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〜忘却と再構築〜 03

「………」

 カーテンが閉められ、日の短い冬の夕方よりも更に薄暗い室内に…
 鼻をつく消毒薬その他の異臭に混じり、我が輩にとり最も身近な匂いが漂っていた…


 ヤコの、匂い、だ……



「…桂木弥子さん…で、間違いありません?」
 看護士は問う。

 我が輩は、ベッドに歩み寄った。



 ベッドに横たわる…

 真新しい包帯を頭部に幾重にも巻き、頬にも軽い治療を施された、意識無い者は……



 …ヤコだった。


 緩く目を閉じ、微動だにしないその姿は、ただ眠っているようにも見えるが、頭部や腕に包帯を巻かれている姿はやはり異質で、意識を失っているのだと思い知らされ…



「……はい。
 確かに、先生で…桂木弥子で間違いありません」

「先生…?ああ、探偵さんですものね。
 担当医師によれば、頭を打った時の外傷による出血がひどかったものの、骨には異常は見られないということです。
 脳波等の精密検査は意識を取り戻してから…となります」

「………」

 顔を近付けて、ヤコを間近に観察してみる。

 まだ、血の匂いがまとわりついている。


 車にひかれそうになった子供を助けようとするなど、何と後先を考えない命知らずな…
 以前にも同じことがあった記憶がある。
 …いかにもヤコらしい行動であるといえるのだろう。





 そう、か…


 ……貴様は

 昏倒する意識の中で、最後に我が輩を呼んだ、のか……



 我が輩の様子を何と思ったものか、看護士は、
「…じきにお目覚めになると思いますよ」
 慰めのつもりなのか、そう言った。

「…そうですね…」


 ヤコの眠る姿を、我が輩はあまり目にしたことがない。
 つい、珍しいと思い眺め入ってしまうのは、ヤコの怪我が大したことではないとの看護士の言葉に、我が輩は安堵しているから…なのだろう……


「それで、ご家族へのご連絡なのですが…」
「それは僕からいたします」
「申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。ご家族がいらしたら、担当医が改めて説明に参りますので、ご入院の手続きのお話などは、その時に…」
 看護士は、失礼します、と会釈し、出て行った。




 ヤコの横たわるベッドの脇のサイドボードに、傷付いたヤコ愛用の髪留めと共に、壊れたという携帯が置いてあった。

 それらを持ち、我が輩は屋上へと向かう。


 母親への連絡先は事務所に控えてあるのだが、我が輩は戻る気になれなかった。我が輩の携帯にも登録はしていない。記憶していないどころか、覚える気もなかった。
 脳内に取り込むデータの、合理的な取捨選択のつもりであったのだが、思わぬところで不便が生じるものだ。



 ヤコの携帯を開き、試みに電源ボタンを押してみる。
 確かに壊れていた。ディスプレイはひび割れ、何も映し出さない。
 全く、ヤコの携帯はなんとよく壊れることか。そのほとんどが我が輩の仕業であったような気がするが…

 それはともかく、本体が壊れていようが、内蔵されている中枢…基盤が無事であるならば、データを拾うことが我が輩には可能なのだ……








 ヤコの母親は、連絡した後、一時間ほどして病室に駆けつけた。

 階段を走って上ってきたのだろう。荒い息を吐きながら切れ切れに言う。
「あぁ、ネウロ君、連絡、ありがとうね…」
「…いいえ」

 少々呆れた。
 電話できちんと、大事には至らないようだと告げた筈なのだが。何故そこまで慌てるのか。

 だが…それが母親というものなのかもしれない。






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