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〜忘却と再構築〜 10

 ヤコの母親が不在の間、ヤコは、ふて寝のようにも窺える様子を隠さずに、こちらに背を向けたまま、ひとことも発しなかった。
 我が輩もまた、ことばをかけはしなかったが。



 どうやら我が輩は、何らかの警戒心を抱かれているらしい。



 いつものヤコであるならば…
 我が輩の遊び…虐待や拷問に対して、常に若干の警戒はしていよう。

 だが

 これほどまでに頑なであからさまな警戒心を露わにはしなかった。


 何だかんだ言おうが抗おうが文句をつけようが…結局は我が輩の手の内に在った。

 筈であるのに……





 そうして……

 我々はひとこともことばを交わさず…何事もないまま、母親が戻ってきた。

 それは…その間は…長かったのか短かったのか……




「弥子、ただいま。ワガママとか言わなかった?」
 静まり返った病室に、突如響く声。
 ヤコによく似た、ヤコより低い声だった。


「……おかあさん!」
 反して、幼子のように甲高く響く、ヤコの声。


「ネウロ君どうもありがとう。
 また明日ね」



 …体よく追い出されたような感であるのは、我が輩もいい加減疲れているのやも、しれなかった……





『おかえりなさいませ。
 先日のご依頼主の方からお電話があったようですよ。留守電にご用件が入っています』

 我が輩が戻るなり、アカネは事務的な用向きをボードに書き付けた。


 少々共鳴し感ずる気配から、アカネが怒っているのは容易に察せられた。


 我が輩は知らず、溜息をひとつ吐いてしまう。
「…ヤコが目覚めたとの連絡だったので行ってきたがな…
 ……何もかもを忘れている有様だった。
 何とも情けない」

 そう…それだけを言ってやると、角々しく突っぱねていた髪束は、あまりの驚きにだらしなく力を落としてしまった。


『それって、記憶喪失ってことですか?』
「そうだが」
『本当に?』
「……」
『本当に、みんな忘れてしまっているのですか?
 私のことも、ネウロ様のことも?』
「……ああ」


 改めて、ヤコの現病状を口にすれば、苛立ちとも焦りとも判らん嫌な感情が再び沸き立つ。
 ともかく、そのやりとりでアカネの怒りは、すっかり吹き飛んでしまったようだった。


 代わりに流れ込んでくる感情に、我が輩は煩わされる。



 アカネはしばらく沈黙していたが、
『私、弥子ちゃんに会いたい』
 …と、ボードに書き付ける。


「…今のヤコが貴様を見ても、驚くだけだろう。無駄なことをするものではない」

『でも!』
 アカネは壁を叩きつけ、より強く訴えかける。

『弥子ちゃんが私のことを忘れてしまうなんて、信じられないもの!
 弥子ちゃんが驚くなら、私ただのストラップのふりしてますから。お願いします、次にネウロ様が病院に行かれる時、私も連れて行って下さい!』

 矢継ぎ早に書き連ねられる文字には、ヤコへの必死な感情が顕れていた。




『弥子ちゃんが私のことを忘れてしまうなんて、信じられない…』

 アカネも、そう云うのか……


「……ヤコは、この我が輩すら忘れ果てていた。この我が輩を見ても、何も思い出せなかったのだぞ…」
『………』
 我が輩の言葉に、寂しげに動かなくなるアカネ。


 我が輩の言葉は、ヤコの母親と同じだということに、口にしてから気が付いた。


 誰も彼も思っているのだ…

 ヤコが、自分のことだけは忘れる筈がない、と……


 誰も彼も……

 そう想いたい程に、大切なのだ、ヤコが………







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