front and rear of NY 眼鏡くんが再び揺れた日 02 そもそも俺はあの頃、あれ以上踏み込んで二度と会えなく…顔見れなくなる距離になるよりかは…って考えて、俺の桂木への気持ちとか俺が桂木にしたこととかをなかったことのように…あやふやなまま忘れたかのように装って…… 実際忘れることが出来てた。少なくとも表面上は、お互いに。 …それだけ。 それで今に到ってるだけ。 そんで今…この状況。 俺の中でくすぶってたのがまた熱をぶり返したように感じる。 桂木の気持ち…想いは、忌々しいレベルでわかってるつもりだ。その桂木を置いていかざるを得なかったアイツの気持ちもまた。 それなら…それならせめて…アイツが居ない間、寂しさを紛らわす…その程度でもいいから…って思うなんて、間抜けな間男みたいだな。 未練がましくて、浅ましいばっかりでさ。 もう、桂木から口を開くことはなくなった。自然、シン…と静まり返る室内。 居心地の悪さは否めない。俺はどうしてこうしちまうんだろうと思わなくもない。 あの時も、そうだった………… 「桂……」 意を決して俺が口を開いたその時。 「おう探偵!元気してっか?」 唐突にドアが勢いよく開いて、事務所中に大きな声が響き渡った。 立ち上がりかけてて少し前のめりだった俺は、反射的にソファに座り直してしまう。 すっかり出鼻をくじかれたカンジに内心舌打ちをしつつドアの方を見た。 そこには、ガタイのいいニーサンがいた。入るや否や、 「化物がいねーと、中でナニしてっか余計な気ィ回さねーで済むからいーな……なんてよ」 と、でっかい声で言う。 「ちょっと吾代さんっ」 桂木が慌てた風に立ち上がって、とがめるような声音でそいつの近くに寄ってった。 「………………」 俺はまず、桂木が『ごだい』と呼んだニーサンの言葉に結構なダメージを喰らう。 そりゃ、俺だってわかってるよ。具体的にどうとか聞いたワケじゃなくても……てゆーか、そんな決定的なこと、聞きたくもないし…… 聞きさえ、知りさえしなかったら、まだなんじゃねーか……桂木はまだ誰のものでもないんじゃないかって……悲しいくらいささやかな希望が繋げるじゃん。 でも、わかってた。桂木、何かキレイに…言ってみれば色っぽくなってるもんな。 そーいう目で見なきゃわかんないような、客観的には微かな変化でしかないのかもわかんないけど。 「お?来客だったか。悪ィ悪ィ。 ……ん、どっかで見た顔だな」 「…………!」 ニーサンのでかい声が俺の思考のジャマをする。 でも、正直助かったかもしれない。そこで俺は声の主をちゃんと見ることが出来て、ようやく、 ―何だ?このガラの悪いニーサンは?― と、至極真っ当な疑問がわいた。 それを察したワケでもないだろけど、 「こちら匪口さん。ネウロを助けてくれた人だよ。 匪口さん。こちら吾代さん。元々はこの事務所の前の会社の人で、今は非常勤で色々助けてもらってるんだ。 一応、“あの時”に海岸で会ってるんだけどね」 ちょっとホッとしたような顔の桂木が、俺とニーサンを順に紹介する。 「あっ…どーも」 俺はとっさに頭を下げるけど、そんな風な桂木を見て、さっき俺の中で少しだけわき上がった何かがすっかり萎えて熱を失ってることに気付いて……何だかヤケに悔しくなるしかなかった。 非常勤。そんなヤツがこの事務所にいたんだ…… そういや…このニーサン…『ごだい』、か…… 海岸にネウロを迎えに来た桂木の近くにいたなって思い出した。 いろいろ慌ただしくて…… 出来るだけ早くあの場から離れなきゃだったから、お互い名乗るどころじゃなくて、すっかり忘れてたけど。 確かあの時桂木は血の着いた服の上に男物のシャツを羽織ってて…… えっ。 もしかして、桂木、ソイツと… いや…… ソイツ、とも……? そんなことに考えが及んで戸惑ってたら、 「そーいや、化物がぶっ倒れてた砂浜で見た覚えがあんな。 ……へ―――」 『ごだい』がこっちに寄ってきてまじまじと見てくる。俺は目をそらしてはいるけど、落ち着かない。 「……探偵もスミに置けねーっつーの? ま、化物がいねーから、今のうちってやつか?」 からかうような口調でそんなことを言った『ごだい』に向かって、 「そんなわけないでしょ」 桂木が即否定する。 その言葉にちょっとグサッとくるより、会話から、『ごだい』が桂木とどーのこーのじゃないことがわかってホッとする方が先だった。 「まーまー。化物には黙っといてやっからよ」 「吾代さん……」 『ごだい』が差し出したコンビニ袋を「ありがとう」と受け取りながらも、桂木は少し凄みを含んだ声を出した。『ごだい』は、 「んだよ冗談じゃねーかよ。そんな恐ぇ声出すなっての」 と、カラカラ笑いながら言う。 「化物不在中に探偵が浮気なんかしちまったら、オメーだけじゃなく俺もこっぴどいメにあっちまう。監督不行き届きとか言われてよ」 「そんなこと……ある…かも……」 「だろ?」 「…………」 ヘンな仲じゃないにせよ、ずいぶん親しいんだな。桂木に差し入れするくらいには。 ネウロがここに居ないことを既に知ってる程度には。 そして… ……桂木とネウロの関係を知ってて茶化したり軽口言える程度、には…… 「あっ。立ちっぱなしもあれだね。吾代さん、どうぞ座って」 桂木がそう声をかけると、何故か『ごだい』が俺の隣に座ろうとするんで、俺はソファの端に寄るハメになる。嫌々ながら移動すると、デカイ体がボスンと音を立ててソファに座り込んだ。 「吾代さんは今日はどうしたの?ウチは当分開店休業だって知ってるでしょ」 桂木が紅茶のカップと差し入れのお菓子を乗せた盆を置いて、またソファに腰掛けながら訊く。 「いや、特に用はねーよ。強いて言うなら、秘書の飲み物ごちそーになりにきたっつーか」 「……そう?」 何故か桂木は笑った。 ―秘書?― 無意識に、変な方向を向いてるデスクとパソコンに目がいった。 これが何なのかわかんないけど…… 秘書なんていたんだ。 俺は何かを思い出しかけたけど、うまく頭が回らない。でもその秘書はきっと字が綺麗なんたろうなって何故か思った。 ともあれ、俺が知らなかったことを『ごだい』は知ってる。 桂木ともネウロとも付き合いが長くて、ネウロのことを『化物』って呼んでるってことは、当然ネウロの正体も知ってるのか…… 「化物からは連絡くんのかよ。メールとか電話とかよ」 『ごだい』は猫舌なのか、紅茶をおっかなびっくりって感じですすりながら桂木に訊く。その内容に俺は何か少し違和感を覚えた。 桂木は少しだけ黙ってから、 「……ううん。 とてもじゃないけどケータイとかで連絡とれたりするようなとこじゃないだろうし、そもそもあいつ、ケータイ置いてってるしね」 「そんな、連絡一つ取れないようなとこなのかよ化物の故郷てのは。この地球上にまだそんなとこあるとは思えねーんだけどよ……」 「…………」 よその人間が聞いたらある意味当然とも取れる質問。桂木は目を泳がせて黙ってた。俺はその様子を見て、 ―この『ごだい』ってヤツは、ネウロが『魔人』だって知らないんだ……― って確信を持った。 化物って呼んでたから意外だったけど、そーいう認識なんだろう。コイツとアイツの直接の関わり具合なんて俺にはわからないけど。 ネウロについて…この二人について…知ってること知らないこと、それぞれ違うってことだ。 俺と桂木だけが知ってることがあると思うだけで、共有のヒミツを持ってるみたいで……俺はちょっとばかり嬉しかった。 ―やばい。 俺、末期かも……― 「そんで、何だってんだ?その寝癖は」 『ごだい』の指摘に、桂木は慌てて髪を撫で付ける。 「えっ?あっ…… 髪にヘンなクセついちゃってる?」 「もしかして、“そっち”で寝てたのか?探偵」 何だか意味ありげに“そっち”を強調したように俺には聞こえた。“そっち”は桂木が座ってるソファのことなんだろうけど、桂木は何故か顔を赤くして、下を向いて、 「眠ってないよ。 ……ちょっと横になってただけ」 もごもごと呟くように口ごもった。 「ふ――ん」 とだけ言った『ごだい』は、桂木を何だか優しそうというか…いっちまえば憐れんでるような目で見ていた。 「……そーかよ。 それでも探偵はここに来ちまうんだな」 「依頼なくても、することはあるし」 「……だよな」 そんな桂木と『ごだい』の会話を、紅茶を飲みながらぼーっと眺めてて…… きっと…いや絶対に桂木は寂しがってて… それを『ごだい』は理解してるんだ…と、わかった。 こんな形で、何となくだけど桂木の本音を知るのも、いかにも桂木とネウロの関係って感じがする。そう思うのは、何も直接的なこと言わないのに色々思い知らされた経験がある俺ならではなのかもしれない。 何にしても。 ―ここにいなくても、ネウロの存在感は半端ないんだな……― そして…… ―桂木は本当に『一人』じゃねーんだな……― って、そう、思った。 思い知らされた。 仮に本当にネウロが、桂木が生きてる間に戻ってこなくても…… 桂木が振り向いてくれるなんてことは、一生ねーんだろうなって確信だけが、それこそ、悔しいくらいに。 『ごだい』があんな軽口を言ったってことは、桂木は絶対にそうはならない…誰にもなびきはしない…そういうことなんだろうから………… [*前へ][次へ#] |