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〜忘却と再構築〜 32

「…さ、濯ぎは終わりました。すっかり綺麗になりましたよ」
 わざと明るい助手口調を繕い言うと、ヤコは不思議そうな顔をした。先程我が輩の言ったことの意味がわからないに違いない。
 把握しているならば…把握出来たかつてのヤコならば、このような局面では決して見せはしない、幼い表情。


 だが…
 こんな顔でも、紛れもなく我が輩を誘っている。

 我が輩は…いとも容易く惑わされる……


「…うん。ネウロさんがうまいからだよね。
 ありがとう…」
「光栄ですね、これも先生の腕前を日々拝見していたおかげです」
「私の? そういえば、私があかねちゃんの髪を、って……」



 濡れた髪の風情までもが、艶めかしく目に映る。まるで子供のくせして……

 衝動に任せ、構わず言葉を遮り、さかさまのまま顔を伏せ口付ける。無駄なことばを口にさせるには、あまりに忍びないのだから。





 退院を不安に思っているとは察していたが…更に不安にさせること、しかも漠然としたことを口にしたような気が、しなくもない。

 だが、あのようなことを言うようにそそのかしたのはヤコの方だ。我が輩はそれに応じてやっただけ。

 わからぬのならば、身をもって知るがいいのだ。




 変わらず、これといった応え方はしない未熟な反応だが、悪く思う筈もなく…

 ヤコは、頬を押さえる我が輩の両掌に両手を添える。指まで強く握りこみ、今、可能な全てを感じ味わう。倦みを覚えることなど、ない……


 それだけでも良いと感じ満たされる我が輩は…
 それだけヤコに飢えていた…と、いうことか……





「何がおかしいのです?
 …というより、先生は先程から笑いすぎです」
 最早邪魔なだけの珍妙な機械を病室の脇にどけ…我が輩は、ベッドの隅にちょこんと座り、笑い止まないヤコの頭に腕をのばす。
 わざと乱暴にタオルを扱い、髪の水気を取ってやると、ヤコは尚も笑いつつ、
「だって…ネウロさんてキスが好きみたいだなって思っちゃって。そしたら……」
「……ならば、そこは笑うところではないでしょう」
「私と…だから、そうするのが好きなんだったら、嬉しいなって」
「…………」

「あ。ひょっとして、照れてるんだ?」
「そんなことは…」


 振り回されているのは自覚している。どれだけ苛めても折れなかった、ヤコのしなやかな強さが…ここにきて前面に出ているとしか思えん。


「ネウロさんて…どえすだけど優しくて、テレやさんで、おもしろいひと…だね」
「…僕は照れてなどおりませんと申した筈ですが?」
「そぉ?」


 ふと、サイドボードを見やると、アカネが慌てて髪束を伏せた。
 見慣れ、見られ慣れているとはいえ、これは流石に……


「…それにしても、ドSなぞの俗な言葉ならば覚えてらっしゃるのですか? 先生は」
 我が輩の言葉に、ヤコはこちらを見上げ、
「かなえちゃんが持ってきてくれた本にかいてあったよ」
 と。
「………」
 溜息しか出てこない。

「まあ…ドSに関しては、否定はしませんが」
「しないんだー」
「してほしいですか?」
「してほしくないなぁ…」
「…僕も、特にしたいとは思いません」


 特に、今は。
 殊更に強調せねばならん気にさせられて仕様がない。








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