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病める探偵・看る魔人再び@
「次に風邪なんぞひいたら体質改善してやると我が輩が言ったのを忘れたか?」
我が輩は呆れ声で言ってやる。
ヤコは気だるそうにその身を枕に預け、これまた呆れたように言った。
「忘れるわけないでしょ」
と……
一時間ほど前……
『ネウロ様
弥子ちゃん風邪でこちらに来れないそうですよ』
アカネが我が輩に伝えてきた。
「……ム?
我が輩にでなく、アカネの方に連絡を寄越したのか?ヤコは」
『…………』
アカネは暫し黙った後、
『何故でしょうね』
と、書き付ける。
少々不愉快に感じたが、我が輩は携帯を取り出し某所に電話をかけた。
手早く用件を済まし、通話を切る。
「……アカネ。我が輩はしばらく留守にするぞ」
アカネは心得たか、ゆらゆら揺れながらも素早く書き流した。
『はい
行ってらっしゃいませ』
我が輩はきちんと事務所のドアから出、鍵もかける。
そして……下ではなく屋上に向かった。
街中を跳んで移動し、ほどなくしてヤコの家に到着する。
外壁に立ちヤコの部屋を覗き込むと、ヤコは眠っているようだった。
我が輩は勿論、玄関からではなく、窓から直接ヤコの部屋に入り込む。
階下に人の気配があったが、我が輩は認識しただけで気にしなかった。
ベッドに歩み寄り、眠っているヤコを間近に観察する。
「……………」
汗ばみ紅い頬。
やや荒い息に…明らかに高い体温……
確かに風邪の…いつか見たヤコの症状と同じだ。
我が輩は密かに、ほんとうに密かに…
あの時のような言い知れぬ不安にかられない己に、安堵した……
額に貼ってあるシートを剥がし、熱い額に直接手をあてがう。
ヤコから感ずる熱は心地良く、暫しそれを堪能していると、あの時と同じように我が掌がヤコの熱を奪い取ったか、やや熱が収まったように感じた。
何とはなしに安堵するに任せ、そのままでいると……
一度ふぅっと軽やかな息を吐いた後に、ヤコがゆっくりと目を開く。我が輩の掌を認め、ジャケットの袖伝えに視線を移し…ヤコの瞳が漸く我が輩の姿を捉えた。
「……やっぱり、きた」
潤んだ半眼で、ヤコは小さく言う。囁くように……
力無い様子に我が輩は微かに怯むが、額に当てた掌を離して返し、指の節でノックするように軽く叩いてから、今度は頬に中指を軽く押し付けつつ、
「……主人の我が輩にではなくアカネに先に連絡を寄越す不届き者にお仕置きをしに来てやったのだ」
…と、言ってやる。
ヤコは苦笑めいた表情を浮かべた。
「だって……
あんたに先に連絡したら、あかねちゃんに何も言わないままここに来るでしょ」
「…………」
さてはアカネ、いつぞやの時のことをヤコに愚痴りでもしたか……
「……見くびられたものだな」
鼻をつねりながら、我が輩もつい苦笑を滲ませてしまう。
ヤコはゆっくりと起き上がり腕を差しのべ、ベッドサイドのペットボトルを手にする。
中の液体をちびちびと飲みながら、
「……来てくれてありがとう……」
ぽつりとヤコは言った。
我が輩は拍子抜けしてしまい、顔をやや背けた。
「……じきに二十歳になろうというのに、何を風邪なんぞひいているのだ」
「年齢と風邪は関係ないし」
「次に風邪なんぞひいたら体質改善してやると我が輩が言ったのを忘れたか?」
殊更に呆れ声を強調して言ってやる。
身体を枕に預けた格好のヤコもまた、呆れ声で返してきた。
「忘れるわけないでしょ」
……と。
ヤコはそう言ったきり、両手でペットボトルを持ったそのままの格好で少し黙っていたが、
「ネウロがそのつもりなら、それも良いのかもしれないよ……」
唐突におかしなことを口にした。
「……?」
「あたしもさ…
あんたみたいな存在になったら…なれたら…
こんな風邪なんか引いたりして足引っ張んないで済むし…
何より…ずっと傍にいられるかもなのに……」
やや震える声で紡がれる言葉に、意思に…
「何をらしくない馬鹿馬鹿しいことを」
我が輩は、そう返すしかなかった。
「てことは、何?
あんたはこんな……弱っちい人間のあたしでいいんだ……
あたしなんか『謎』も作れないのにさ…」
「…………」
そのような、今更なことを……
ヤコにしては珍しく、負が負を呼ぶ精神状態…要は落ち込んでいるようだ。
普段は風邪なんぞ寄せ付けない、健康だけが取り柄だと自負もしていただけに……
体調がすぐれないと心がそれに比例して弱くなる。
……経験がないわけではない……
「言うだけ言って気が済んだか?
……ヤコ……」
「…………」
だが、身体が弱り、いっときであれ心弱くなったヤコもなかなか悪くない。
それに追い討ちをかけてしまったのが、かつて……我々がまだこういった関係になる前……我が輩がヤコ(…の無意識の色香)に辟易してかけてしまったひとことというのが、また面白くもあるが。
「……貴様は貴様で……
ヤコはヤコであれば良い」
―“下等生物”のままで、足掻いてもがいて成長して進化してゆく……
だからこそ好ましいのではないか……―
ペットボトルを取り上げ、中の液体を含む。ヤコはそんな我が輩をやや虚ろな様子で見つめていたが、顎をつまんで顔を近付けると素直に瞳を閉じた。
唇は、病による熱のせいか乾いてかさついていた。
嚥下し終えたのを確かめてから顔を離す。
「……だから、それ、反則だって」
官能に訴えかけるようになどしていないつもりなのだが、ヤコは赤面しつつも抗議めいた口振りだ。
「どちらの意味で?」
「……どっちの意味でも」
勿論、ヤコはそうなるであろうとわかっていてやったのだが。
ヤコは熱で潤んだ目でこちらを見据えている。
そんなことで誤魔化すつもりかとでも思っているのであろうか。
もう一度口移しに飲み物を与えてやった後、まだ熱い額に我が額を重ねながら、
「今のところはここまでにしておいてやる。
……貴様がそんな有様では調子が狂うというもの」
「…………」
囁いてやると、ヤコはまた、今にも泣きそうな表情となった。
無性に口付けたい欲を覚えるが。
今は、こらえる…こらえておいてやる……
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