憧れるような透き通った肌。
何もかもが美しくて、僕は目を奪われる。視線を釘づけにされて、動かせなくなる。それが、ここ最近ずっと続いている、僕の悩み。
しばらくして電車は徐々に減速していく。ボソボソとした男の声が僕の降りる駅名を告げる。まるで制限時間だ、と言われてるようだ。心の中でまだ降りたくないと叫んでみたが、無駄な足掻きをしても結局は降りるしかなくて、虚しくなるだけだった。
――喋れないなら、
触れられないなら、
傍に居れないなら、
せめて、あの空間を長く味わっていたかった。
「お〜い、乗り過ごす気かよ」
グイッと友人に手を引かれ、踏み止まっていた最後の一歩をあっけなく踏み出すことになった僕の足は、すとん、とホームに付いた。その後すぐに扉が閉まり電車は時間どおりに次の駅へと発車した。
「あ、ありがとう…」
一応笑いながらお礼はしたものの、心の底では少し恨めしく思ってしまった。あのまま乗っていたかったのに、と。そして、もっと欲深く言うなら、時間が止まって欲しかった。しかし、そんなことを思っても魔法を掛けられる訳でもなく、所詮人間だからと諦めるしかなかった。
「なぁ、俺の話聞いてなかったろ?」
「聞いてたよ」
「嘘つけ。全部返事『うん』だったし」
「ご、ごめん…」
「まぁ、いいけどよ!」
見透かしていながらもそう返してくれる友人に今更ながら申し訳なく思った。ぽんと頭の上に置かれた手も暖かかくて、今度はもう少しちゃんと聞くことに決めた。
「あんまり溜め込むなよ?電車ん中ではあぁ言ったけど、本当になんかったら俺に相談するんだぞ。じゃあな、また明日」
ひらひらと数回手を振って、家路へと付く友人の背を見つめながら思った。身近な人を好きになるべきだろうか。一瞬考えてみたが、やっぱり何か違う気がする。この思いを簡単に変えることなんてできない。
――僕も早く帰らなきゃ…。
考えだせば、きっと何時間もその場で過ごしてしまうので、ゆっくりと暗く細い道に僕は足を踏み入れた。なかなか進まない足を気力でなんとか動かして、家に向かって歩きだした。
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