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〜かけちがう〜 01

 我が輩は逡巡していれば、それで良いのかもしれん。だがやはり、ヤコはそうはいかないものなのか。

 ぬるま湯のような、安穏の中だけで過ごすには、ヤコはあまりにも『人間』でありすぎる。


 短い生を生きる人間に。

 短い生を、生きる……











 探偵が事故に遭い、数日入院していたなどという珍妙な出来事の余波…専らマスコミどもの煩わしさだったのだが…は、しばらく続いていた。

 記憶喪失だったことまで知られたら厄介だったかもしれんが、幸いそのようなことはなく、事務所にも漸く、以前のような落ち着きが戻ってきていた……






「…ホントに、この手紙に『謎』があるの?」
「勿論。貴様も感じているだろう」
「うん、まぁ…
 でも、ペット絡みの依頼に、『謎』ねぇ…」
「決め付けは感心せんな。全く貴様の学習能力は牛歩以下の歩みで情けない」
「なぁによ!」

 ヤコが我が輩の懐の内でむくれている。我が輩は、むくれる顔をも固定するように、その頭に顎を置いていた。


 事務所に届けられた手紙の分別は、最近復活した習慣だ。

 テーブルの上と、ヤコの手に封書はあり、そしてヤコは我が輩の顎と膝の間におさまっている。手にしたヤコが何か感ずれば、それには『謎』がある。

 こうしている時は、ヤコは我が輩と同様に『謎』の気配を感知出来る。ふとしたことから知った、摩訶不思議な共鳴を利用している。
 何も知らん者からすれば訳の解らぬ行動に見えようが、我が輩からすれば、一石二鳥…いやそれ以上ともいえそうな…


 ともあれ、ヤコは半信半疑な様子。己の感覚を信じられんとは、ここしばらくの慌ただしさに、本当に退化してしまったか…それとも、ここのところ春めきだした陽気に、脳まであてられたか?

 半ば呆れつつ、ヤコの頭に顎をぶつけながら、我が輩は言ってやる。
「……どのようなものかは、行って詳細を調べてみなければわからんだろうに。…まぁ、薄味の『謎』で間違いはなかろうがな」
「痛たたたた」
 ヤコは我が輩の顎から逃れ、こちらに顔を向けた。痛さに歪んだ表情が、薄い微笑みに改まったかと思えば、
「決め付けは良くないよ。ネウロ」
「…ム」
 我が輩の科白を、そのまま返されてしまった。


 そればかりか、この我が輩が一瞬でも言葉に詰まってしまうとは…ヤコはなんと生意気になったことか。

 得意気な顔が小憎らしく、口惜し紛れに額を打ち付けてやる。
 咄嗟に上がる筈の、甲高く鋭い悲鳴が漏れることは、なかった。





 我が輩はコレの感触…“味”が好きだ。口にすることはないが、隠すこともない。

 流石に怖さを隠せないのか、ソファの生地に爪を立てたヤコの指は、けっこうな力を込めているようで、白かった。身体もまた小刻みにおののく…
 大して微妙でもない部分に微かに触れているだけというのに…そんなさまも、非常に好ましい。
 …が、そのように怖れずとも良かろうに…と、我が輩は思う…


 そうしているうちに、ヤコが必ず何か口にするだろう。呟くように微かに。今ならば、
『「謎」の場所に行かなくていいの?』
 だろうか。場の空気を白けさせ台無しにしかねないが…
 我が輩はヤコを味わいながらも、その声を待っている。

 その声をきっかけに、ヤコから離れる。それが、いつものパターンとなっているからだ…


 今回は、その気配がなかった。

 我が輩が口付けるに任せ、我が輩が触れるに任せ。いつの間にか背に両腕を回していたヤコは、その身さえも我が輩にすっかり任せ……






 わかっている。

 これは…


 欲している…
 求めている。


 我が輩に応えているのではなく、自らの意思から、我が輩を。



 …我が輩も、これを…





 ……それでも、我が輩は。


 深く口付けたのを最後に、我が輩は立ち上がった。ヤコには唐突に、ぽい、とばかりに放り出されたように感じただろう。


 僅かにヤコが爪を立てた感触が、我が身に残っていた。それが治まるのを待った後、
「…どうした。さっさと行くぞ」
 振り返り促すと、ソファに浅く腰掛けたヤコは呆然としていたが、
「う…うん、わかった。
 今、行く…」
 シャツやリボンを整えながら、掠れた声で返事をした。



 揃って事務所を後にする。無論依頼人の元に向かう為。

 我々は解決…“食事”に赴く。



 我が輩から少し遅れて着いてくるヤコは、赤い顔を伏せ気味に歩いていた。


 ヤコは、“女子高生探偵”としてのトレードマークともいえる学校の制服を、普段は割とラフに着こなしている。表向きの我が輩が、スーツをきっちりと着るのに対を為すように。
 だが、今は違う。シャツに隠された肌には、その白さには似つかわしくない紅い印が鮮明に残っているからだ。釦を喉元まで留めている。気にしている。
 そのようなもの、見つかることなどないというのに、挙動は落ち着きがない。せかせかとせわしなく我が輩の後を着いてくる……





 何も変わらない日常だ。こんなことさえも。


 …近頃は「何も変わらない」と、己にわざわざ言い聞かせることが多くなった。少々滑稽なことだ。だが、何故わざわざそう思うのかを考えるのは面倒なことでしかない。

 時折、その先まで思考を及ばせることがある。そう、丁度今のように……






 あれは、馴れ合いの延長。

 ふとしたきっかけで、猫同士のじゃれあいのようなスキンシップへと発展する。きっかけはヤコであることが殆どだが、直接のアプローチは例外なく我が輩からだ。気紛れを装って。

 そして無論、触れ合いを断つのも、我が輩の一存……


 いつからそうなったものか、あまり覚えていない。先頃まではしばらく遠のいていたことだったが…ともあれ、変わらない毎日の中の一つでもある色めいた時間はまさしく、馴れ合いの延長でしかない。


 だが…

 本来、我が輩に馴れ合いなぞ不要。

 その筈だった…地上に降り立つまでは、間違いなく。
 この世界にやってきて…特に事務所を構えて後、いつの間にか自然に…今のように。ヤコに対してだけは……


 以前の我が輩が今の我が輩を見たならば、一笑に臥すことだろう。現に、我が輩自身が己を笑いたくなるのだから……


 これでは…
 これではまるで……





「…ネウロ?」
 声に我に返れば、ヤコが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
 いつものようにヤコの頭を掴み歩きながら思考に没頭するなど…

「……」
 何も問われてなどいないのにも関わらず、我が輩は返すべき答えを探していた……






――後から思えば…だが。
 何らかの予感があったのかもしれん、な…――








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あきゅろす。
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