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〜そのこころに〜 05
車の中、弥子ちゃんはずっと黙ってる。俺ももう、話しかけたりはしない。たまに、下を向いたままの弥子ちゃんを見る。
それだけだった。
億劫とか、そういうんじゃない。だが何となく忌々しかった。対象は、俺自身か弥子ちゃんか、自分でもハッキリしないのだが。
桂木家の前に着いて道端に車を停めると、弥子ちゃんはようやく頭を上げて、
「わざわざすみません。ありがとうございました」
そう言って、ドアを開けた。
慌てて降りようとするからか、俺が渡した紙袋を忘れている。
「弥子ちゃん、これ忘れ…」
だから俺は、身を乗り出して弥子ちゃんにそう声を掛けた。
事務的なような、いかにも心ここにあらずの声でおしまいなのは、流石にないだろと思う俺は、おとな気ないのかもしれない。
だが間違いなく、そんな気は、直前まで、なかった……
俺は振り返り立ち止まった一瞬を逃さなかった。
手をのばして手首を掴むと、細さがやけに印象的で…そうなると思いもかけず、更なる衝動に駆られる。
そのまま引き込んで、再び座席に戻し背もたれに押し付けた。
愕いてるのか、いっぱいに見開いた瞳が、目の前にあった。
その瞳を数秒見つめて…逸らした隙を突いて顎を捉えて………
一回りも年下の子供に何をしているんだ俺は……
だが、触れてみて尚更わかる。この子は…弥子ちゃんは…
子供と言い切るのに似つかわしくない雰囲気を持っている。
年齢故か…探偵だからか…今がもの悩ましげな精神状態だからか……
俺にはわからないが。
俺の煙草の匂いが纏わり付いてしまってたが、弥子ちゃんが小さく身じろぎするととても良い香りが立ち上る。
抗わないが反応もない…本当に何をしてるんだ俺は、と、思うのに。
この子を離すのが、それ以上に惜しかった。
それでもしばらくして顔を離すと…
諦めたかのように弛緩した体に、ゆるく閉じた瞼からは、涙が……
衝動に近いことをしたが、後悔はない。ただ、弥子ちゃんにそんな表情をさせちまったことには心が疼く。
「………
君がそういう顔をしてるのは、見てて辛いな」
俺がこんなことしたのは棚に上げて、俺は言う。
弥子ちゃんには酷だろうけど……
大人は、汚ない生き物なんだよ。
たとえば、心が弱ってるのにつけこんだりする。
たとえば…俺のことに全然意識を向けない腹いせに、君の心に爪を立ててみたくも、なる………
弥子ちゃんは、今は俺をまっすぐ見ていた。
もしかしたら涙で霞んでただけかもしれない。睨むでもなく、ただ、呆然と。
この世で一番大切な…いとおしい存在はと訊かれたら、俺はこの子を思い浮かべるだろう。
だが俺は…
今の俺は……
踏み込むべきじゃねーのは、わかってた筈なのに……
「ご……
ごめ…なさ…
笹塚さ……」
弥子ちゃんが震える声で俺に謝る。
何故、弥子ちゃんが謝る必要があるんだ…?
だけど弥子ちゃんはそれ以上は何も言わずに…
今度こそ車を飛び出して…行ってしまった……
あの子は俺に応えることはなかったが、唇に触れてみると、こうした経験を既にしていることは何故かわかった。
…そういや少し前…
石垣のバカが雑誌を握り締めて興奮気味に何か喚いていたような…
まぁ弥子ちゃんも年頃だろーし、と敢えてそうした情報はシャットアウトしていたんだが。
なら…相手を迷う余地はない。
そう悟るのも、今更でしかないってだけで。
今の俺が激情に任せてなんて、有り得ない筈だったんだが…まー、もうそれはいい。やっちまったことは、なるようにしかならない。
だが…もし…
もしもこの先……
『本懐』を遂げることが出来たのならば。
そのときがきたら俺は、何を躊躇うことがあるだろうか…
もしかするともう、全てが遅いのかも知れなくても…俺は。
今と同じように…諦めずにただ邁進するのみなのだから…
とりあえず、結局渡しそこねちまった菓子は、自分で処理するとしよう。
運転中、至った考えに一人で納得していると…視界の先の建物から大きな月が顔を覗かせた。
雲一つない空に、これから空高く昇ろうとする月はやけに綺麗で…
−そうだな…丁度いい。
……あの満月にでも、誓ってみようか……−
無風流な俺でもそうせずにはいられない見事さだった………
[*前P]
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