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〜忘却と再構築〜 36
―五日目―
我が輩の睡眠は…目の前のこの我が奴隷に比して、ずっと短くて充分。
陽は昇ったばかり。ヤコは起きそうもない。
アカネもまた、眠っているようだ。
目が覚めたのは良いが、持て余す退屈は…さて、どうすれば良いものか。
何心なく、ヤコの寝顔に目がいく。これを眺めているのも悪くないか。熟睡を貪るだらしのない、だが安堵しきった穏やかな顔、を。
いつかは元のヤコに戻るものなのか…
それとも、いつまでもこのまま記憶は戻らず、この我が輩が再調教してゆくのか…
どちらで、あろうか…?
後者であるならば、以前のヤコとは違った者となろう。
既に今の我々の関係は、以前との相違を生じているのだから……
それはそれで構わんのだが、居なくなってしまった『ヤコ』を、もうこの目に出来ないのかと思い到れば…
過去からあの日まで…徐々に積み上げ築き上げてきたこと全てを、今のこのヤコはまるで覚えていないのだと、改めて思い出した。
ヤコが悪い訳ではないとはいえ、憎たらしくもなるではないか。
……未練なんぞ、ない…などといっては、嘘になってしまうのだ。口惜しいが……
眠る顔に指を這わせてみる。
「……ん」
敏感なのか、たまたまか。ヤコが小さく身じろいだ。思わず手を引っ込めるが、起きる気配はないようだ。
再び、手を伸ばす。
触れ慣れた、きめ細やかな感触が、革手袋越しに伝わる。
そうだ…これだけは変わらんのだ……
やはり…ヤコが在りさえすれば、それで良いのかもしれん…
思考は巡り、また戻る。思い直す。
逡巡なんぞ、我が輩らしくない。だが、この数日、らしくない我が輩ばかりだ。ヤコのせいで。
稚く愚かでちっぽけな…この小娘の、せいで。
頬を軽くつついてみた。
我が輩の指を弾き返す肌の弾力が、何とも心地良い。
「ん…
何すんのよ……」
ヤコがまた、寝呆け声を漏らす。少しばかり面白く思い、鼻をつまんでみた。少々苦しくなったか、眉根を寄せた。
…と、思ったのも束の間…
「もぅ…この、ド…魔人…」
我が輩の掌を払い、また眠りこける。
「………」
…今のは、何だ…?
あまりに不明瞭な発音ではあったが、あの寝言は…ヤコが今し方呟いた言葉は…
『おはようございます』
アカネも起きてきた。ヤコの声に反応したようだ。
『夢…でしょうか?』
「だろうな」
夢の中には、元のヤコがいるのか…
さっさと現実に戻ってくれば良いものを…
「おはよう、ネウロ君」
母親が、殊更朗らかに病室に入ってきた。何が入っているのやら、大荷物を抱え。
アカネが慌てて、机面に伏せる。
「…おはようございます」
「弥子はまだ寝てるのね」
「はい」
「弥子、ワガママとか言わなかった? 本当に、お世話になっちゃって…」
「そんなことは…」
煩わしい決まり文句を、我が輩は言葉少なにやり過ごす。
「やっと退院ね。長かった気がするわ。弥子がああだから、まだちょっと不安はあるけど」
「そうですね」
「ん……?」
ヤコが目を覚ましたようだ。
寝呆け声を上げ、もぞもぞと身体を動かした後に、漸く起き上がった。
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