short
妙なるもの
「ヤコ」
些細な用事で、我が輩はソファにいるヤコを呼んだ。
……が、何故か返事がない。
「ヤコ?」
再度呼ぶが、やはり返事はない。
眠っているようには見えないが、こちらの声が届かないとは妙なことだ。ヤコが何をしているのか注意を向けてみて漸く、イヤホンを着けて何やら聴いていたのだと判った。
ひどく真剣な表情……随分と身を入れて聴いているようだ。
何となく眺めているうちに、ヤコが涙ぐんだので我が輩は愕き…それと同時に少しばかり不愉快になってくる。
ヤコのその様子で、何を聴いているのか察しはつくが、とにもかくにも気に入らないので、我が輩は立ち上がり忍び足でソファに座るヤコの後ろに回った。イヤホンから直接流れ込む音に集中しているヤコは一向に気付かない。
さぁ、いよいよヤコの耳からイヤホンを取り上げようとしたその瞬間にヤコは顔を上げ、溜息を吐きつつ片目の涙を拭ったので、少しばかり虚を衝かれる。
「……ん、どしたのネウロ」
流石に我が輩に気付いたヤコが、もう片方の目尻を拭いつつ首をこちらに向けて間抜けな問いを口にした。
我が輩は答えず、改めて腕を伸ばしてイヤホンのコードを指にかけ引っ張り、ヤコのスマホからイヤホンを引き抜く。
―やはり…………―
聴こえてきたのは、聞き覚えのある歌声。
いつだったか、我が輩自ら聴きに行ったものだ。
人間とはやはりわからぬこと……ヤコはやはり『厄介』な存在なのだということがわかった程度であったが。
これに……こんなものにヤコは心揺らされ涙を流すのか……
この地上に来て、それなりに人間共のことをわかってきたつもりだったが、心を…脳を揺らす『音楽』……その頂点に君臨するといっていい『アヤ・エイジア』の声を以てしても我が輩にはその価値を理解しかねた。それ故不愉快になるのだが。
「アヤさんがね、配信前にどうしてもあたしに聴いて欲しいからって、事務所を通じてデータを送ってくれたの」
わざわざそう望んで聴かせるということは、ヤコがこのような反応を見せて当然の、ヤコにだけ伝わる意思…メッセージを込めた楽曲なのだろう。
あの女も小癪なことをする。
リピート再生され流れ続ける音楽に、アカネも、
『何だか不思議な……
でも良い歌だね』
と、書き付けた。それを受けて、
「さすがあかねちゃん」
嬉しそうにヤコが笑う。
任意の人物へのメッセージを孕む楽曲だが、その他の者にもそれなりに響くようだ。流石に世界的なアーティストなだけはある。我が輩には理解出来ないが…
……と、云いたいところだが……
口惜しいことに、全く響かないわけではない。
この我が輩が…あの時は確かに何も感じはしなかったにも関わらず今はそう感じたということは、この歌には、ヤコだけでなく我が輩へのメッセージも幾ばくか含まれていたのだろうと推測された。
あの女も、自身の特異な『ちから』を進化させているのだ。あのような場にいながらも、今も尚。
だが、それでも。
「まー、どうせネウロにはわかんないんでしょ」
「…………」
ヤコの見解はそれで良い。この娘に悟られるのは憚られた。人間に僅かでも影響される我が輩など気取られたくなどないというのもあるが、何より……
「ふん、だ。わかってたけどね。ネウロだしそんなもんだよね」
ヤコは唇を尖らせ悪態をついた直後、何故か笑い声を漏らし、
「でもさ、『魔界』にも音楽ってあったんでしょ? 楽器やレコーダーみたいなヘンな能力あったもんね。『あっち式』なら、ネウロのお眼鏡にかなうのあったりしたんじゃないの?」
「音楽は我が輩の興味の範疇外なのでな」
「あっそ。
ま、あったとしてもロクなもんじゃなさそう」
「…………」
まこと、小憎らしいことを言うものだ。
確かにあの世界にもそれに相当するものはあった。ヤコのいう通りロクな効果をもたらしはしなかったが。
娯楽のあり方が違うのだから仕方ない。あの世界の娯楽は加虐性に富むことにのみ価値を置くのだから。
それはともかく、音楽の良し悪し・好悪は、リズム・調べ・声…そして歌詞を基準とし感じるものであろう。我が輩はそれに……この世界の音楽に心揺さぶられはしない。
……だが……
我が輩にとって心地良いリズムならば確かに存在する。
手をのばし、今は煩わしいばかりの…ヤコの気を惹く音の調べを止める。
その腕に懐くように、ヤコは頬を寄せてきた。
「いい歌だよ。私にはお手紙のような。
もしかしてネウロ、あんたにも少しはそう聞こえてたんじゃないの?」
「…………
さっきと言っていることが逆ではないか」
「そう、だけどさー。でも、さー……」
ぶつぶつと呟いて、少々むくれた表情を作るヤコ。
微かにとはいえど、それに気付き得たのは、この楽曲を聴いたから…なのだろうか。或いは…ヤコとあの女の間に、我が輩とは違う“絆”が存在するからであろうか…………
我が輩はソファを飛び越え音を立てて座り込み、ヤコの手を掴み抱き寄せた。
一瞬にして表情も身体も固くしたヤコに構わず、掴んだ手首を引き寄せ軽く音を立てて口付ける。
「何よ急に。くすぐったいんですけど……」
そう訴える声は囁くように小さかった。
「……うるさい」
我が輩は咎める口調を繕う。
どうしてかヤコは我が輩が無体を働くつもりがないことを察したようで、身体の力が抜けていくのがわかった。
トクリ…トクリと……
唇に直に感じる鼓動の震動が心地良い。
頬擦りすると、鼓動は耳を通して…聴覚に乗って我が脳を揺らす。
「……ねぇ…だからくすぐったいって……」
「うるさいと言っている」
「…………」
抑揚のあるリズムを刻み、脳を…心を揺らす音。眠りに誘う力すら持つそれを、我が輩はただ堪能する。
音楽と呼ばれる調べには、ついぞ魅了されることのない我が輩だが、ヤコのこれには耳をくすぐられ脳を揺らされる。
息吹きも鼓動も、ヤコから発せられたもののみ別の価値を持つ。そして、それ以外はただの生のサイクルの発現…雑音でしかなく、何も響かない。
―生きている……
生きて、こうして傍にいる―
一度は離れて傍にいられなかったが故に、その存在は何かにつけてひたすらに愛しく尊く感じられてしまうものだ。
今は『鼓動』という音・リズムを介して。
それこそが、我が輩にしかわからぬ、比類無き最上の調べではないか……
鼓動を追い求める我が輩は結局、ヤコをソファに押し倒してしまう。横たえる時に肘置きに頭をぶつけてしまったか、
「痛っ」
と、ヤコは漏らす。
気を利かせたつもりか、アカネが慌てて壁紙の向こうに逃げ隠れる。
だが、色事に到りはしない。放っておかれた分……ヤコが別のことに惹かれた分……同じだけ密着するだけのことで。
「甘えん坊みたいだね、ネウロ」
クスクス笑いつつ背を撫で髪をくしけずる細い指先がひどく心地良い。
ヤコはこういうとき、意図しているかはわからないが、“優しい女”に徹する。それはつまり、聡いということでもあろうか。
様々を悟りつつ、無粋にそれと告げたりなどせずに、ただ我が輩の希む通りに穏やかに我が輩を愛でる。愛でて、くれるのだ……
不思議と官能を刺激しない触れ合いが続くうち、不意にヤコがむずかるように身悶えしだした。
頭を少し上げ、
「……どうした?何か不満なのか?」
と問うと、
「不満ていうか……
あのね。
……不公平」
「……ほう……?」
ヤコは故意にか、我が輩の髪に息吹を含ませながら囁く。
「あたしも、ネウロの心臓の音聞いてたいのに」
心から不平そうな囁きが、我が輩の内々にはひどく轟いて…………
「全く我儘な奴だな」
致し方なく体勢を逆転し、ヤコを抱き込む格好となる。ヤコは我が輩の胸の辺りに耳を押し当て、
「ふふ……
どっちが?」
と、嬉しそうに笑みをこぼす。
我が輩はヤコを抱き込んだことで、全身にヤコの鼓動を感じる。
心地良い調べに身を任せ、我々はいつしか眠りについていた…………
* * * * *
目を覚ましてみれば、すっかりモードが転換していた我が輩。
すぐ傍に居るヤコを欲しない訳がなく……
眠る前のやり取りのせいなのか、ヤコも我が輩とほぼ同じコンディションだったのが幸いし、それこそ燃えるような良きときを過ごしたものだった………………
妙なるもの。
我が輩にとり、それは全てヤコに起因する。
ただ、それだけのことだ。
了
※ ※ ※ ※ ※
萌えには逆らえずに、懲りずに
途中でちょっと弥子ちゃんが口にした楽器(能力/どうぐ)は、『拷問楽器「妖謡・魔」(イビルストリンカー)』(原作2)と、ドラマCDの『イビルターンテーブル』のことです。一応楽器的なもの(笑)
タイトルの『妙なる』は「たえなる」と読みますが、昨今の『ひとりごちる』騒動で、一見「みょうなる」って読めてしまうタイトルはどうなんだろ?しかも平仮名だと『絶えなる』って勘違いされそうだし、そもそもあまり使わない言葉だしなってぐーるぐる考えてしまったけど、結局そのままいくことにしましたよ
こんな辺境サイトでも悩むんだから、余計な思い煩わせをさせた、Twitterで盛大に色々撒き散らした方を少々恨みたくなってしまいます(苦笑)
アヤさんが新曲に、弥子ちゃんと、あと(わかればいいや程度に)ネウロさんにメッセージを託してるのは、mainIIのアヤさん語りのお話を元にしてますのよ念のため
あのお話をかいたのはいつだったかなー
とにかく、かなり昔でしたが
何となくでも思い出せてそれなりにお話に入れることが出来て、ちょっと嬉しいです
ま、自己満足ですが
20210325
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