Andante
朝です。2
「あれ、おはよー」
時間的に無人と思われた部室に入ると、俺たちより少し前に着いたのだろう、誰かがベンチに腰掛けてレガースを付けていた。
「氷龍、相葉、おはよう」
顔を上げたのは時雨と同じ、FWの茨田君だった。
話しかける機会の少ない練習の中で、会話する事のできた数少ないチームメイトの一人だ。
「珍しいな、相葉がこの時間にくるなんて」
「寝坊した子を助けてたら、ね」
時雨が爽やかに笑いながら俺に視線を向ける。
決して目を合わせないように、と俺は目を細めて顔を逸らした。
「じゃあ、先出てるな」
一言そう言うと、茨田君はいそいそと部室を出て行った。
同時にはぁ、と胸をおろす。
「茨田君にもその口調かよ」
違和感が拭えないと告げると、時雨フン、と鼻を鳴らした。
「一部の生徒会役員以外にはみんなああ、だ。例外もいるが」
昔からの条件反射のようなものだ、と時雨は語った。
家族や従兄弟にも発揮されるそれは、例外なくチームメイトにも発揮されるらしい。
「茨田君優しいのに、なにが気に食わないんだ?」
「俺に聞くな」
不思議そうに首を傾げる俺に、時雨が何食わぬ顔で告げる。
本気で反射的に口調が切り替わってるのかな?
だとしたらかなり表にでる深層心理だ。
「……そんなことよりも」
時雨が静かに口を開く。
ん?と時雨に視線をやれば、時雨はドアの前に立ちイライラと腕を組んでいる。
「もう練習開始だ」
俺は慌ててソックスを正し時雨とともに部室を出る。
準備体操の輪にそそくさと加わり、パス、ドリブル、基礎的練習を終えると、監督が練習試合をやるぞと呼びかけた。
「おつかれ相葉」
「ああ、おつかれ真嶋」
真嶋君が飲み物の入った紙コップを手渡して回っている。
ミニゲームに負けたチームはマネージャーの雑用を手伝わないくてはならないのだ。
大変だな、とその様子を目で追う。
俺は無事に勝てたのでバッチリ他人事である。
「ほら、氷龍も」
「ありがとう」
受け取ったドリンクを流し込みながら、俺はくぅっ、と目を閉じた。
その時。
「錬くん錬く〜〜ん!」
聞こえてくる叫び声にぐっとコップを下げる。
どこか聞き覚えのある声。
だけどどこで聞いたっけ……少なくともサッカーコートの中じゃなかった気が……
「サッカー部に入ったんだね!
これから一緒に頑張ろ〜」
「きっ菊岡さん!?」
そうだ、どことなくかわいい感じのこの声は、転入初日にお世話になった、事務員の菊岡さん。
なんで!?と混乱する俺に、そういえばこの前は顔を出してなかったな、と時雨が進み出る。
「こんにちは、菊岡コーチ」
「こんにちはーっす」
時雨と真嶋くんがそう言うと、少し離れた所で休憩していた人たちもコーチの存在に気がついたようで次々と挨拶をしていく。
「……菊岡コーチ……?」
語尾に☆でもつけてそうなテンションの菊岡さんに、俺は茫然と呟く。
「僕、ここでサッカーの指導してるんだ〜」
ひたすらコーチの顔を見つめる俺に、彼はニコニコと笑った。
「事務員業と兼任ですか」
「みんなそうだよ、帰るの面倒だし。
高校の方で働いてる人もいるんだよ〜」
胸を張って自慢げに話してくる菊岡さん。
ものすごく同級生感がするけど果たして大丈夫なのだろうか。
そんな失礼な心配は杞憂で終わった。
「――……錬君、もっとあがって!そこは積極的に行っちゃっていいよ。
上地君、君がカバーにはいるんだ」
プロ根性というやつなのだろうか。
練習に入ると菊岡さんの雰囲気はがらりと変わる。
言葉が間延びしないだけでも俺にはかなりの緊張感が与えられた。
「じゃあ次は僕がオフェンス入るから、みんな頑張って止めてね!」
好戦的な笑みを浮かべた菊岡さん。
俺はやる気満々に彼に向き合った。
なお、結果は惨敗である。
3人がかりでボールを取りに行ってもなかなかボールに触れさせてくれず、結局は突破されてしまった。
全く歯が立たなくて、俺は落ち込むことすら出来ず興奮した。
「菊岡さんやばい!強いっ!」
「わかったから服を着ろ」
練習が終わってからも目を輝かせて語る俺に時雨がシャツを押しつけてきた。
俺はもぞもぞとそれを頭にかぶりながらまだ口を開く。
「菊岡さんのあの勢いは脅威だよなあ」
練習の中で菊岡さんと一戦交えてから、俺はひたすら頭の中でそのプレーを再生させている。
菊岡さんの技術は俺が見てきた中でもトップクラスだ。
ああ、あれくらい華麗にボールがさばけるようになれたら楽しいだろうな……!
「……早く荷物をかたせ」
モチベーションみるみる高める俺を、こいつの菊岡さん語りはいつまで続くんだろう、と時雨は遠い目をして見ていた。
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